2010年11月30日火曜日

「すごい学生」、「普通の学生」

DIAMOND onlineに石渡 嶺司氏が連載中の「みんなの就活悲惨日記」の第3回がアップされました。

これ読んで思ったんですけど、「すごい学生」って言ったって、そりゃ、ごくわずか本当にすごい人はいるでしょうけど、それは社会人などでも同じで、中にはそりゃすごい人もいるわな、って感じなんですけど。 むしろすごくない、「普通の学生」が普通なのでは?
ですから、「「すごい学生じゃないと内定がでない」という状況でしたら、ほとんど受かる人、いないんじゃないでしょうかねぇ。そう思いませんか?
学生は、そう思わないのでしょうか?真剣に「すごい学生」じゃなければ、内定は取れないと思っているんですかねぇ。もし本当にそう思っている人ならば、私が採用担当なら、たぶん採用しませんね。きっと、そういう人は、仕事をするようになっても、「すごい社会人」じゃなければいけないと思うのでしょうから。まぁ、その間違いに気づくことを期待します。

今の若者に感想を求めたときに、「普通」って答える場面によく出くわします。しかし、「普通」と言われたところで、私の思っている「普通」と他の人が思う「普通」と違いますから、「普通」ってのは答えとしてよくわからないと思いませんか?
つまり、学生が考える「普通の学生」って、もしかしたら「すごい学生」の部類に入るかもしれない事例もあるかもですよね。

石渡氏の記事の中にも、そのようなことに触れている部分があります。

実際に私がゆっくり聞きだすと「それ使えば高評価なのに」という話がいくらでも出てきます。
本来は「すごい学生」であるはずの学生でも「私はすごくない、普通の学生ですけど就活はどうにかなりますか?」と聞いてくるのです。こういう言葉のイメージが先行してしまうことに恐ろしさを感じます。

私も、AO・推薦入試での自己PRの指導をしているときに、よくこういうのに出くわします。それを指摘すると、「そういうのでいいんですか?」って来るんですよね。一体どんなものをイメージしているんでしょう?何か得体のしれない「すごい学生」を想像しているんでしょうか?もしそうなら、自信なくなりますよね。

ただ、逆に社会の仕組みとかを全く知らないのに、そのことはあまり気にしないようです。
そのへんのことについても、石渡氏の記事には、こうあります。

「勝間さん知っている?」と聞いて答えられない学生はマスコミ業界志望者に限っても相当いました。勝間さんは知っていても「香山リカって誰ですか?」(対談 が話題になっただろ!)、「池上彰って誰ですか?」(テレビにさんざん出ているだろ!)などの質問が必ず出てきます。出版業界志望だと「取次って何です か?」(業界内では大きい存在だろ!)。えー、その程度で受けちゃうの?という人が少なからずいます。
他にも、算数(数学ではないですよ)がわからないとか、「何それ?」って思うような事例はいろいろあります。大学入試の指導の中でも、本当に呆れるほど何も知らない生徒がいることにびっくりします。この子は、今までの人生で何をしてきたんだろうって、思わずにはいられない生徒が結構いるものです。結局、そういう子が大学生になっても、あまり変わらないってことなんでしょうね。すごく納得しちゃいます。

とにかく、社会の仕組みを知らないと、就活も大学入試もダメですね。新聞、テレビのニュースなどをしっかり見ることが大切です。特に新聞は一覧性がありますし、とりあえず気になる記事を切り取っておけば、あとでゆっくり読めるなどのメリットがありますから、学生のうちは、やはり多少目を通すことが大切だと思います。何も私がNIEの実践者だから言うのではありませんよ(笑)
何事も続けることが大切です。半年程度でも続けると、多少世の中の動きがわかるはずです。そうなれば、逆に新聞を見るのが楽しくなるはずです。そうやって、良い循環をつくれれば、それだけで「普通」ではなくなるのではないでしょうか?そこまで行けば、きっと大丈夫だと思います。

2010年11月29日月曜日

高校授業料無償化について

BLOGOSの11月27日に、「高校無償化より現金給付の方がいい三つの理由」と題した、小飼弾氏のブログ「404 Blog Not Found」からの同名タイトルの記事が出ていました。
 中卒者に対して給付金を支給するという主張です。これならば、高校に進学しない子たちまで範疇に入るというのが理由の一つです。

確かに、高校が半ば義務教育化してきている現在ですが、それでも高校に進学しない者がいます。あるいは、中退した生徒はその時点で、恩恵を受けられなくなりますから、中卒者に対して一律給付する方が、その対象が広がり、また朝鮮学校の無償化 問題も起きません。その意味では、小飼氏の主張に賛成です。

さらにもっと小飼氏の主張で賛同するのは、「率直なところ高校無償化しても、そのありがたみを実感できる高校生はどれほどいるのか。」という部分です。

税金が使われているわけですから、我々は将来を担う若者である高校生に賭けているわけです。ですから、それなりに頑張ってもらわないと、何のために税金を使っているのかわからないわけですが、正直言って、現状を見ると、彼らに税金を使う必要はどこにあるのかと考えざるを得ません。つまり、我々の期待にそうだけの学びができていないのではないかということです。
高校生自体の姿勢として、学び、将来に備えようとする前向きな姿勢がイマイチという印象が強いのです。ですから、無償化のありがたみを感じている高校生は少ないと思います。本当にごくわずかの生徒しか、考えていないでしょう。そもそも無償化のことすら、頭にない生徒もいるはずです。

そう言うと、将来に期待できるような社会を大人がつくっていないという議論が出てくるかも知れません。確かにそれは言えなくもないですが、しっかりした自分の人生のビジョンを考えることは、実際の社会に希望が持てるか持てないかとは別の次元で話ができるはずです。明るい希望の持てる社会を形成するために、しっかり学ばなければという姿勢を持つことを指導することが必要だと思うのです。

このテーマは現代社会ですね。あるいは総合の時間でもいいかも知れません。進路指導の一環としてでも良いでしょうが、とにかくどこかの時間を使って、ちゃんと考えさせないと、教員の私ですら、高校無償化には疑問を感じてしまいます。

すると、やはり中卒者に給付したほうが、高校生に支給するよりも意味があるのではないかというような気がします。

2010年11月28日日曜日

『バイラル・ループ あっという間の成長にはワケがある』

 『クーリエ・ジャポン』に出ていたので読んでみましたが、結構おもしろかったと思うと同時に、アメリカの凄さを再認識しました。

まえがき 佐々木俊尚(ITジャーナリスト)
プロローグ 小さなアイディアが「大きな富」に化ける瞬間
序章 大統領のバイラル作戦
第1章 元祖はタッパーウェアだった
第2章 ウェブというバイラル培養器
第3章 バイラル大平原の開拓者たち
第4章 メッセージの起爆力
第5章 決めるのは消費者だ
第6章 バイラル動画の広告効果
第7章 バイラル成長の罠
第8章 ペイパルの戦い
第9章 ブログ時代のバイラル・ビジネス
第10章 「臨界量」をどう超えるか
第11章 SNS、成功の法則
第12章 広告の新たなスタイル
エピローグ 地球もバイラル、人類もバイラル

訳者あとがき


本の帯に、解説を書いているITジャーナリストの佐々木俊尚氏の、「ソーシャルメディアが社会を覆い尽くしたいま、“バイラル・ループ”抜きではビジネスは語れない」 という言葉が書かれていますが、本書を読むとまさにそのとおりだなと思います。

バイラル・ループとは、「感染の連鎖」の意味ですが、オバマ大統領の当選やFacebookの成功など、バイラル・ループによって急成長した事例がいろいろ出てきます。大変詳細な取材をもとに書かれた本書は、読みものとしても大変おもしろいですが、やはりビジネスという面では考えさせられる部分が多いです。私のような一般人には想像もつかない世界の話ですが。

ゼロから巨万の富にまで急成長するビジネスが、まるでウイスルに侵された怪物のように巨大化していく様子が詳細に描かれていますので、バイラル・ループの凄さというか、恐ろしささえを感じてしまいました。

とにかく読み応え充分で、翻訳も良いので、とても読みやすくてオススメです。

なお、公式サイトもあり、 こちらには一部がPDF版、WEB版として無料公開されていたり、「平成22年度 第57回NHK杯全国高校放送コンテスト」の「朗読部門」にて第3位に入賞した、千葉県立小金高等学校2年生の岡田紗英さんが朗読したオーディオ・ブック版が無料公開されていたり、著者のインタビュー動画があったりととても楽しめるサイトですので、こちらもオススメですよ。

アダム・ペネンバーグ著 中山宥訳『バイラル・ループ あっという間の急成長にはワケがある』
講談社  2010年9月 1785円



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2010年11月27日土曜日

『週刊ダイヤモンド』2010年11月27日号

特集が「仕事&資格大図鑑」です。何故かいろんな仕事の格好をした、可愛らしい動物キャラクターが表紙です(3歳の娘にバカうけでした)。「親子で使える仕事選びのための一冊」なんて文字もあります。

就職が厳しいという話題で盛り上がっている昨今にはタイムリーな特集ですね。「親子で~」の言葉のごとく、確かに親なり、教員なりが話題として利用できますね。

Part1では「サムライ業も生き残り熾烈」と題されて、「公認会計士」や「弁護士」などの、高度な専門性を必要とするサムライ(士)業についての話題ですが、確かに公認会計士は企業の経営が厳しい状況では仕事が減るでしょうね。
また弁護士も同じような状況らしいのですが、ただ収入格差が激しくなっているようで、資格さえとれればと言うわけにはいかないようです。ただそう簡単には受からない資格なので、このような状況になってくると、頑張って資格を取るだけの価値があるのかどうなのか、微妙なところになってきますね。それでも、私にとっては弁護士は憧れですけど。
その他、社会保険労務士や行政書士などもいろいろ厳しいようですが、結局この分野も実力がモノを言う時代になってきているということのようです。

Part2は「自分にあった仕事を見つける」ということで、100職種推定年収ランキングが出ているのですが、それを見ると、スポーツ選手が上位にランキングされています。ただ、誰でもがなれる仕事ではないですから、給与面だけで考えるということは、現実的ではない世の中になっているということがわかります。昔ならば、給与が高いというのが、仕事選びの基準の一つだっただけに、今は仕事を選ぶ基準も多様化せざるを得ないということです。逆に考えると、これからの若者にとっては、どんな職業につくかを選ぶのが、かなり難しいということです。
ただ、やはりここでもどんな仕事を選んでも、結局は本人の実力がモノを言うというのが、結論のように感じます。

Part3では「安定求めるならやっぱり公務員」ということで、公務員の推定年収ランキングが出ています。Part2でも出ていましたが、高校教員は100職種ランキングではなんと第16位、公務員ランキングでも第26位と、全体としてはかなり上位に入っています。
しかし、ここ何年も給料カットが続き、当然ボーナスも減ってきている当事者としては、本当にそんなに上位か?という感は否めません。ランキングはおそらく首都圏を中心に取材していると思われますので、首都圏の高校教員はかなり貰っているのかもしれませんが、高校教員は基本的には地方公務員なので、各地方の財政状況に応じて、かなり違うということを指摘しておきます。

