2011年8月31日水曜日

教育現場での情報通信技術活用、対象校を選定

タイトルは、昨日(8月30日)のYOMIURI ONLINEからです(詳細はこちら)。

そんな事業をやっているんだなぁと、文科省のHPに行き、詳細を確認しようとしたら、「掲載期間終了のため表示できません。」とのことで、具体的にどんな事業なのか、文書での確認はできませんでした。
もう少し長い期間文書を見れるようにくれれば良いのにと思いますが、まぁ仕方がありません。

ただ、間違いなくその報告は発表されるでしょうし、新聞でも報道されると思いますので、その時に内容を確認しようと思います。

小学校でもこのような実験をしているので、今後高校でも行なわれるのではないかと思っています。やはり高校での実践に興味がありますが、最近は中高一貫校も少しづつ増えているので、その意味では中学校でどのような成果が出るのか、報告が楽しみです。

2011年8月30日火曜日

菅内閣が総辞職、新首相に野田氏

今日(8月30日)は当然この話題でしょう。

菅内閣は、「在職日数は8月30日で449日」、「現憲法下で首相を務めた30人の中では、大平正芳氏(554日)に次ぐ19番目の長さ」なんだそうです(詳細はこちら)。
これをどう評価すればよいのかわかりませんが、在任中にこれほど大きな出来事が起こっているのですから、少なくとも教科書に残る首相ではあると思います。あんまりイイ残りかたではないですが。

一方、新首相となった野田氏は、「初代伊藤博文から数えて62人目、戦後33人目」、「千葉県選出では初」、「戦後3番目の若さ」なんだそうです(詳細はこちら)。

その初代伊藤に関して、こんな記事がCHUNICHI WEBにありました(「伊藤博文、辞職決意の手紙…気骨ある人柄示す」)。

この時代の政治家はみんな若いですが、「国のために」という気持ちが強かったのではないかと思います。野田氏も戦後3番目の若い首相なのですから、伊藤のように気骨のある政治をやっていって欲しいものです。

2011年8月29日月曜日

青鞜:雑誌創刊100年

今日(8月29日)は、民主党代表選挙で持ちきりですね。かく言う私も、ネット中継で代表選挙の様子を見ていましたが、早い話が「反小沢」か「親小沢」かの争いだったように見受けられます。
そんなことで、決めていいのだろうかと誰もが思っていると思うのですが、なるからには野田財務大臣には、泥臭い政治でもかまわないので、とにかくしっかりやってほしいです。
できれば、その時に女性の目線が入る政治にして欲しいですね。結局、最後の管政権では女性が入っていなかったわけですから。東日本大震災の避難所でも、当初男性中心の運営で、いろいろ問題がありました。この世の中、男と女がいるのですから、バランスよく意見を取り入れていった方が、間違いなくうまくいくはずなのです。

前振りが長かったですが、タイトルの通り、「雑誌「青鞜(せいとう)」が9月で創刊100年を迎え」、「同3日、東京都港区の女性就業支援センターで「いま、青鞜を生きる」と題した催しが開かれ、その後も各地でさまざまな関連イベントが予定されている」とのことです(詳細はこちら)。

近代史をやっている人間にとっては、『青鞜』はものすごく大きなインパクトです。「元始、女性は太陽であった」の言葉は、当時に世の中において非常に大きな意味のある言葉ですし、その精神は今に受け継ぐべきものであると思っています。私自身、男にとっての女性の存在の大きさを肌身にしみて感じていますので、私にとって女性はまさに太陽そのものです。

2011年8月28日日曜日

経済を勉強し直しています。

先だって「「先生のための夏休み経済教室」に参加してきました。」というエントリーをアップしましたが、そこでの講義が自分にとってあまりにもインパクトが強すぎて、夏休み前に考えていたやり方では、経済をきちんと教えられないということに気づいてしまい、もうじき二学期が始まるという時期なのですが、思い切って勉強をし直すことにしました。

