BLOGOSの11月27日に、「高校無償化より現金給付の方がいい三つの理由」と題した、小飼弾氏のブログ「404 Blog Not Found」からの同名タイトルの記事が出ていました。
中卒者に対して給付金を支給するという主張です。これならば、高校に進学しない子たちまで範疇に入るというのが理由の一つです。
確かに、高校が半ば義務教育化してきている現在ですが、それでも高校に進学しない者がいます。あるいは、中退した生徒はその時点で、恩恵を受けられなくなりますから、中卒者に対して一律給付する方が、その対象が広がり、また朝鮮学校の無償化 問題も起きません。その意味では、小飼氏の主張に賛成です。
さらにもっと小飼氏の主張で賛同するのは、「率直なところ高校無償化しても、そのありがたみを実感できる高校生はどれほどいるのか。」という部分です。
税金が使われているわけですから、我々は将来を担う若者である高校生に賭けているわけです。ですから、それなりに頑張ってもらわないと、何のために税金を使っているのかわからないわけですが、正直言って、現状を見ると、彼らに税金を使う必要はどこにあるのかと考えざるを得ません。つまり、我々の期待にそうだけの学びができていないのではないかということです。
高校生自体の姿勢として、学び、将来に備えようとする前向きな姿勢がイマイチという印象が強いのです。ですから、無償化のありがたみを感じている高校生は少ないと思います。本当にごくわずかの生徒しか、考えていないでしょう。そもそも無償化のことすら、頭にない生徒もいるはずです。
そう言うと、将来に期待できるような社会を大人がつくっていないという議論が出てくるかも知れません。確かにそれは言えなくもないですが、しっかりした自分の人生のビジョンを考えることは、実際の社会に希望が持てるか持てないかとは別の次元で話ができるはずです。明るい希望の持てる社会を形成するために、しっかり学ばなければという姿勢を持つことを指導することが必要だと思うのです。
このテーマは現代社会ですね。あるいは総合の時間でもいいかも知れません。進路指導の一環としてでも良いでしょうが、とにかくどこかの時間を使って、ちゃんと考えさせないと、教員の私ですら、高校無償化には疑問を感じてしまいます。
すると、やはり中卒者に給付したほうが、高校生に支給するよりも意味があるのではないかというような気がします。
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