また小学校教師について、やや詳しく書かれていますが、特に地方では教員の競争率は激しく、何年も講師をやりながら、教員採用試験を受けつづけるというのが一般的なうえ、教員になっても労働環境はかなり厳しいのが現状です。
全ての人間が学校を経験していますので、なんとなくわかっているつもりの教員としての仕事なのですが、現実は自分が生徒として見ていたものとは大きく違うということは、教員になってみないとわからないです。まあ、これは全ての仕事に言えることなのかも知れませんが、やはり見ているのと、やってみるのとは大きく違うわけですが、教員は特にそれが強いといえるでしょうね。

自分で言うのも変ですが、私は楽しんでやっていると思います。確かにいろいろあって嫌になることもありますが、いろんな生徒と関わっていくことはおもしろいことだと思います。また、高校なので専門性が強いというのは、私にとってはおもしろいと感じる要因の一つです。つまり、自分の専門で勝負できる、これがイイんです。私はいわゆる「勉強」は嫌いですが、自分の興味が有ることを調べてそれを発表するという行為は大好きです。授業も、自分が専門としている分野、自分の興味がある分野を調べていって、それを生徒に披露するというイメージで捉えることができるのではないかと思っていますので、それが将来を担う若者に、何かを与えられればと思うのです。ただこれはあくまでも私の個人的見解で、他の高校教員からすれば、コイツ何を言っているんだって思われるかも知れませんが。

Part4は「本当に使える資格はどれだ」ですが、これを見ていたら、資格を狙いたくなってきました。別に仕事の役に立つとか、独立するとかではなくて(まぁ教員なので、独立はありえませんが)、単に「おもしろそう」だからですが。別に資格マニアではありませんが、何かを勉強して今まで知らなかった新しい知識を身につけるって楽しいですよね(私だけですか?)。

とにかく、この特集はいろいろ勉強になります。



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2010年11月26日金曜日

伴野準一『全学連と全共闘』(平凡社新書)

近年、書店には60年代に関する書籍が多いように感じます。
学生運動に関係した学生たちも、70歳前後になっていて、中にはすでに故人の方もいらして、直接話しを聞けるのは今が最後だということでしょう。その意味では、いま出ている書籍は出来る限り読んでおきたいですね。

本書は東京大学全共闘の学生たちの動きを主に扱っています。

第1章 希望が生まれた町─すべては砂川町の基地闘争から始まった
第2章 ターニングポイント─反戦平和から革命運動へと向かう学生たち
第3章 歌に 託した明日─学生たちが真の前衛党「ブント」を結成
第4章 新婚さんと愚連隊─希望に満ちた日々に安保改定の足音が近づく
第5章 求めよ、さらば与え られん─一一・二七、国会へ初の突入!安保闘争が幕を開けた
第6章 天国への扉─革命的騒乱とともに安保闘争はクライマックスを迎える
第7章 時代は 変わる─安保闘争を忘れた大衆、漂泊する運動家たち
第8章 怒りと省察、そして暴力─安田講堂攻防戦が意味したもの
第9章 美しい東大の私─苦悩深ま る東大生たちの闘争の真実
第10章 敗れざる者たちの詩─革命運動はやがて狂気へと堕ちていった
終章 二一世紀のシュプレヒコール─革命家たちが見た 夢、革命家たちの今 


あの時代は一体なんだったのか、その時代を知らない人間には全くわからないのですが、どうしてあんなにも盛り上がったのかが、本書を読むととても良くわかります。
60年代の運動が徐々に変質していき、70年代の「間違った」方向に向かっていったのは、何故だったのか、当事者にしかわからないことを、関係者への取材から、丹念に解き明かしています。

おそらく、あの時代のような盛り上がりはもう二度と無いのではないかとは誰もが思うでしょうが、逆にその時代を知らない私にとっては、その空気を感じたかったという思いがとても強くあります。特に昨今の政治の有り様を見ていると、国民がもっとしっかり政治を見ていかなければならないという思いが強いので、60年代の盛り上がりが、ある意味うらやましいとさえ感じます。
本書を読んで、そんなことを思いました。

本書はコンパクトながら、60年代の基本事項がきちんとまとめられていて、入門的な通史として読みやすいと思います。特にブントについてよくわかります。この本、おすすめです。

伴野準一『全学連と全共闘』(平凡社新書)2010年10月初版




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2010年11月25日木曜日

モレスキン大量購入

モレスキン、5冊も買ってしまいました。

ただ、これ、 moleskine.co.jp の Online Shop Saleで購入したんです。

モレスキンファンには、超有名な「moleskinerie(モレスキナー)」で、このセールで購入したという、11月19日のShinjiさんの記事を見て、Online Shop Saleを覗いたら、これがビックリするほど安いんです。Amazonで円高のおかげか、いくらか安くなっているよりも、相当安いんです。80%OFFなんてのがありますから。

ただし、安く売っているのは2010年のダイアリー だけです。
しかし、私はもともとノートは右ページしか使いません。ですから、「スケジュール+ノート」タイプの物ならば、右ページがノートですから、私にとってはルールドと同じなんです。こりゃ、買うしか無いでしょうっていう結果が、上の写真なのです。

黒のモレスキンは、ハードカバーのものが18ヶ月ダイアリーのラージしかなかったので、まずはこれを。あとは、ソフトカバーの「スケジュール+ノート」のポケットとラージ、それからソフトカバーのデイリーダイアリーポケットの5冊です。

実際に届いたものを見ると、やはり思ったとおり、私にとってはまさにルールドです。ただ、ソフトカバーが惜しいなぁという感じなのです。やはりモレスキンと言えば、あのハードカバーですよね。でも、セールではハードカバーは赤しかありません。

で結局、先日赤のモレスキン、デイリーダイアリー のポケット1冊とラージ2冊、「スケジュール+ノート」のポケットとラージを1冊づつ、黒のハードカバー18ヶ月ダイアリーを1冊を追加で注文してしまいました(笑)

デイリーダイアリーって400ページあるんですよね。私の場合は右ページだけですので半分ですけど、デイリーダイアリーだけで、ポケット2冊、ラージ2冊になってしまいますが、何に使いましょう?(笑) 

 実はこの他に、正規の値段で購入したスクエアポケットもあるんです。
当分ノートには困りそうもありません。 でも、また来年になって、同じようにセールを見たら、買っちゃうと思います。

2010年11月24日水曜日

将来、どういう職業につきたいかで学校を決めなさい!

BLOGOSのトピックスに、「大卒以外でも出世できる職業は」とのタイトルがありましたので、見てみると、田中龍作氏の「就職難 大卒だけが人生じゃない」という記事でした(元ネタは、ブログ「田中龍作ジャーナル」です)。

高校時代、警視庁からの『引き』を断った青年が、大学卒業してから受験しても、何度やっても受からないという話で、「警察官の世界は大卒でなくとも出世できる。高卒の警察署長が当たり前の組織だ。結局、大卒で大した仕事をしない警察官よりも、高卒で身を粉にして働いた方が出世するのである。」ということを述べられています。

確かに、その通りの部分もありますが、その「身を粉にして働く」のが、ものすごくしんどいわけですよ、警察官の世界は。
身内に警視庁に勤めている人間がいるのですが、短大卒という半端な立場で入ったので、高卒と同じだったわけですが、その後大学を卒業したら、いろいろ変わりましたよ。
まぁ、あまりいろいろは言えませんが、高卒と大卒が100パーセント同じということはありません。
高卒でも一生懸命働けば、大卒と同じように出世できると言う方が正しいと思います。高卒でも大卒でも頑張らなければ出世できないし、高卒、大卒関係なく頑張った者がえらくなれるというのが警察官の世界だと言えるでしょう。

今日、言いたいのは、そのことではなくて、タイトルの事です。もっと厳密に言うと、中卒段階で、必ずしも全てが高校に行く必要はないと思います。今のご時世、高校くらい出ていなければという発想はありますが、もし高校へ行かなくてもなれる職業、あるいは中卒からなったほうが良い職業(例えば職人の世界)なら、高校へ行く意味がありませんよね。中卒で何年も修行するひつようがあるわけですから、高校へ行かない方が良いわけです。ヘタに高校を卒業してからですと、丸3年は遅くなるわけですから。  
同じように、高校卒業でなれる職業ならば、必ずしも進学する必要はないわけですし、逆に大学や短大、専門学校へ行ってからではないとなれない職業ならば、進学する必要があるわけです。
つまり、「将来、どういう職業に就きたいかで、進学するかしないかを決める」ことが重要なのです。ただ、そのためには、当然中卒段階や高卒段階で、それぞれとても悩むでしょう。15歳や18歳の段階でいろいろ考えなければならないため、それがしんどいので、モラトリアムのために進学する感じが結構あるのではないでしょうか。
しかし、現代社会ではそのモラトリアムの時期が長くてもなんとかなってしまうので、逆によくないのだと思うのです。自分の将来をどうするか、当然親や周りにいる大人がアドバイスをしてあげる必要はありますが、自分自身で決めていくことが、むしろ今の社会を生き抜くためには必要なことだと思います。それが不十分なゆえに、昨日のブログに書いたような「就活悲惨日記」状態になってしまうのではないかと思うのです。 

中卒段階でモラトリアム状態が欲しくて高校に進学するのなら、その分のリスク(つまり、中卒でなったほうが良い職業ならば、3年分遅れてしまうということ)があるのだと言うことを自覚したほうが良いのです。まあ、おそらく今の高校生のほとんどはこれに当てはまるでしょうけどね。ですから、高校進学は仕方がないとしても、とにかく高校時代には卒業段階までにしっかり考えないといけません。そのことを親や教員(私も含めて)はもっと強く認識すべきです。
進学しないとなれない職業に就きたいから大学に行く、ということでないと、究極の無駄遣いになってしまいますから。これだけ、大卒での就職が厳しくなると、改めてこのようなことを見直すことが必要だと思います。
進学は、あくまでも手段です。今は進学することが目的になってしまっているから、大学に行ってもろくに勉強しない学生がいるわけですし、企業も大学での学びに期待していないような部分もあるわけです。これは全てにおいて不幸です。ですから、もっとしっかり高校生の段階で、可能ならば中学生段階で、職業について考える時間をしっかりとることが大切ですし、常にあらゆる機会を通して、職業観を養っていくことを優先的にしていく教育が必要なんだと思います。

2010年11月23日火曜日

やはり今年の就活は厳しいようです。

昨日、卒業生が就職の内定報告に来てくれました。

テレビやニュースでは、特に大学生の就職難がよく話題に登りますね。50数パーセントの内定率だとか言っていますが、確かに高校生の就職も厳しいものがあり、そもそも求人があまり多くないのです。本校は高卒段階での就職希望者があまり多くないため、現段階でほとんどの生徒が決まっていますが、問題は進学した生徒だなぁと思っています。

専門学校や短大なら、もう来年には就活しなければなりません。今の生徒を見ていると、わずか一年足らずでどこまで成長してくれるか、かなり不安なのです。4年制大学に進学する生徒ならば、3年生での就活なので、まだ時間がありますから、それなりになっているだろうなぁと思うのですが。ただ、今年のデータを見る限りでは、あまり期待は持てないかもしれません。