とりあえず近所の書店に行き、中公新書から出ている大竹文雄先生の、『経済学的思考のセンス』と『競争と公平感』を購入し、さらに経済教育ネットワークの関係者が連載をしている、日本評論社の『経済セミナー』のNo.659、660、661をネットで購入しました。
大竹先生の二冊はたまたま書店に置いてあったのですが、『競争と公平感』はかなり売れているようで、帯に「10万部突破」とあります。またこの本は、経済教室のときにもオススメの本との紹介もありましたので、かなり勉強になると思います。

この土日で大竹先生の『経済学的思考のエッセンス』から読み始めているのですが、まだ夏休み中の子ども達からの攻撃に負けて(^_^;)、この本すらまだ読み終われません(T_T)
あぁ~、これでは間違いなく二学期に間に合わないなぁ。どうしよう(T_T)


『経済学的思考のセンス お金が無い人を助けるためには』 大竹文雄 中公新書1824 2005年12月初版、2010年11月12版


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『競争と不公平感 市場経済の本当のメリット』 大竹文雄 中公新書2045 2010年3月初版、2011年7月10版


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2011年8月27日土曜日

新東名、来年初夏の県内先行開通を正式発表

タイトルは、今日(8月27日)の静岡新聞の記事です(詳細はこちら)。

昨日の午前中、静岡新聞には26日に正式発表になるとして関係者への取材による、かなり詳細な記事がでていましたので(こちら)、話の内容はわかっていたのですが、確認の意味で中日本高速道路のHPにいってみると、26日の静岡新聞の内容通り、「御殿場ジャンクション(JCT)から三ヶ日JCTまでの間(延長 約162km)は、2012年初夏の開通を目指」すとの内容が発表されています(中日本高速道路の該当ページはこちら)。

今年1月に、このブログで「新東名、12年夏に一部開業へ」というエントリーをアップしていますが、その時は、「御殿場JCTから引佐JCTまでの145キロメートル」という情報だったのですが、今回の正式発表でそれよりも少し距離が伸びて、現在の東名との接続部分である三ヶ日JCTまでとなったわけです。従って、静岡県内では、現在の東名と新東名との間の行き来が完全に可能だということになるわけです。

同時に発表されたIC、JCT、SA、PAの正式名称の一覧を見てみると、私が発掘で関わったところが何カ所もあるので、改めてその当時のことを懐かしく思い出します。

来年の夏には、自宅の最寄りのインターから乗って、西に行くか東に行くか、現在の東名と新東名を使って静岡県内をぐるっと一周ドライブするために、道路が混まないころを見計らって休みを取りたいと思っています(今年の夏休みが終わったばかりだというのに(^_^;))。

2011年8月26日金曜日

次期民主党代表となるかも知れない方々の原発に関する意見に関して

今日(8月26日)、菅首相が正式に退陣を表明し、次期民主党代表候補つまり次期首相候補の一部の方々が、つい先ほど朝日テレビの報道ステーションに出演し、原発問題を含む様々な問題について、コメントされていましたので、それに対してのコメントです(まぁ、この手の意見は、ツイッターで行う方もいらっしゃると思いますが、まとまった形の記録としては、ブログの方が適していると思いますので取り上げます)。

直接番組に出られたお二人(鹿野道彦農林水産相、馬淵澄夫前国土交通相)を含め、候補者の原発問題に関する意見を見る限り、ほぼ全員ダメですね。


先日エントリーした「先生のための夏休み経済教室」に参加してきました。」でお知らせしたように、経済界の意見としての大きな流れは、その講義の中で知ることが出来ました(その事実に関しては、エントリーに細かくは書いてありませんが)。
要は、安全性が確認できる原発は残し、危険性の高い原発はやめる(「やめる」って言うのが、「廃炉」なのかは分かりませんが)、というのが経済界のスタンスだと受け取りましたが、その点では、馬渕氏が一番近い意見なのだと思いますが、私からすると、それでは全然ダメです。基本的には、原発は「廃炉」にすると言う考えじゃないと。その点では、菅さんが一番なのですが。