ダイヤモンド・オンラインに石渡嶺司氏が「みんなの就活悲惨日記」という記事を書かれています。現在のところ、第2回目の記事が掲載されています。

第1回の「内定が出ない学生は何が間違っているのか~学生、大学、企業、親がすれ違う悲惨な現状」では、このような学生はいそうだなぁと思います。自分が受けようもしくは受けている企業についての知識が少ないというのは、大学選びでも同じだと思います。
面接練習に来る3年生は、自分が受ける大学のことを案外知らないで面接指導してくれと来るのです。そりゃ、こちらはいろいろと大学については知っていますが、それでもかなり変わっていますので勉強していますが、ホームページを見たり、大学案内を見たりは生徒もできるはずです。実際、ちゃんと大学から要項を取り寄せていますので大学案内も持っていますが、よく読まないでイメージだけで受験しようとしている生徒が多いような気がします。それもそれぞれの大学のというより、大学や学部の一般論的イメージを漠然と持っているだけで、大学案内を読めばすぐにわかるようなことも、きちんと把握していない場合もあります。
ですから、就活の時も似たような感じなのではないかと感じるのです。

おそらく、どこでもいいから内定が欲しいという学生が多いのではないでしょうか。とりあえずどこでもいいから、4大に受かればそこに行くというのと同じように。
内定をもらっている学生は、目標がはっきりしているというか、自分の思いがしっかりしているのではないでしょうか。目的の大学に入るために努力するのと同じように。
学校の勉強が出来る生徒なら、それでも大学ならいいところに入れますが、就職となると違うのです。

ですから、第2回の「いまや自己PRで「盛る」のは当たり前!? 就活学生に横行する“ウソ”と彼らの顛末」に書かれているように、盛っていても、あるいは盛ったから受かったとか落ちたとかではなく、 目的意識を持って就活に望んでいるか、そのための努力をしているかなのではないかと思います。ただ、努力と言うと、「努力しています」という答えが帰ってきそうですが、それは多分第1回の記事のような努力の方向が違うのだと思います。

最初に書いた内定報告に来てくれた卒業生は医療事務の専門学校に行ったのですが、その専門学校でも内定率は半分くらいなんだそうです。専門学校ですから、4年制大学よりは就職がいいはずと思っていましたが、ここでもやはり明確なビジョンを持っていないとダメなんだということが言えそうです。何故って、その卒業生は進学に当たって、本人なりの明確な将来設計をきちんと持っていましたから。

結局今年は、今まではなんとかなっていた学生が、現実の厳しさを付きつけられているという状況なんでしょうね。ただ、それでも指導の仕方はあると思います。むしろ、一度大学のゼミに帰って、教授とかに話をしてみたら、良いアドバイスが貰えるのではないかと思うのですが。多分、落ち続けている学生は、気持ちばかり焦ってしまって、それどころではないと言う感じなのでしょうが、それが間違いだとは気づかないでしょうね。気づけば受かるはずですから。

ただ、自分のことを考えて見れば、自分でなんとかしようとしたっけなぁ。でも、自分は要領が良かったのか、人と人のつながりの大切さだけには気づいていたので、知り合いの知り合いの、また知り合いくらいの関係でも、アポをとってもらったり、話をしてもらったりしたおかげで、なんとかなったという感じでしたし、親にはずいぶん迷惑をかけました。
今を懸命に生きることでしか恩返しができませんが、それで良いと自分では思っています。生徒には、「もし私のおかげと思ってくれるならば、あなたも誰かのためになってあげて」と言っています。

2010年11月22日月曜日

『COURRIER JAPON』 Vol.073 DECEMBER 2010

次号が11月25日に発売になるので、バックナンバーになるまえに紹介します。

特集は「世界を変える人の「発想法」」ということで、表紙に世界最大の投資持株会社バークシャー・ハサウェイの会長兼CEOであるウォーレン・バフェットとFacebookのCEOであるマーク・ザッカーバーグの写真が載っているのですが、ウォーレン・バフェットが渋い顔をしてアイスキャンディーのようなものを持っているのを見て笑ってしまいました。
この雑誌を読みかけで、机の上に置きっぱなしにしておいたので、たまたま居合わせたある女子生徒は、「このおじいちゃん、かわいい♡」って(笑)
まぁ、高校生にとってみれば、ウォーレン・バフェットがどんな人かなどは、あまり興味がないでしょうね。正直言って、私も「世界を良い方向に変えるために、君なら10億ドルをどう使うか」なんて、想像もつきませんから、関係ないかなぁって思いますけど。

ですから、マーク・ザッカーバーグの方がなんとなく親近感がわきますね。来年には映画が公開されたり、本が出たりしますし、Facebook日本語版もかなり会員数が増えているようですし、なによりマーク・ザッカーバーグの考え方は素敵です。

人生で最高のアイデアは、何があっても自分で守る。
お金がいくらもらえるかは問題ではない。長期的な考えかたをする人と手を結べ。
相手を出し抜こうとしない。常にオープンで正直であれ。
コミュニケーションを怠らずに。友人に電話し、同僚の助言を聞き、憧れの人には声をかけろ。

なお、Facebookがブログと同じような感じで使えるものなのだということを、最近やっと知りました。ちょうど、ダイヤモンド・オンラインにも、「今さら誰にも聞けない「Facebook」の使い方」という記事が載っています。私と同じような方はリンクを張っておきますので、ぜひお読みください(笑)

特集では、その他に、スティーブ・ジョブスやクレイグ・ベンター、ノリーナ・ハーツなどが紹介されています。

その他には、「「通貨戦争」勃発前夜」(この間のG20やAPECで回避の方向で一致しました。中国のインフレ懸念により、日本の円高がややドル安傾向に動いていますが、今後まだ注目していかなければならないですね)、「世界でいちばん子育てがしやすい国 ノルウェーの幸せな母親たち」などの記事が注目されます。

また、別冊付録に、8月25日東京大学安田講堂で行われたマイケル・サンデル教授の特別講義のうち、一番最後に話された「日本人と戦争責任」の講義録が付いています。 サンデル教授の「白熱教室」に刺激された私としては、この付録だけでも、今月号を購入して十分モトがとれたと思っています。
ただし、サンデル教授の、この部分の講義にはちょっと不満です。結局話しが中途半端で終わってしまっていますし(ある意味結論を避けた?)、 NHKでサンデル教授にインタビューしたときにも同じような質問をしましたが、話をそらしたような印象を持ちました。そりゃ、はっきりと良い悪いは言えないでしょうが、こちらとしては広島の式典に駐日大使が参列していたこともあって、もう少し突っ込んだ意見が聞きたかったという気がします(いちおう、話題が違うので、これ以上はやめますが)。

最後に、クーリエ・アラカルトのグルメ覧に、英国人のポテトチップス好きについて載っています。年間60億袋を消費し、「海老のカクテル風味」から「カンガルーBBQ味」まであるらしいです(「カンガルーBBQ味」ってどんな味なんでしょう?)。
ポテチって、アメリカってイメージがありましたが、イギリス人がそんなにポテチ好きだとは知りませんでした。よく考えれば、我々がイギリス料理と言って、真っ先に思い浮かぶ「フィッシュ&チップス」だって、ポテトフライでしたね。


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2010年11月21日日曜日

『週刊金曜日』2010年11月19日 第824号

沖縄県知事選が来週11月28日に迫っています。世間の関心はいかほどかと思っていましたら、今週の『週刊金曜日』は、まさにその話題です。

編集長後記は、私の疑問への回答でした。

「(前略)先日、地方のマスコミ関係者と話していて愕然とした。沖縄県知事選と表紙にあっても、読もうとは思わないと言うのだ。その人にとって沖縄は、まずリゾートという記号だと。おかしいかもしれないが、と付け加えて語った。(後略)」

先週号の『週刊金曜日』などでも、「本土の人間は沖縄問題に無関心であり、それが差別につながる」といった内容のものがあったように、本土の人間にとって、「沖縄県知事選が何なんだ?!」というのが一般的なのでしょうね。

けれども、「金曜日から」に成澤宗男氏が書いているように、「ペンの力を信じて、今週号を世に問う。」という姿勢はとても大切だと思います。私が、ここでこの話題を取り上げるのも、まさにそういう気持ちからです。

 ただ、沖縄県知事選に対する無関心さは、何も本土の人間だけではないようです。

[県知事選]この静けさは何だろう。

 県知事選挙が盛り上がらない。沖縄の針路を左右する極めて重要な選挙であるにもかかわらず、選挙の意義に見合うような熱気が、感じられない。一体、どういうことなのだろうか。

 

11月20日付の『沖縄タイムス』の「社説」に、こんな記事が出ていました。何故、そうなのか。その問題点も次のように指摘しています。

 

普天間問題の争点がぼやけ、中央と沖縄に「ねじれ」が生じたことは、いわゆる浮動層の知事選への関心を低下させる懸念がある。
 各陣営は他候補との違いを有権者にアピールし支持を訴えているが、現時点では、政策の違いが有権者に十分に浸透しているとは言い難い。

確かに、現状はそうなのかも知れません。しかし、「地元紙で識るオキナワ」のミチ氏が11月20日のブログで書かれているように、「今回の知事選の結果によっては、「沖縄の4年間」じゃなくて、「沖縄のこれからの100年間」が決まると思っているボクはちょっと暗くなりかけていた。」という気持ちがとてもよくわかります。県知事選の結果がどのようなものになったとしても、沖縄の向こう4年間の問題ばかりではなく、日本政府やアメリカをも巻き込む問題であることは間違いないと思います。

私のように沖縄の外にいる人間にはどうしようもできない部分があるわけで、だからこそなおさら思いが募ります。沖縄問題に関心のある人間は、やはり伊波氏支持でしょうね。しかし、今週の『週刊金曜日』にあるように、現状の沖縄で生活を考えるならば仲井氏支持にならざるを得ないというのもわかる気がします。 だからなおさら、沖縄の人たちには投票に行ってもらいたいですね。

「地元紙で識るオキナワ」のミチ氏が11月20日のブログで書かれている「沖縄を愛する全ての「誰か」へ贈るラブレター」、これに勇気づけられたミチ氏の思い、とても良くわかります。私もリンクを貼っておきますので、沖縄を愛する全ての方、ぜひ読んでください。

沖縄県民はぜひ投票に行って、自らの意志を表明してください。

沖縄問題に関心がある方は、何かの形で行動しましょう。そして沖縄問題に関心のない本土の人に、少しでも沖縄のことを考えてもらえるように努力してみましょう。


2010年11月20日土曜日

イタリアWILSON社製4色ボールペン

商芸文具さんで購入しました。


ゴールド軸とクローム軸があります。なお、写真は商芸文具さんのHPから拝借しました。

見た目の雰囲気がモンブランの4色ボールペンに似ているような感じだったのと、値段が安い(商芸文具さんでは、税込580円です)のに惹かれました。

かなり軽いですが、八角形でやや太い鉛筆のようで、個人差がありますが、私には持ちやすいです。欲を言えば、もう少し重くてもいいかなぁと思いますが。
芯が出るまでの、ノックのストロークが長いです。これももう少し浅めのほうが使いやすいかな。

芯は細字だと思います。インクの出もそれほど悪くなく、普通のボールペンの書き味です。他の4Cの芯と交換が可能だそうですが、個人的にはこのままでもいいのではないかと思います。

芯を交換するためには、芯のノックをいっぱいにまで押しこんで、芯を引っ張り抜きます。芯を入れるためには抜いたところに押しこんでいれるので、最後までしっかり入れるためには紙の上か何かで押し込む必要があります。これは正直ちょっとやりにくいです。

芯の先端はゴールドなので、ゴールド軸は良いのですが、クローム軸だとミスマッチです。気にしない方には問題ないのでしょうが、私はちょっと気になります。


ちょっとおしゃれで、クラッシックなボールペンをお探しの方には良いのではないかと思います。モンブランの4色ボールペンは、もうほとんど手に入らないですが(オークションでもかなりの金額です)、こちらは安いので、気兼ねなくガンガン使えます。手帳とセットで持ち歩くのにうってつけだと思います。

なお、同じボールペンだと思われる、クローム軸のものは、萬佳さんでも購入できます。

2010年11月19日金曜日

デジタルを活用した教育は、いつごろ実現できるのか?

11月18日付けのBLOGOSに、「これまでの教育をよりリッチにするもの」と題した、池田順一氏の記事(元ネタは、「アゴラ - 言論プラットフォーム」です)が出ていましたので、紹介します。

内容は、今話題になっている「デジタル教育」の話ですが、「デジタルを教育に活用する」という意味での、「デジタル教育」を話題にしています。
例えば、ドリル型教材の反復練習用とか、シュミレーション、動画などを教育に取り入れる学習などについてふれています。

このようなことなら、すでにやられている先生方もいらっしゃるはずです。教育実践の報告などを目にしたことがありますし、私の勤務校でも、パソコンでパワーポイントを使った授業を実践している先生もいらっしゃいます。

私も本当に時々ですが、パソコンで動画を見せたり、倫理の授業では般若心経の読経のソフトを使ったこともあります。

ただ、これらのことをやるためには、現在の学校ではまだまだ十分に機材等がありません。たまたま勤務校は、先進的にパソコンを一人一台導入していますが、それでも普通教室では使いづらいですし、持ち運びに便利な小型のプロジェクターやスクリーンはありません。ですから、どうしても利用が限られてしまうのです。おそらく、他の学校ではもっと不便でしょうから、なかなかデジタルを授業で積極的に利用するというのは、まだまだ難しい状況なわけです。

静岡県では、教員一人に一台パソコンを導入して、成績処理などに活用するために準備を進めていますが、今のところ、そのパソコンが使いづらいです。セキュリティ上の関係で(いろいろな事件がありますから、わからないことはないのですが)、やたらと制約が多いです。もう少し自由度をあげないと、なかなか授業で使うまでは難しいでしょう。それに、それを補う環境を整えた学校にしていかないと、パソコンの知識のある方が実験的に行うレベルをなかなか脱出するのは難しいのではないかと思います。 お金のかかることでもありますし、「デジタル教育」の本格化はまだまだ時間がかかりそうですね。

2010年11月18日木曜日

好きなことを職業のすることは、果たして本当に幸せか?

11月15日づけでBLOGOSに、「職業にして失うということ」と題した深町秋生氏の文章が載っていました(元ネタは「深町秋生のベテラン日記」というブログの11月15日の記事です)。内容は、タイトルに書いたようなものなのですが、好きなことを仕事にしてしまうと、それを嫌になってしまうというのが、自分も思い当たるフシがあるので、ここに取り上げてみました。

ブログに書かれているような、山下洋輔氏のようなバリバリのプロほどではないですが、私も小学校のころから歴史が好きで、大学に行けば好きな歴史を思う存分勉強できるんだと、ただひたすらそのことだけを思って大学に進学しましたから、学生時代はそりゃもう夢のような日々でした。朝飯を学食で食べ、授業に出て、空き時間は研究室や図書館で本を読みあさり、晩飯まで学食で食べて下宿に帰るという生活で、本当に幸せでした。ですから、当然仕事も歴史に関われることを求めて、最終的には高校教員になったわけです。

教員になってから、研究会の先輩方から、ぼちぼち執筆の仕事をもらえるようになり、また県教委で文化財に関わる仕事についた時期もありましたが、そのころから「好きなことでも、お金をもらう仕事となるときついなぁ」と思い始めたのです。

原稿を書くために、調査をするのはとても楽しいのです。今まで知らなかった史料にふれることができるわけですし、小さなことですがいろいろな新しい発見もすることができて、歴史の醍醐味はこれだという幸せを味わうことができるのです。
ただ、その成果を文章にするのがとても大変なわけです。新しい発見は、当然論文にして世に問わなければ意味がありません。それはわかるのですが、特に本にするための原稿書きとなると、締切りが決まっていますし、自分の好きなことを書けば良いというものではありませんし、原稿料をいただくので、ものすごく悩むわけです。歴史を純粋に楽しめなくなってしまうのです。
それを考えると、ただ好きで、楽しくてやっている方が、自己満足の世界ですが、どんなに楽か、と改めて思うわけです。

そのことを、深町氏も

好きなものを職業にするというのは、「自分がもっとも好きなものを、もう純粋に楽しめなくなる」「自分がもっとも愛したものを、もっとも憎悪するようになる」という悲劇やリスクがつきまうことでもある。ピュアな心を失うというか。」

好きなものを職業にできる、というのは誰もがその機会に恵まれるわけでもないので、それはそれでたいへんな幸福といえる。しかし、「もっとも好きなものは職業にしないでおく」という幸福も確実に存在する。」

と述べています。

全くの同感です。まぁ私のような二足のわらじの人間は、嫌になったらヤメれば良いので、それほど深刻ではありませんがね。ただ原稿を書く仕事が無いと、それはそれでちょっと寂しいという部分もあったりして、人間ってわがままですね(あ、わがままは私ですね)。

2010年11月17日水曜日

『誰にでもまねできる 人気講師のすごい教え方』

どなたかのブログで見て購入してみました(何のブログか忘れてしまいましたが)。

帯には「人前で教えるすべての人、必見!」とありますので、少なくとも教員である私にとっては使えるかなと思い、読んでみました。

序章  講師として必要な心構え
第1章  講義は事前準備で9割決まる
第2章  どんな人でも引きつける話し方
第3章  理解を200%深める方法
第4章  講義中ずっと集中させる方法
第5章  ありがちなピンチを切り抜ける方法

さすがに毎日授業を行っている私は、授業で緊張するということはほとんどありませんが、だからこそ人を引きつける授業方法を探しているのです。毎年、いろいろな方法をチャレンジしています。
教育学部を出ている方は「教科教育法」とやらで教え方を教わっているようですが、それ以外の学部出身の教員はそんなことを学んでいません。小学校・中学校の先生方は比較的教育学部出身者が多いでしょうが、高校の教員はむしろ教育学部出は少なく、教科制ということもあるので、その分野のプロパーではありますが、「教える」ことに関しては、個人の能力によります。
若いうちは、劇団員よろしく、台本代わりの教案に、びっしりメモを書きこんで、あるいは別の授業ノートを作って、何を教えるか、どう説明するか、セリフのごとくメモって、空き時間に必死に覚えて授業に望んだものです。先輩の先生方の授業をこっそりのぞかせてもらったり、ノートを見せてもらったりして、そのやり方をいろいろ盗んだりしました。その意味では、噺家とかの世界と同じように、教わるのではなく、見て盗んで、自分のものにしていったわけですね。

このような本に、もっと早く出会いたかったというのが本音ですね。もしかすると、昔も似たような本はあったのかもしれませんが、本書はかなり実践的で、よくある理論的なものではなく、著者の経験から得た具体的なやり方が書かれています。

特に感心したのは、「少なくてもよいので、絶対的な支持者を集める」という一言です。なぜなら、教員の世界でもそうですが、「その場にいる全ての生徒が、授業に参加すること」を良しとする風潮が未だにあるからです。しかし、よく考えればこれは無理な話なのです。生徒が40人いれば、本当に集中しているのは10人いればいいほうです。おまけに1コマ50分程度あることが多いでしょうから、その時間全部、全ての参加者がということはありえないのですが、研究授業などでは必ず「授業に参加していない生徒のフォローをどうするのか」が話題になります。

しかし、「パレートの法則」で指摘されているように、全体の2割が支持していてくれれば、それで成り立つのです。そもそも授業自体も、本当にポイントとなるのは、全体の2割なのでしょうから。

8割の生徒をほおっておいても良いと行っているわけではありません。50分の授業なら、その50分近くの時間を集中していることができる人間は2割だと言っているだけです。その2割の人間だって、毎時間毎時間集中していくことは不可能ですから、次の授業では、8割の方に入っている可能性が高いでしょう。ですから、教える側も、その日の授業のポイントになる2割をしっかり指摘してあげないといけません。本書は、その辺をきちんと踏まえています。

各章の最後にまとめがあるので、そのページをコピーしておいて、すぐに見られるようにしておくと良いかもしれません。

読み終わって、改めて自分の授業を振りかえってみると、この本に書かれていることに当てはまることが意外と多かったです。私もいつの間にか、すごい教え方かどうかは別にしても、それなりに「教える人」になっているようです。



2010年11月16日火曜日

『週刊金曜日』2010年11月12日 第823号

佐藤優 責任編集」「特集 沖縄と差別

もうこの表紙の文字だけで、ぜひ買ってください(別に『週刊金曜日』や佐藤優氏の関係者ではありません(笑))。

沖縄県知事選の11月28日投開票が近づく中で、その重要性を全面に打ち出している日本の雑誌は、おそらく『週刊金曜日』だけでしょう(別に調べたわけではありませんが)。
この県知事選の結果が、どれだけ大きな意味を持つのか、それは沖縄だけではなく、日本にも大きな影響を及ぼす問題であり、11月28日以降の日本の政治がどれだけ混乱するか、一般の日本国民はほとんど理解していないことでしょう。佐藤優氏が、それをズバッと指摘しています。
ですから、できるだけ多くの方に、今週の『週刊金曜日』を読んでもらいたいのです。

以前から『琉球新報』や『沖縄タイムス』をチェックしている私にはわかるのですが、いかに本土の新聞、『朝日新聞』や『読売新聞』がダメか、多少『朝日新聞』は「沖縄に対する差別」に気づいているようだと言っても、その報道の背後にある「差別的眼差し」に気づいていないのです。

本土の圧倒的多数は、沖縄をめぐる日米双方の動きについて、「沖縄の問題」であると思っているのであり、それが本土には関係がないと思っているから、メディアの姿勢次第でどんな色にも染まっていくわけです。
否、そのメディアも現在では、政治家や官僚の情報に左右されているから、政治家や官僚が沖縄をどう思っているかを反映したものになっているのです。
ですから、一部の政治家や官僚たちの思うようにさせてはならないのです。
沖縄につながる全ての人(沖縄県民だけではなく、沖縄からでた人々、沖縄を心のふるさととする人々など)が、一致団結していかなければならないと思います。

その意味では、佐藤優氏の言う「沖縄人」の意識の再確立は大切なことだと思います。ロシア語に「ナロードノスチ」(日本語では「亜民族」と訳すそうですが)と言う言葉があるそうですが、「沖縄人」はまさにそれなのです。