そう言っても、誰かが次の首相になるのですから、我々国民はそれを承知のうえで、きちんと政治を見ていかないといけません。つまり、何かおかしなことをする前兆があったら、それをきちんと「NO!」といえるようにしておかなければならない、それだけ経済や政治といった世の中の動きについて、興味感心を持たなければならないとのが現状なのです。

その興味関心の始まりは、学校の授業であることは、痛いほどわかっているつもりです。
今さらなのかも知れませんが、経済教育は大切です。今の日本が、今後何とか生き延びるためには、やはり若者に「共存」概念をきちんと教育していって、後から追いかけてくるかも知れない仲間のために、教えることができる程度は、把握していたと思われるようにしておかないとならないわけです。そうは言っても、難しいですけど、生命には代えられません。

2011年8月25日木曜日

斜めからみる「日本のポストモダン教育学」(3/完)

以前、エントリーした論考ですが、まだ続きがありました(こちら)。少し中途半端に思っていたのですが(^_^;)

ポイントと思われる部分を抜粋します。

佐々木による職業教育、なかんずく公共職業訓練の、メインストリームの学校教育に対する位置づけは、コミュニタリアニズム、現代的徳倫理学の、リベラリズムに対する位置取りとのアナロジーにおいて考えることができるのは明らかだろう。それは近代を批判しつつ、そのうちに踏みとどまり、その外側に脱出しようという夢をみない。
佐々木の著作を今読む者は、20年以上、せいぜい臨教審の時代まで、「生涯学習」が叫ばれはじめて頃までの仕事であるにもかかわらず、それが現在の職業教育、さらには教育全般についてもなお通じうる問題提起をしていることに驚くだろう。しかしそれは同時にまた「ポストモダン」の問題でもあることに気づく者は、どれくらいいるだろうか?

しかしながらこの今日の教育社会学「ブーム」の射程は、じつのところ森と佐々木の切り開いた地平をさほど出てはいない。

学校教育は必ずしも、イデオロギー的自己正当化に特化した無用な存在ではなかったがゆえに、ネオリベラリズムの影響下での部分的脱学校化――公教育の特権剥奪、相対化は、社会全体の脱学校化というよりは、公的統制のもとにあった学校教育の規制緩和と民営化を促進することになった。規律訓練の暴力性は、「選択の自由」の大幅な導入によって、ところによっては緩和されたかもしれないが、多くの場合それと対になっていたはずのケア、後見的保護の後退という副作用を伴わずにはいなかった。
じつのところ上のような路線は、完全雇用、労働市場における売り手市場基調がつづくかぎりにおいては、それほど深刻な副作用を生み出しはしなかった。規律訓練とケアが「民営化」されていこうとも、その分を「自己責任」でフォローする余裕が人びとのうちにあるあいだは。

しかし、「90年代以降の長期不況がこうした余裕を削り取り、潜在していた問題を顕在化させていってしまう。それはさしあたりは苅谷剛彦による「ゆとり教育」が階層間での学力格差、さらには意欲格差(苅谷の印象深い用語法によれば「インセンティブ・ディバイド」)をもたらしつつあるのではないか、という問題提起に典型的なごとく、「格差」の問題としてまずは認識された。つまりは、有用な財、資本としての教育、教育という富の分配の不平等の問題として。
しかしながら「意欲格差」はすでに富の格差とは別次元の問題へと踏み込んでいることはいうまでもない。つまりそれは、人びとに対してさまざまな資源や機会をどのように分配するか、つまり人びとの置かれた外的環境にいかに介入するかのみならず、人びとの性質と能力をどのように規律訓練し、人びとの生に配慮するか、つまり人びとの身体と精神そのものにどのように介入するのか、の問題でもあるのだ。

今日の教育問題の難しさが最後に指摘されています。
ここで言われるように、90年代以降「格差」が問われて久しいですが、それが別次元の問題となっており、一層複雑な状況になっているのです。ただ、森や佐々木の仕事に戻ってみることで、逆に見えてくるものがあるような気がしますが、いかがでしょうか。