佐藤優氏の「沖縄人」の定義は、

1.沖縄人とは、沖縄共同体を祖先とする自己認識を持つ人。
  2.1以外の人で、沖縄共同体に参加するという意志を持ち、行動する人

と言うことなのですが、この定義には大賛成です。ただ何故「琉球人」ではないかというと、「幕藩体制の異国であった琉球王国の記憶と結び付くので、外部のニュアンスがより強くなる。」ので、「沖縄人」のほうが良いということらしいのですが、そのような理由ならばむしろ「琉球人」のほうが、「沖縄への差別」がより鮮明になるような気がしますので、私的にはやはり「琉球人」にこだわりたいです(私の「琉球」へのこだわりは、このブログの一番始めの記事を見てくださるとわかります)。

佐藤優氏の巻頭の文章もそれほど長くはないので読みにくいわけではありませんが、佐藤優氏が、沖縄社会大衆党委員長の参議院議員糸数慶子氏、佐高信氏と対談している、「座談会「沖縄人宣言」のすすめ 」のほうが、内容は巻頭の文章とダブっていますので、こちらのほうがより分かりやすいと思います。

また、佐藤優氏の巻頭の文章と座談会の記事との間に、四人の方の文章があるのですが、『小説琉球処分』の著者大城立浩氏の「いまさらの琉球処分」もなかなか良いです。
明治政府が琉球王国を併合したのは、「国防」のためだと述べられていますが、それは内務卿大久保利通が「清国」とのかかわりを意識してのことです。尖閣諸島をめぐる中国とのやりとりを見ていると、このこととダブって見えます。 そう考えると、尖閣諸島問題も沖縄を考えないと解決できないように思います。NPO法人ゆいまーる琉球の自治」で主張されている、「琉球独立」がますます現実的に必要な情勢になっているように思えてなりません。
もう一人、民主党衆議院議員の瑞慶覧長哲(ずけらん ちょうびん)氏の文章にある、「沖縄は歴史的にも文化的にも、「非武の島」と呼ばれた伝統を色濃く持っている。」という部分を読んで、以前何かで、ナポレオンが「非武の島」琉球王国のことを耳にして大変驚いた、と言う文章を読んだことを思い出しました(何の本か忘れたので、どういった内容か定かではありませんが。最近目にしたような気がするのですが・・・)。
それから、「政府も党も、「日米同盟の深化」などとも言うが、そもそも「同盟」とは軍事的意味が濃厚だ。」という文を見て、確かに新聞などでも「普天間問題」の時には、「日米同盟」を盛んに使っていましたね。いつから「日米同盟」というようになったのでしょうか?いつの間にかどさくさに紛れて、軍事的結びつきが強まっているということなのでしょうか?日本、危険ですね。


特集の最後には、「「沖縄の心」にふれ民族を考える」ための16冊の本が紹介されています。どれも、読みたい本ばかりです(さすがに16冊全部は金銭的にも厳しいので、せめて数冊手に入れて読みたいと思います)。


小説 琉球処分(上) (講談社文庫)
小説 琉球処分(下) (講談社文庫)

2010年11月15日月曜日

第15回朝日NIE講座(10月31日開催)

asahi.comのNIEのページに、第15回朝日NIE講座の様子が紹介されています。 パネルディスカッションのテーマは「新学習指導要領と新聞活用」で、その要旨が掲載されています。

来春から実施される新しい学習指導要領には新聞の活用が盛り込まれており、NIEに関わる関係者にとっては、どのように展開されていくのか、期待していることと思います。

パネリストの一人である、東京書籍小学社会編集長の堀畑仁宏氏は、新聞記事が多く登場する国語や社会の教科書を例示しながら、「教科書には限界がある。教科書と実社会をつなぐ橋渡しとして、現場の先生は本物の新聞を活用してほしい」とコメントされていますが、教科書には限界があることは、おそらく現場の教員はみんな分かっているはずで、しかし特に小学校、中学校では教科書を教えるので精一杯といった現実があるようであり、そのへんが現場の教員にとってはジレンマであることを教科書会社の人間はわかってくれているのだろうか。ただ、このようなコメントが教科書会社の人の口からでるのは意外な感じがします。
また、「「教科書どおり」という言葉は、子どもたちの学びが教科書にとどまっているということでもあります。新聞が採り入れられたことは「教科書どおり」を打破するきっかけになると期待しています。」とも発言されています。教科書会社の人間として、ここまで言っていいんでしょうか?(笑)ただ発言内容は、まさにおっしゃるとおりで、「教科書を教える」のではなく、「教科書で教える」 方向に、大きく一歩前進することが期待されますね。


新聞活用授業に取り組んできた川崎市立川崎中学校教頭の黒尾敏氏は、「いまは教師力が問われる時代。教師力とはまさに授業力であり、その意味で新聞活用が教材開発のチャンス、追い風になってほしいと考えています。」 とコメントされています。これは長年のNIE実践を行ってきた教員ならではの発言だと思います。特に中学校の先生の中には、教材研究に大変熱心な方が多いという印象がありますので、黒尾氏はまさにその実践者なのでしょう。このような方からすれば、やっと長年自分がやってきたことが陽の目を見るという感じなのでしょうね。このような先生の教育実践、ぜひ見てみたいですし、直接お話を伺ってみたいですね。

同じく新聞活用事業の実践者である東京都世田谷区立上北沢小学校教諭の羽賀絹恵氏は、「同世代の友人どうしで話してみると、教員が一番新聞を読んでいないかも知れない。教師がもっと新聞に目を通すことが必要ではないか。」とコメントされていますが、その通りだと思います。ビジネスマンは、いろいろな形で新聞の情報が仕事に活かされることが多いでしょうから、みなさん熱心に読まれるでしょう。特に日経新聞などは、その読み方や活用方を指南するビジネス本が多くありますから、やはり新聞を読んでなんぼという感じなのではないかと思いますが、教員は新聞を読んでいなくても仕事に支障が出ることはほとんどありませんからねぇ。

ただ、あまりに「新聞を活用しよう」と言うと、現場にとっては重荷になりかねません。今後、実際そのように感じる教員も多いのではないかと想像します。NIE実践者は理解しているはずですが、「 新聞はあくまでも教材のひとつである」ということをアピールする必要があるのではないでしょうか。「教科書や新聞などを使って教える」ということを理解していないと、やることが増えたと感じてしまう教員も出てきてしまうでしょう。
そのような状況に陥らないためにも、黒尾氏の次の発言はとても大切だと思います。

現場の教師としては「新聞の前に教育」、その意識を持ちたい。子どもたちにどんな力をつけたいか、その力をつけるためにどんな教材をどう使うのが効果的か。なぜ新聞という形式を選ぶのか。教師のねらい・目的を明確にした上で、新聞がもっとも効果的だから選ぶ。そこを見失ってはいけない。これからの知識基盤型社会で求められているのは、新しい局面に立ったとき、これまで学んだ力を活用して未習分野に挑んでいく力。一つの読み物に別の教材をぶつけると新しい視点が得られる。ぶつける相手として新聞が持つ可能性は高い。教師にとって教材開発の力が問われるとき、新聞は有力なメディア、というところから出発してほしい。


新しい学習指導要領によって、NIEの実践が増えていくことを期待する思いは、NIEを実践している私にもあります。
それと同時に、新聞を活用していく上で、「メデイアリテラシー」についても意識する必要があることを指摘しておきたいと思います。それを意識してNIEを実践することは、民主的な世の中を作っていくことに、多少貢献できるかもしれないなぁと思っています。

2010年11月14日日曜日

2010年11月14日BLOGOS最新記事より

BLOGOSの今日のトップページの最新記事一覧から、気になる記事を二つ見つけたので、それらについて少しコメントしていきます。

一つめは、テラケイ氏のブログ「テラ多事寸評」より、11月14日づけ「人間性なんてアテにならない?!」です。

マルコム・グラッドウェル著、勝間和代訳『THE NEW YORKER 傑作選3 採用は2秒で決まる! 直感はどこまでアテになるか? (マルコム・グラッドウェルTHE NEW YORKER傑作選)』の書評です。

Amazonから目次を引っ張ってきました。


第三巻では……
就職面接に強い学生は何が違う?
将来、成功しそうな人物はどこでわかる?
ベストセラー『天才!』『第1感』の原点となった作品も収録!

第14章 大器晩成  
早熟の天才だったパブロ・ピカソと、人生の後半期に才能が開花したセザンヌ。両者の違いはどこに? 「大器晩成」であるための条件とは? 

第15章 成功しそうな人
「クォーターバック問題」という言葉がある。将来NFLで活躍できそうなクォーターバックを確実に見つけることは可能か? では、未来の優れた教師をピンポイントで採用することは?

第16章 危険なプロファイリング
殺人事件捜査の一手法としてすっかりお馴染みになった「プロファイリング」。だが、代表的なプロファイラーたちの業績を詳細に調べた結果、彼らが“トリック”を使っているだけだったとしたら?

第17章 “才能”という神話
かつて、巨大エネルギー商社として栄華を誇ったエンロン。巨費を投じてスター級の人材を揃えたこの「エリート軍団」は、なぜあっけなく崩壊してしまったのか? 

第18章 採用は2秒で決まる!
就職面接に圧倒的に強い学生。どんな人気企業の担当者でも、大物経営者でもたちどころに虜にしてしまう才能を持っている。その秘訣は、はたしてどこにある? 

第19章 トラブルメーカー
“危険な犬”として、一部の自治体では飼育が禁止されているピットブル。だが、「ピットブル=危険」という構図は何かがおかしい。“危険な犬”とされてしまった本当の原因とは?



上記の内容ですが、その中でテラケイ氏が第18章の「採用は2秒で決まる!」(本書のタイト ルにもなっているので、この本のメインの話なんでしょうね)についてコメントしています。
第18章は、要するに人間は第一印象が、その後も長く判断の基準と なり、容易に変わらないということが書かれているようなのですが(直接本を読んでいませんので、テラケイ氏のブログ記事からの判断ですので、間違っている かも知れませんが)、以前からも第一印象がとても大事であることは、多くの心理学関係本やビジネス本、マナー本で言われていることなので分かっているつも りなのですが、改めてやはりそうなのかという感じです。

マルコム・グラッドウェルって知らなかったのですが、略歴を見ると、

「1963年、イギリス生まれ。カナダのトロント大卒業後、米紙ワシントン・ポストの記者に。その後、雑誌「ニューヨーカー」の記者として活動するかたわら、著作活動を始めた。」

ということで、ビジネス関連本の世界では売れっ子のようで、他にも『天才!成功する人々の法則』などの著作があります。


気になったもうひとつの記事は、小川浩氏の「Facebookは国内においてもmixiを2年以内に抜く」です。
私 の場合、SNSにはあまり興味が無く、mixiもやっていませんが、Facebookに関しては、『クーリエ・ジャポン』DECEMBER 2010  vol.073でCEOのマーク・ザッガーバーグのことが出ていたので、とても気になっていたところです(『クーリエ・ジャポン』DECEMBER  2010 vol.073については、また後日ここで紹介するつもりです)。

『クーリエ・ジャポン』の記事で読む限り、アメリカでの拡大のスピードは想像を絶するもので、その後の世界での広がり具合を考えると、小川氏の言うように、2年以内でmixiを抜く可能性はかなり高いのではないかと思います。もしかすると、2年もいらないかもしれません。
た だ、小川氏も触れていますが、従来のmixiユーザーは匿名性に慣れている、あるいはそれが故にmixiを利用していると思われますが、Facebook は実名で行なう例が多いようなので(必ずしも実名でなければならないということではないようですが)、mixiユーザーの乗り換えがどれくらいあるのか なぁと思います。全く新規の人間がFacebookに行くのではないかなぁと思っています。

しかし、日本人は実名がネットに出るのを嫌うのではないかとも思います。何か批判されるのではないか、犯罪に巻き込まれるのではないかなど、不安ですよね。
そ ういう私も、Facebookに興味が出てきましたが、私の場合は実名に関する不安もありますが、それよりもFacebookで何が出来るのか、やること のメリットは何なのかが、イマイチわかっていません。もう少し研究してみたいと思っていますので、なおさら小川氏の記事が気になったわけです。

小川氏の記事には、小川氏のFacebookのページへのリンクが貼ってありますので、拝見させていただきましたが、「HORIPRO GIRLS」が気になってしまいました(あぁ、俺ってミーハー(笑))


2010年11月13日土曜日

『イギリス近代史講義』 (講談社現代新書)

BLOGOS を見ていたら、アクセスランキングのところで、池田信夫氏がタイトルにある本を紹介している記事が出ていたのですが、ちょうど私も今日読み終わったばかりなので紹介します。

著者の川北稔氏は、ウォーラーステインの近代世界システム論を紹介した西洋史の泰斗ですので、本書も当然内容は大変高度ですが、大学での講義が元になっているようで、Amazonのレビューではそのために重複や説明不足などがあり残念であるとされていますが、入門書と言う観点では、十分過ぎる内容であり、基本的な内容をきちんと押さえており、不足を感じる方には、巻末に「さらに学びたい人のために」とする文献案内がついているので、それをもとに他の書籍を当たれば良いのです。

【目次】
プロローグ 歴史学は終わったのか
第一章   都市の生活文化はいかにして成立したか――歴史の見方
第二章   「成長パラノイア」の起源
第三章   ヨーロッパ世界システムの拡大とイギリス
第四章   世界で最初の工業化――なぜイギリスが最初だったのか
第五章   イギリス衰退論争――陽はまた昇ったのか
エピローグ 近代世界の歴史像

本書の帯には、「大英帝国の興亡から現代日本を考える」と書かれています。本書はここ最近の社会情勢を、過去の事例を参考に考えてみようという講義本です。私が日頃から言っている、歴史に学ぶという視点で書かれている本ですので、私的にはとにかくオススメの本です。

プロローグで、センター試験で世界史受験者が地理に抜かれ、世界史が受験生に嫌われているようだ、と書かれているが、この現象は日本史でも同じだと思います。
受験生ならほとんどの人が知っている、山川出版社教科書、『詳説世界史B』や『詳説日本史B』は400ページほどあり、地理の教科書などに比べても、文字の大きさが小さいということで、かなり苦労することが予測されるため、人気がいまいちです。地理と比べると、日本史や世界史の方が受験で使える大学が多いため、仕方なく学ぶ高校生が多いです。
世界史はギリシア・ローマから始めるので、人名に「~ス」が付くものが多く、それが混乱の原因となって、世界史嫌いが増えているようです。「カタカナ、わかんない」と行ってくる生徒もいますが、「君たちねぇ、カタカナって日本語だよ。」というと、「日本語、ムズイし、ちゃんと使えないから。」と言ってはばならない生徒もいますので、人気が衰えるのも仕方がないご時世のようです。

しかし、昨今の社会情勢だからこそ、歴史を学ぶ必要があるのです。その意味で、本書は高校生には難しいですが、決して理解出来ないものではありませんので、値段も760円(税別)と手頃なので、歴史好きな生徒には、おすすめです。また、もちろん大学生ならば、ぜひ読む価値があります。

 

 



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2010年11月12日金曜日

Benesse教育情報サイト「教育ニュース」2010年11月8日

大学教育も就職支援がカギ? 文科省が事業選定」と題された、大学卒業後に職業人として自立していけるよう、学生を育成する取り組みをしている大学などを支援するための事業に関するニュースです。

学生を社会や職業に円滑につなげていくことが大学教育の大きな役割だという考え方が、その背景にあるそうです。 確かにその通りなのですが、

大学全入により、職業人としての基礎的能力が低い学生が増えたと言われています。一方、企業側も、自前で新卒者を一人前の職業人に育成する余裕がなくな り、入社前にある程度完成された人材を求めるようになってきました。このため、学生に対して、職業人としての基本を身に付けさせるという役割が、大学に求められるようになったのです。

ということだとすると、 大学だけでその目的は達成できるのだろうかと疑問に感じます。

というのは、大学に進学する高校生の段階から職業意識を高めていないと、大学だけでは不十分なのではないかと思うからです。

意識の低い高校生の中には、何のために大学に進学するのか、十分に考えないでただなんとなく進学するような生徒もいます。「高校時代にやりたいことが見つからなかったから、大学に行って考える」という意識の生徒が、案外多いのではないかと言うのが実感です。

ただ、高校時代に何も考えていなかった生徒が、大学に行ったからといって、そう簡単に職業について考えることができるかと言えば、それはかなり難しいのではないかと思うのです。昨今の不況の中、無事に就職を決めた学生は、おそらくかなり意識の高い学生であり、多分漠然とながらも、何かしらの目標を持って進学した者が多いのではないかと思うのです。

私自身は3年生の指導の中で、将来の展望をそれなりに考えてないと進学しても意味が無い、ということを指導しているつもりですが、なかなか将来の仕事に結びつけるように考えさせることは難しいのですが、卒業時に何らかの考えを持っていない生徒は、残念ながら進学後あまり良い話を聞きません。卒業後に、高校に遊びに来ながら相談していく卒業生も結構いるのですが、そのように危機意識を持っている者は良いのですが、厳しい者に限って、相談にも来ないですし、大学等での支援にもしっかり参加していないようなのです。

まぁ、最終的には本人次第ということになるわけですが、何事も早いうちから取り組んでおけば、なんとかなるのではないかと思うのです。だからといって中学生ではまだいろいろなことが十分分かっているとは言えないので、やはり高校生になってから、「就業力育成」に取り組んでいくことが必要なのではないかと思います。

ただ、その分高校教員の負担は増えることになるので、高校教員からは反対の声が上がりそうですが。しかし、私以外にも早めの準備の必要性を感じている高校教員は他にも居ると思いますので、多少の賛同は得られると思いますが、どうでしょうか?


 

2010年11月11日木曜日

ブログ「経済ニュースゼミ」(2010年11月10日)の記事を読んで

小笠原誠治氏のブログです。11月10日は「金本位制」というタイトルでした。

「金本位制」と言われても、何のこっちゃという方が多いでしょうね。いちおう近代の歴史を勉強しているものにとっては、当たり前の話です。

日本で言えば、昭和の初期のころまで、金融の中心だったイギリスが金本位制を採用していたため、欧米では金本位制が一般的でした。
日本も近代化の中で、欧米に追いつくために金本位制を採用したかったのですが、金の保有量が十分ではなかったため、やむを得ず最初は「銀本位制」になりました(「銀本位制」は中国を中心としたアジアでは一般的でした)。なんとかして欧米並になりたかった日本は、日清戦争の賠償金でやっと「金本位制」を確立したのでした。

その後、第一次世界大戦の時に、一時期金本位制をやめていた日本が、昭和初期の世界恐慌の時に、金本位制に復帰しましたが、旧平価だったため、昭和恐慌の原因となってしまったのは有名な話ですね。

ところが、前述したようにその後イギリスが金本位制を停止し、ブロック経済に移行していったがために、世界中がブロック経済の保護貿易政策に移行し、日本が経済的に追い込まれてしまったわけです。

ですから、近代日本にとっては「金本位制」とは、苦い思い出ばかりなのです。

で、「金本位制」の話が出てくれば、「兌換紙幣」と「不換紙幣」の話になるわけですが、高校の授業で、「金本位制」や「兌換」「不換」の話をすると、とたんに生徒はポカーンとします。

現在の日本銀行券は「不換紙幣」なのですが、 小笠原氏のブログにもあるように、「不換紙幣」でも金を購入できるので、「兌換紙幣」とどこか違うのが、そもそも現在の紙幣が「不換紙幣」であることの認識がないので、「兌換紙幣」と「不換紙幣」の違いを言われても、何のことだかわからないというようなのです。

確かにそのような反応は仕方が無いと思います。私だって、たまたま近代史を学んでいたから理解出来ているのであって、そうじゃなければ難しい概念ですよね。自分で授業やってても、もっと分かりやすく説明できないか、毎回悪戦苦闘しています。

そんなことから、小笠原氏のブログは難しいかも知れませんが、ただ「金本位制」の問題に関してかなり分かりやすい説明だと思いますので、かなり良いと思います。その他も、やや難易度は高いですが、経済の勉強ができますので、興味のある方は一度覗いてみると良いと思います。メールマガジンもなかなか良いですよ。

ちなみに最新のブログは、「尖閣ビデオ」の話題です。

2010年11月10日水曜日

ブログ「アゴラ」より、「大学とは何か?」を読んで

BLOGOSで、11月8日(月曜日)に出ていた松本徹三氏の文章です。

全ての研究が現実社会のニーズに直結すべきだとは思いません。当然、純粋な基礎研究もあってよいし、一生脇目も振らずにそういう研究に没頭する人もいてよ いと思います。しかし、それは比較的少数であって、多くの先生方や学生達は、もっと実社会に直結した感覚を持って然るべきと思います。もっと目的意識と競 争意識を持ち、時間に対してもセンシティブであるべきです。

松本氏の主張のメインはこれだと思いますが、これは学問分野にもよるでしょうね。
確かに、もっと実社会に直結したものを教えるべきであるという部分もありますが、大学は「物の考え方」、「調べ方」などを学ぶべきところで、卒論や卒業研究などは、訓練の一環に過ぎないのであって、大学の卒業が学問の入り口であると思います。

それが実社会に出たときに役に立つはずなのであって、大学で実社会に直結したことを教えたとしても、考え方の基礎ができていなければ、よけい社会にでても役に立たないのではないでしょうか?

まぁ、企業などはそもそも、大学はそのようなことを学ぶべきところなのだという認識が薄いので、大学での勉強は役に立たないと言っているんでしょうし、学生もそれを鵜呑みにしている部分があるので、大学は社会にでたときに役に立つことを勉強しないと、よけい学ばないようになってしまっているように感じます。社会全般がそのようなイメージなので、高校生の段階ですでに大学は役に立つことを学びに行くところではないと思っている節もあります(一時あった、大学のレジャーランド化という話が未だに尾を引いているような部分もあると思います。4年制大学は遊べると思っている高校生は多いと思います)。

歴史の浅い大学の中には、実社会に直結したことを教えないと、それを売りにして学生を集めないとやっていけない大学も多いのではないかと思います。そういうところは、それでいいと思います。それを目当てに進学してくる高校生も多いでしょうから。しかし、本来大学は基礎研究をやるべきであって、伝統校を中心にその方向性を守っていくことが必要だと思います。

私自身は、大学で「物の考え方」や「調査の仕方」などを学んだことが、その後の人生に大いに役立っています。大学時代にそのようなことを教えてもらえたからこそ、今の自分があると思います。大学に進学するときに、そう思って進学しましたから、授業の無いときには、図書館に陣取って、手当たりしだいに本を読みましたし、大学生協でも気になる本はかたっぱしから購入して、おかげで大学4年間の間に、本の重みで押入れが二度も底が抜けてしまいました。そのような時間は学生時代しかないでしょう。

要は学生個人の考え方一つだと思います。大学は勉強するために行くのですよ、高校生諸君!