2011年8月24日水曜日

平成23年度公立学校施設の耐震改修状況調査の結果発表

今日は、島田紳助引退の話題でもちきりですが、正直言って全く関係がないので、私は興味ないです。

日本時間だと今日の夜中(24日午前2時51分)ですが、「アメリカ東部バージニア州を震源とするマグニチュード5.8の地震があり、首都ワシントンを含む広い地域が大きく揺れ、震源に近い原子力発電所で原子炉2基が緊急停止するなど、計13カ所の原発で異常が感知された」と言うニュースがありましたね(詳細はこちら)。

基本的には地震がほとんどないところですので(67年ぶりのようですね)、マグニチュード5.8でも大混乱のようですし、原発も一部に異常がでていて大騒ぎですが、施設の異常や放射能漏れはないようなので、その点は良かったですね。原発施設の担当者は「この程度の地震には耐えられるように設計されている」と話しているようですが、そりゃ、当たり前ですよ。それを考慮して設計してあるはず、というか、逆にアメリカの技術で作った日本の原発も、マグニチュード5.8なら耐えられるけど、それ以上はわかんないってことでしょうか。やっぱり、日本の原発はやめないとだめですね。

それで、話のメインはタイトルの調査結果です。毎日jpが細かく報道しています。文科省のページで調査結果を見ましたが、かなり膨大な資料なので、毎日jpの記事が一番簡単にポイントをつかめると思います(毎日jpの記事はこちら。文科省の調査結果のページはこちら)。

この中で、市町村別の耐震化率全国ランキングをが初めて公表されているのですが、それを見ると、静岡県が98・2%とトップなのですが、正直言って「静岡県って100%じゃないんだ」という、素直な驚きがありました。

それともう一つ、今年はじめて調査を実施した「天井材、照明器具、窓ガラス、外装材、内装材、設備機器、家具等の非構造部材」で、「小中学校は1万39校(34.7%)が点検しておらず、点検済みは1万8891校(65.3%)。点検済みの学校で耐震対策を終えたのは8580校(29.7%)」ということですが、よく考えれば非構造部材が一番危険なわけです。実際、体育館の天井や照明器具が落ちたという被害は多く聞きますので、建物の耐震化だけではなく、非構造部材の耐震補強も進めて行かないといけないわけです。そう考えると、まだまだやらなければならないことが山積みですね。その意味でも、リスクを少しでも少なくしておくために、原発は廃炉にしましょう!!

2011年8月23日火曜日

「先生のための夏休み経済教室」に参加してきました。

経済教育ネットワークと東京証券取引所が主催している勉強会に、昨日(8月22日)と今日(8月23日)出席してきました(2日間の内容に関しての詳細はこちら)。

日大経済学部7号館が会場で、久しぶりに大学の授業を受けました。私自身、経済学部の出身ではありませんので、経済学の専門家の方々の授業ってどんなものなのか、正直難しいだろうと覚悟をして行きました。

現在、職場で政治経済を担当しているため、本当の経済学に触れて見たいという思いが強かったせいか、現役の学生のころならば、記憶が飛ぶ(^_^;)であろうことも、今回は貪るように授業を受けてきました。

今回、一番おもしろかったのは、初日の最後の講義です。2006年に安倍内閣のときに経済財政政策担当大臣だった、現在政策研究大学院大学教授の大田弘子氏の講演です。

「日本経済の現状、地震・津波・原発事故を超えて」というタイトルだったわけですが、さすが、もと大臣だけあって、かなり具体的な話で、とてもおもしろかったですし、話自体が大変うまい方でした。

今回の経済教室、直接授業で使えるかというと、やや?ですが、経済学のおもしろさをおしえてもらいました。もっと、勉強したいという思いが強くなりました。「経済教育ネットワーク」に参加して、本格的に勉強してみようかなぁ(^O^)