2010年11月9日火曜日

『週刊ダイヤモンド』2010年11月6日特大号

最新刊はもう出ていますが、やっと読み終わったので、紹介します。

特集は「みんなのドラッカー」です。ドラッカーと言えば、『もしドラ』で大変注目されていますね。
どうも、個人的には『もしドラ』のあの表紙は、萌系アニメのイメージが強くて、ちょっと抵抗があります。まぁ、世間一般では、逆にそれが良かったのでしょうが・・・。
それに『もしドラ』と言われると、「もしもし、ぼくドラえもん!」しか頭に浮かんでこなくて。おまけにアニメ化も決定したそうで、なおさら別の本のイメージが強くなりそうで、結局未だに手にしていません。

いいんです。やはり学問は原書に戻るのが基本ですから、『マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版]』を買いますから(ただ、やっぱりこれだけ話題になっていると、気になります。『もしドラ』も買おうかなぁ)。
 まだ読んでいませんけど、『ドラッカーの講義 マネジメント・経済・未来について話そう』も買ってありますので、こちらについてもそのうち紹介するつもりです。

それで、『週刊ダイヤモンド』の方ですが、もうこれは絶対買いです!もう一冊買おうと思っています。特集部分だけを切り取れば持ち歩くのに便利ですから。以下、『週刊ダイヤモンド』のHPからの引用です。

 「Part1 ドラッカー“最後の授業”」は、2005年3月21日、95歳のドラッカーがドラッカースクールで行なった最後の講義の内容を初公開します。
 「Part2 今だからこそドラッカー&『もしドラ』」では、中学校の生徒会長からデパート店長まで、『もしドラ』を読んで目の前の難題を解決していった実例を追います。『もしドラ』の図解や自分でやってみる「活用シート」も付いています。
 「Part3 学校・会社に広がるドラッカー」では、高校野球、中央大学陸上部、学習院大学アメリカンフットボール部、明治大学登山部などの大学スポーツ、メガネチェーン、ヘアサロン、糖尿病治療の現場などにおける活用のケースを紹介します。
 「Part4 もっと!『もしドラ』&ドラッカー」では、NHKでアニメ化が決まったことを記念して、著者の岩崎夏海さんとNHKエンタープライ ズのアニメ事業部長が対談し、『もしドラ』の秘話、アニメ化の舞台裏を教えてくれます。また、みなみが教科書とした『マネジメント〔エッセンシャル版〕』 とはどんな本か、『もしドラ』の次に読むならどんな本がいいか、を解説します。
 「Part5 わたしのドラッカー」には、名だたる企業トップ、文化人9人が登場し、それぞれのドラッカーを語ります。
 「Part6 ドラッカー名言集」では、日本のドラッカリアンへのアンケートで挙がった「名言トップ30」について、ドラッカーの世界を最もよく知る上田惇生氏が解説してくれます。

私は特に、 「Part1 ドラッカー“最後の授業”」と「Part6 ドラッカー名言集」が良かったです。ドラッガーにはまりそうです。

2010年11月8日月曜日

『週刊金曜日』2010年11月5日 第822号(その3)

話題を変えて、「大塚将司の経済私考」から。

「為替・貿易のアナーキズムの是非を問え」、「日本は国際的管理スキーム模索をリードせよ」という話です。

「第二次世界大戦の勃発は、金本位制が崩壊し、ブロック経済圏の構築により保護貿易に走ったのが要因となった。」という話が最初に来ていますが、これはそのとおりだと思います。
特にイギリスが金本位制を離脱したことのショックは、当時の世界経済に大きな影響を与え、世界恐慌による昭和恐慌の影響から、まだ十分立ち直りきれていなかった当時の日本経済を直撃し、満州事変のショックがそれに拍車をかけて、日本が戦争への道をひた走る結果となったのです。
特に地方はそれによって大きな打撃を受けるのです。ですから、「二・二六事件」で青年将校たちが憂いた地方農村の危機を何とかしなくてはならない状況が、大陸へと向かうことになるのです。
私が調査した地域でも、金融恐慌の時にはなんとか持ちこたえた地方の中小銀行が、イギリスの金本位制離脱、満州事変により、「取り付け」になった銀行が見受けられるのです。

戦後のブレトン・ウッズ体制は、その反省から生まれ、ドル金本位制と呼べるシステムで、それを前提にGATTが締結され、自由貿易体制を目指したものです。で、それがたまたま大成功し、西側資本主義諸国は、史上類を見ない高度成長を果たしたのですが、それは本当に運良く成功したのだと思います。
しかし、西側資本主義諸国は、その成功がさも当然の成行きであったがごとく勘違いしたため、71年のニクソン・ショックにより、73年のブレトン・ウッズ体制の崩壊後も、GATTの自由貿易体制をストップさせることなかったがゆえに、現在の状況になってしまったのだと思います。

変動相場制に移行後の為替相場は、まさに無政府状態、アナーキズムで85年のプラザ合意もたまたまうまくいったにすぎず、世界経済にとって為替・貿易のアナーキズムは、けっして望ましいことではない、むしろ改善しなくてはならない状況だと思うのです。何らかの国際的な管理スキームが必要な状況であることは間違いないと思われるのです。

ただ、それを日本がリードできるかといえば、それは無理でしょう。昨今の政治状況を見る限り、国際経済システムの大改革を、日本が主導的役割を果たすことなど、できるとは思えません。
そうなると、どの国がリードするのかなぁ?アメリカは中間選挙の結果でオバマは弱っているし、EUも無理そうだし、ここで中国が出てくると今後面倒なことになりそうだし、韓国とかインドあたりか、あるいはブラジルかなぁ。しかし、どこもピンとこないですねぇ。やっぱり、日本にもっとしっかりしてもらって、頑張ってもらうのが一番いいんですかねぇ。

『週刊金曜日』2010年11月5日 第822号(その2)

「「家族」ってなんだろう?」の中からもう一つ。

「時代は「婚活」から「親婚活」へ?!」という記事。つまり、結婚する子どもが「婚活」をするのではなく、親が「婚活」をするのが、名古屋で登場しているという話ですが、これ、まんざらでもないと思います。

そもそも、「恋愛結婚」が多くなったのは、比較的最近の話で、それまではもっぱら親や親戚、近所の人達が縁談を持ち込んできたのが一般的だったのですから、ある意味それにもどったわけです。ですから、近代史を勉強している私にとっては、そういう話は普通で、それほど驚きの話でもないです。昔(私の専門は日露戦後から昭和初期くらいまでですので、私のいう「昔」はそのあたりのことですが)は、結婚式当日まで相手の顔を知らなかったなんて話はざらですから。

だいたい、結婚って当人同士のつながりだけではなく、むしろよっぽど家同士のつながりの部分が強くなるわけで、「親婚活」ならば、「家」として縁談をまとめることができると思いますので、案外うまくいくのではないかと思うのです。いちおう、本人同士のデートもあっての話ですから、そこで悪くなければ、「親の反対で・・・」ということもないわけです。

ただ問題は、この記事に出てくる子どもが三十代というのが少し気になりますね。このくらいの年齢ですと、もうすでに自分の生活パターンが決まってしまっているので、これから新しい生活に向かっていくということに対して、抵抗がでてしまうのではないかという点です。その年齢まで結婚しなかったのは、単に出会いに恵まれなかったというだけではなく、今の自分の生活を変えなければならないという覚悟を、決めることができなかったからなのでないかと思うからです。

ただ、少子化の現在、少しで多くのカップルが生まれて、新しい命が増えるチャンスが生まれることは、とても大切な事ですから、こういうカタチの「婚活」が全国に広まるとおもしろいと思います。この記事の「親婚活」の結果も、記事にならないかなぁ。

2010年11月7日日曜日

『週刊金曜日』2010年11月5日 第822号(その1)

創刊17周年記念号なんだそうです。おめでとうございます。

今週の特集は、「「家族」ってなんだろう」です。
表紙にも使われている浅田政志氏の、「みんな家族」の写真企画、いいです。

女房のお父さんが写真好きで、いろんな場面で写真をとってくださるので、我が家にはアチラコチラに家族の写真があります。子どもの写真もそうですが、何よりも昨年亡くなった父の写真を大量にプリントしてくださったのが、何よりも嬉しかったです。自分たちの「記録」がそれぞれの写真に凝縮されていて、それが「記憶」と結び付いているのが家族の写真なんだということを改めて実感しました。

「「家族」ってなんだろう」って、編集後記である「金曜日から」でも、「一度で語り尽くせるテーマではありませんので、」と書かれていますが、まさにそのとおりです。

商売柄、いろんな家族を見ます。ほっとする場面もありますが、やはり様々な問題を感じる場面も多々あります。特に、今週号の中山千夏氏の母娘関係に関しては、中山氏の書いている内容ほどではなくても、いろいろな問題を感じます。

母親の存在の大きさは、息子でも同じだと思いますが、特に娘だと同性ということもあって、問題が複雑にならざるを得ないのでしょう。私自身も、自分が実際に出会った事例から考えて、「母親は時によっては存在悪となる」ものだと考えています。場合によっては父親もそういうことになる場合もありますが、その影響は母親ほどではありません。
子どもが、母親の存在をうまく乗り越えることができれば問題ではないのですが、その壁はかなり高く、うまく乗り越えられずに苦しむ事例があるのです(中山氏がまさにそうなのでしょう)。
母子関係の問題は、ある意味、様々な問題の基本としてとらえてみる必要があるように思うのですが、何故か世間一般では、それを回避するような傾向にあるように感じます。別に私はすべて母親が悪いと言っているわけではありません。それだけ母親の存在は子どもにとって大きいものなのであり、母親自身が感じるよりも、その何倍もの影響があるということを、親になったら知っておいて欲しいと思うのです。

家族の関係は、家族の時間の経過とともに変化していく必要があります。「家族の絆」という枠組みは同じでも、その中身は変化していかなければいけないのです。ところが、それが十分理解されないことが多く、理解していても変化することを恐れるのか、特に母親がそれを拒み、ダメにしてしまうことがあるように思います。また、そのような場合、その子どもが親になったときに、その関係を再生産してしまう可能性が高いと思います。「負の循環」は簡単には断ち切れません(昨今のデフレしかりです)。

しかし、この世の中に、何時までも変わらず、変化しないものは何一つありません。「諸行無常」なんです。だから、それを受け入れることが大切なんだと思います。
結婚して新しい家族ができ、子どもが生まれ、親は年を取り、やがて亡くなり、世代が変わっていくのです。しかし、それが「記憶」として引き継がれていくのが、人類の「記録」、つまり「歴史」なんだと思います。