2011年8月21日日曜日

斜めからみる「日本のポストモダン教育学」

シノドスジャーナルに、2回にわたって掲載された明治学院大学社会学部教授稲葉振一郎氏の論考です(第1回は8月12日、第2回は8月15日)。

この論考は、タイトルにあるように、日本における「ポストモダン教育学・教育思想」の「正史」を描こうというのではなく、「正道をたどる前にその下準備として、ごく少数――具体的にはたった二人の論者の仕事を概観することによって、問題状況の大雑把な見取り図を描くことを目指す。すなわちこの「教育学におけるポストモダニズムのエスタブリッシュメント化と去勢」のプロセスを一身に具現化したかのごときキャリアをたどった一人の研究者と、その反対に、アヴァンギャルドな流行としてそれなりの注目を浴びた「ポストモダン教育学・教育思想」と、少なくとも表向きはまったく没交渉にすごしたもう一人の研究者、この二人の教育学者をクローズアップすることによって、日本教育学におけるポストモダニズム受容の可能性と限界を描き出したいと思う。」というもので、私にとって「斜めからみる」というそのポジションがおもしろく、かつ勉強になりましたので、紹介したいと思います。

第1回は、東京大学教育学部森重雄の「批判的教育社会学」に関する論考です。
「批判的教育社会学」とはどんなものであるかというと、「「教育」というカテゴリーを「学校」に先行させ、「学校」を「教育」を行う機関として位置づけるのとは逆に、具体的な制度・施設たる「学校」をこそ、抽象的な理念・イメージとしての「教育」に先行しそれを生み出しつつ、そうした因果関係それ自体を抹消して「教育」を自明化する「教育システム」の中軸とみなす」営みであるということです。

そして森が看過している問題は、「教育の自明化」と「近代の特権化」であるとし、「「近代性」の学としての社会学は、恣意的という意味で「自由」な選択として「近代性」を対象とするわけではない。社会学は否応なく「近代性」の一部なのであり、むしろ社会学とは「近代性」によって語らされているのである。むろん誰しもが「近代性」によって語らされているのであり、社会学とはせめてそうした拘束を自覚しようという運動である。そのような意味での社会学の一環としての「批判的教育社会学」においては、「教育」という対象もまた当然、恣意的という意味で「自由」に選ばれているのではない。われわれは好むと好まざるとにかかわらず「教育」によって規律訓練され、「教育」によって語らされているのであり、「教育」から自由ではありえないのだ。」としています。

第2回は、職業訓練大学校佐々木輝雄の「職業教育」に関する論考です。

二人目として佐々木が取り上げられているのは、「彼の直面していた課題は、私見ではまさしく「ポストモダン」状況下での職業教育の可能性そのものであった。そしてそれはある意味で、森の入り込んだ隘路に対するひとつの処し方を例示するものでもあったのである。」ということで、職業教育に関して考察しています。

佐々木の最晩年の講義「職業訓練の歴史と課題」から、佐々木が「公共職業訓練がマージナルな存在であり、そのようなものでしかありえないことを認めてしまっている。学校教育の中心が職業教育ではなく普通教育であり、職業訓練の中心が企業内訓練であること、労働市場と学校教育とはそのようなかたちでそれなりの均衡をつくり上げてしまっていること、それゆえに公共職業訓練とは、そこから零れ落ちる弱者の救済の仕組みでしかありえないことを認めてしまっている。」ことを読みとっていますが、佐々木の「職業訓練の歴史と課題」は、ここで取り上げられている部分だけでも、かなり勉強になる内容で、その意味では、個人的に佐々木輝雄という教育学者を取り上げていること自体に、大きな意義を感じました。

2011年8月20日土曜日

TBS報道特集 8月20日放送「なぜ?神社の手前で大津波が止まったワケ」

普段、あまりテレビは見ないのですが、たまたま見ていて、「へぇ~」と思ったので、紹介します。

歴史ものなので、細かい解釈の点は目をつぶるとして、放送内容自体には、素直に感心して見ていました(報道特集のHPはこちら)。

神社や昔の街道などは意味があってそこにあるわけです。地名を見ると分かる部分もありますが、どうしてそこの地名がそうなのかは歴史的に意味があるわけですね。ただ平成の合併で、それが台無しになってしまっている地域があまりにも多いのが不安ですが。

報道制作会社ジン・ネットが制作したようで、代表の高世仁氏のツイッターには、この番組に関わるつぶやきがいろいろあり、番組を見てから気がついたのですが、覗いてみると面白いと思います。

ちなみに、高世氏のつぶやきによれば、今日の報道特集の「なぜ?神社の手前で大津波が止まったワケ」は、8月22日(月)、夜11時から、CSニュースバードで再放送されるようですので、見ていない方には、おすすめです。

2011年8月19日金曜日

再生エネルギー 原発予算回して育てよ

タイトルは、今日(8月19日)の中日新聞の社説です(詳細はこちら)。

そもそも、原発はかなりお金がかかるものなのであり、今まで原発関連で膨大な金額を費やしてきているのです。それをそのまま再生エネルギーに回せば、かなりいい線に行くと思います。

8月17日付で、東京財団のHPに東京財団上席研究員で大和総研顧問の原田 泰氏の、「電力コストについての厳密な評価と国民的議論を」という論考が掲載されました。

この中にも、「原発の発電コストが、圧倒的に低くはないことは、原発を推進してきた経済産業省も認めている」という記述があります。

「原子力発電を進めてきた大きな要因として原発の発電コストは圧倒的に低いという認識があった。それがなければ、そもそも原発安全神話を作る必要もなかった。コストが低くないなら、原子力という、莫大なエネルギーを生みだし、将来はコストが安く、格段に安全になるかもしれない」という幻想が崩壊した今、「原子力に頼らない社会」を実現するために、「原子力関連予算の組み替えを断行し、再生エネの潜在力を引き出すことが求められる。財政面からも送電線の開放や大容量の蓄電池開発などを積極的に後押しし、早急に再生エネの普及を図るべきだ」という意見を尊重すべきです。

2011年8月18日木曜日

A級戦犯をめぐる野田氏の発言

8月15日の閣議後会見での野田財務大臣の発言について、新聞各社があまりとりあげないなぁと思っていたのですが、今日(8月18日)の朝日新聞の社説と、琉球新報の社説で取り上げられていましたので、これについてコメントします。

韓国政府の批判
は、ある意味当たり前なのですが、朝日の社説にもあるように、野田財務大臣は菅首相の後任になる可能性がある人物なわけですし、そのうえ現役閣僚なのですから、歴史問題に関する発言には注意して当然な立場なのです。
とくに今回の発言は、朝日の社説にあるように「問われているのは刑を終えたか否かではなく、彼らの行為が戦争犯罪かどうかであり、歴史認識である。野田氏の議論は焦点を外している」のですから、「国の内外を問わず、戦争で肉親を失った数多くの人々の心情をいたずらに傷つける」発言なのです。「外交問題を引き起こす」ことを理由に、靖国神社への参拝をしないとしている野田財務大臣なのですから、外交上の問題に対しては、一定の配慮をしているのです。それを考えると、今回の発言は配慮が足りませんね。

伝統や文化に誇りを持つナショナリズムには一定の健全さが宿るが、他国の民の痛みに寄り添わずに領土や歴史認識で火花を散らすナショナリズムには、政治の営みで収めきれない危うさがある。」と琉球新報の社説にもあるように、この発言に対してきちんと処理としなければ、首相になったとしても、うまくいかないであろうことは想像に難くないですね。