「家族」や「母親」の問題については、正直言って難しいのですが、できればまた改めて別の機会に論じてみたいと思っています。

2010年11月6日土曜日

「尖閣ビデオ」流出事件で、その後の反応を見て思ったこと。

中国漁船衝突事件のビデオの「流出」について、ネットやテレビなどの報道を見ていると、どちらかと言えば、「流出よくやった派」が多いような感じを受けます。

確かに、多くの国民がそのビデオを見たかった、気になっていたのは事実でしょう。それにそのビデオが一つの「証拠」にされているのですから、多くの人間の目で見て確認する必要はあったのかもしれません。それを政府が公開しないとしてしまったところに、今回の事件ですから、中国漁船の船長が中国に英雄扱いで帰っていったのと同じような感じでとらえている人も多いように思います。

ただ私からすると、「やっちまった」という思いです。前回のブログでも書きましたが、今回の「尖閣ビデオ」(この表現があちこちで使われているので、私も使います)、「国家機密」なんですよね。それを公務員であるはずの人物(少なくとも、ビデオが保管されている組織は政府機関ですから、それを流した人物は内部の人間のはずですから、公務員ですよね)が行ったということは、完全に職務命令違反あるいは守秘義務違反にあたるはずなのです。「機密漏洩」なんですよ、今回の事件は。やっぱり、まずいですよ。

このような問題に対する反応は、若者のほうが敏感なのかもしれません。勤務校の生徒も意外と知っていて、「先生、これってやばくない?」と聞いてきた生徒もいます。何でそう思うのって聞いたら、「だって、これを流したのって、多分国の人でしょう?それってやばくない?(漢字が苦手な今時の若者なのでボキャブラリーに乏しいのですが、言いたいこと、わかりますよね)」ということなのです。

「尖閣ビデオ」の「流出」事件を歓迎するムードの日本って、ある意味かなり「やばい」国家になっている気がします。

この問題に関するコメントでおもしろかったのは、「Chikirinの日記」でのChikirin氏のものです。

「新聞やテレビで、You Tubeのついての説明がかなり詳しかったのは、今時新聞を読んでいるような人はYou Tubeを知らない人が多いからだし、テレビでYouTubeというものがあることを初めて知った人が多いのではないのか」というのを読んで、なるほどと思いました。

言われてみると、確かに5人家族の我が家においても、You Tubeがわかるのは私だけ(子どもは知らないのは同然ですけど)ですし、女房の実家のお父さんやお母さん、近くに住む叔父、叔母もわからないと思います。自分に近い人間のうち、半分以上は「You Tubeってのがあるんだ」って感じだと思いますので、
 
Chikirin氏が指摘するように、

「まとめると今回のビデオ流出で、
・一番得をしたのはグーグル先生
・一番損をしたのは、既存メディア
・そんなことは関係なくどうせアウトなのは、菅政権
・グーグルも日本もウザイぜ、と思っているのが中国政府」

というのは、的を射ていますね。

やっぱり、菅政権は「アウト」ですね。
ただ、ねじれ国会のせいで、一時廃止かと思われていたのに継続されそうな「教員免許更新制」は、「アウト」の政権でも何でもいいので、無しにして欲しいなぁ。あれ、いろいろ問題があるんですよ。まぁ、この話題は近いうちに改めて。

2010年11月5日金曜日

ビデオ流出はモラルが問われる問題。

あ~ぁ、ついに出ちゃいましたね。どう考えたって、「流出」ではなく、誰かが意図的にネットに流したんでしょうね。
問題のビデオは、3カ所にしかないということですから、どう考えても内部の人間の仕業でしょう。

ビデオの内容自体は、「あぁ、ぶつかってきているなぁ」って感じに見えますが、それはいいとして、問題のビデオは、いきさつはどうであれ、公開しないという判断で、国家機密なのですから、それを流してしまうなんて、少なくとも公務員としての職務権限に違反しているわけです。
先日も国家機密が流出したばかりであることを考えると、日本の公務員のモラルが問われる問題です。公務員とは言っても当然いろんな人間がいるわけですが、少なくとも日本国憲法を遵守すると宣誓した人間のはずです。

確かに、ビデオを公開しないという判断が適切であるかどうか、中国の反応を意識すると、その前の対応が失敗していることを考慮しても微妙なところですが、だからといって、個人の判断で、国家の意志に反する行為は問題だと思います。ことによっては、その行為が国民にマイナスの影響をもたらす危険性もあるのですから。

私自身は、それほど国家に忠誠を尽くすとか、そういう気持ちはあまり強くありませんが、ただ、このように国家機密をしっかり管理できない日本って、単純にまずい状態なのではないかと思うのです。ネット上では、賛否両論あるようですが。

いちおう私は、「よくない」方に一票(笑)

2010年11月4日木曜日

ブログ「Chikirinの日記」2010年11月3日の記事を読んで

昨日11月3日のBLOGOSで「あらたな新聞の効用」というタイトルのブログの記事がでていて、昨日読んで、なるほどと思いましたので、取り上げさせていただきます。

最近は、新聞もすっかりいまいちなメディアになって、私自身は新聞を取るのをやめてしまっていますが(にもかかわらず、NIEに取り組んでいるという矛盾(笑))、時折読むといい記事が出ていることもありますので、子どものことを考えると、今後は取ったほうが良いかなと思っていますが。まぁしばらくは良いかなぁと。

で、Chikirin氏のブログにあるように、「孤独死を発見されやすい」と言う使い方は、冗談ではなく本当にいけると思います。事実、昔そんな話しを聞いたことがあったのを思い出しました。新聞は毎日いれてくれるので、たまっていれば、確かにおかしいと気づくでしょう。空き巣に入るときにも、それを目安にしていたというようなことが昔あった、という話もあった記憶もありますし。

今後しばらくは団塊の世代もだいたい定年を迎えて、高齢者がますます増えるのですから、NIEで若者の読者数をふやすことを考えるよりは確実なのではないかと思います。
若者は、お金を持っていないから、新聞の購読料ももったいないと思うでしょうし、ネット世代ですから、新聞など必要ないと思っている人たちも多いですし。
高齢者ならお金も持っているし、新聞を読むことが習慣化している世代ですし、新聞が社会との接点になると考える可能性も高いですし。

電子版もはやりはじめているので、今の若者が高齢者になったら、今度はメールで電子版を配信しがてら、何らかの返事を返信する方法にすれば、これはこれで使えるのではないでしょうか。

いいじゃないですか!この方法。こりゃ、決定だな。ぜひ新聞勧誘は、高齢者に!!

2010年11月3日水曜日

「買うけど読まない、付録付き雑誌」

今日のBLOGOSのトピックスに、タイトルの記事が出てました。

書店でも、たくさん見かけますね。私がよく行く書店では、普通の書棚とは別のワゴンに載せられて、入り口のすぐのところにおいてあるので、ついつい目が行きます。ただ、そこは女性ものが多く、バックやポーチ、美顔ローラー?などが並んでいます。
 ウチにもあります。カメラ、万年筆、時計などなど(結構無駄遣いです)。

筆者の田代真人氏によると、

それらの爆発的売上の要因は低価格とも言われている。付録に「ここでしか手に入らない希少性がある」から雑誌を買うのではなく、「低価格」だから買うという状態になっているようでもある。また、“活字文化の復興”以前に、付録付き雑誌を購入後、すぐに雑誌だけ捨てていくお客さんもいるそうだ……。

確かに女性のものを見ていると、雑誌はあくまでもおまけで、メインは付録って感じのものが多いですし、2千円から3千円くらいの値段のものが多いので、お試しで買うぶんには調度良いのかもしれませんね。

ただ、付録はやはり付録で、安っぽい感じは否めず、自分としてはそれを承知で、単純におもしろいので購入するのですが。活字中毒者の立場からすると、読み物が脇役なのが悲しいです。
「おまけ」は、昔の小学館の小学◯年生のやつとか、グリコのおまけとか、やっぱり安っぽいイメージ(今からみるとそれが逆にいい味なんですが)しかないので、ましてや書店で購入する雑誌に、2千円、3千円は高い気がします。
普通の本なら、2千円や3千円は普通なので違和感はないのですが、雑誌部分が少しなのに、そんなにするなんて、という気がするんです。まあ、雑誌もそれなりで、付録をつければ、値段はもっと高くなるんでしょうけど。そうなると、売れなくなりますね、きっと。

多分、私のような人間は、購買層として想定していないんだと思います。「雑誌なのに、こんな付録が付いていて、あらお得!」とか、「本屋さんなのに、こんな付録付きがあって。おもしろ~い!!」という人たちがメインターゲットなんでしょうね。

でも、こういうのでお客を惹きつけるって、出版という点から考えると、間違っているんじゃないかと思います。こういうのをきっかけに、という部分もあるのかもしれませんが、おそらく、そういう人は普通の本は買わないのではないでしょうか。

付録付き雑誌をすべて否定するわけではありませんが、デジタルの影響や活字離れと言われる現代において、出版業界が取るべき策は、本来の本で勝負すべきだと思います。ただ、じゃ、具体的にどうするんだと言われると、答えに困りますが・・・。

2010年11月1日月曜日

領土問題を解決するための、外交テクニックはないのか?

ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問しましたね。
このような手段は、実効支配を強化する狙いがあるので、現状のロシアとしては当然の行動なわけです。
これに対する前原外相の反応も、まぁ一国の外相としては当然のコメントですが、なんせ、その前にやらかしていますからね、前原外相は。売り言葉に買い言葉の結果が、今回の国後島上陸なのですから、あまり強い非難は、より一層、日ロ関係の悪化を招き兼ねないでしょう。
これに関しては、今後の政府の対応、特に前原外相のさらなる発言に注目しないといけませんね。何を言うかわかりませんから。

個人的には、以前の2島返還でとりあえず手を打っておけば良かったのに、と思います。今となっては、それも無理なんでしょうけど。何で、四島一括返還にこだわるのでしょうか?それが故に、返還が困難になっているのに。とりあえず主張しているだけで、本当は帰ってくることを想定していないんじゃないかと疑ったりします。

石垣市の中山市長が、尖閣諸島に上陸すると宣言したことが、話題になっています。これも実効支配強化のためですが、石垣市としては、さらに漁業問題がからんでいるでしょうから、行政上も石垣市である尖閣諸島に対する行為としては、納得の行為です。
政府の許可待ちのようですが、個人的には、行っちゃえって思います。石垣市にとっては、単に外交的な問題ではなく、生活がかかっている問題なのですから、国の代表者同士の話とは別の次元で考えたいですね。まぁ、どうであれ、中国側は納得しないでしょうけど。
ただ、今回の問題は民間の漁船問題から始まったことなので、生活レベルの次元を優先して、当面領土の主張は先送りって解決方法、ないですかねぇ。 海底の石油とかの問題が大きいのはわかりますが、ここまで話がこじれれば、お互い意地の張り合いになり、両国にとっていいことはないと思うのですが。中国もAPECに参加するようですから、何かあるでしょうけど、そこまでに何かできないのでしょうか。
アメリカも、「尖閣諸島は安保の適用内」と言っているだけではなくて、いい加減、仲介してくれないかなぁ。でも、きっとそれを期待すると、なんにもなしではやってくれないでしょうから、何かと引換になるんだろうなぁ。
こういう時、国連とかで仲介してくれないかなぁ。いろんなところから、この問題をつつけば、進展があると思うのですが。最後は軍事衝突って解決方法にならないように、アジア全体の問題として、いろんな国に首を突っ込んでもらえないかなぁと思います。