2011年8月17日水曜日

悩む教師 来春から中学理科教科書に復活 「生徒の質問にどう答える」

タイトルは、今日(8月17日)の毎日jpからの記事です(詳細はこちら)。

記事によると、「中学の教科書には80年度まで放射線に関する記述があったが、その後、指導内容の厳選で記述が消え、08年に改定された学習指導要領で復活が決定」したということなので、東日本大震災とは何ら関係がないわけですが、そもそも30年間ちかくも教えなくても良いとされていた内容ですから、教員によっては自分自身が習っていない可能性もあるわけですし、当然教えた経験がない教員がいるわけですから、現場で混乱するのは当然です。
そのうえ、東日本大震災での「大本営発表」の政府や東電のコメントや、その後のあらゆる場での放射線に対する関心の高まりのなかで、難しい局面に立たされているのは、誰が見ても明らかです。08年での復活当時は、おそらく原発推進の意見で押していくつもりだったのでしょうから、原発は素晴らしいを連呼すれば良かったのでしょうが、現状ではそんなことできないのは、それこそ中学生でもわかります。「フクシマ」の事故を受けてのコメントなどは、専門家と称される人々の間でさえも意見が分かれているのですから、それを中学生にわかるように教えるというのは、至難の業でしょう。

文部科学省は放射線の基礎知識を教えるため副読本を全国の小中高校に配布する」ということらしいですが、その内容がどんなものなのか、大変重要です。理科の先生のところに配られるのでしょうか。配布されたら、早速見せてもらおうと思います。

2011年8月16日火曜日

防波壁18メートルでも疑問 浜岡原発の津波対策を検証

タイトルは、今日(8月16日)のCHUNICHI Webの記事からです(詳細はこちら)。

防波壁の津波対策に関する検証についての記事ですが、早い話が今のままでは津波対策は不安が残るままであり、中電の言う再来年以降の再開は、周辺地域の住民の理解を得ることができるかは疑問であると言うことです。

また、結局中電は地震による直接的被害を想定しているようには見えないので、当然その対策をとっているようには見えません。従って、東海地震が東日本大震災クラスの地震であるとすると、それに見合う対策はとれないということになるわけですから、当然再開はあり得ないということです。

静岡県でも独自に判断すると川勝知事が表明しているわけですから、それを考えるとなおさら浜岡原発は再開はできないということになると思います。ですから、いつも言っていますが、浜岡は廃炉にして、近代化遺産として保存し資料館とするというのが、この原発の将来なのだということです。

2011年8月15日月曜日

66年目の8月15日

毎年のことですが、この数字をカウントせずにはいられません。正直言って、この数字をいつまでカウントし続けるのかという思いもありますが、この数字をカウントすることをやめた時は、日本が国家として無くなる時なのではないかと思っています。つまり、我々は、どれほど世代交代をしても、日本という国がある限り、100年でも1000年でも、この戦争のことを語り続けなければならないと思います(今日の全国戦没者追悼式の様子はこちら)。

この式典で、横路孝弘衆院議長が追悼の辞で、東京電力福島第1原発の事故に触れ、「福島原発の事故では、人間の英知の限界を思い知らされました。ヒロシマナガサキの原爆投下、第五福竜丸の被曝を体験した私たちが、なぜ原発の安全神話に寄りかかってしまったのか、痛恨のきわみです。と述べたのは、かなり評価できると思います(このコメントの要旨はこちら)。


また、「終戦記念日」にあたり、与野党は声明や談話を発表しています(詳細はこちら)。

内容的には、当然のことながら原発・震災の復興ということが多いわけですが、ただ自民党やみんなの党の、震災からの復興を戦後の復興とかけているコメントには少し疑問を感じます。


今日は新聞休刊日なので、「終戦記念日」にあたっての、各新聞社の社説は、昨日出ていますが、こちらの方も、戦争とかけている内容が多いのが気になります。「朝日」、「読売」、「中日(東京)」、「産経」、「日経」は、どれもそうなのですが、特に「日経」は「日本経済新聞」の名からすると、ちょっと?って感じの社説です。「読売」は菅内閣打倒の感じが強すぎて偏っているように感じます。「朝日」は最後はなんか手間味噌で後味悪いです。「産経」は、ダメですね。「中日」は、悪くないのですが、社説としてはパンチが弱い気がします。

個人的には今年は「毎日」が一番バランスがとれているかなと思います。ただ、ちょっと主張が弱いというか、物足りない感じがします。


やはり「終戦記念日」の社説としては、「琉球新報」と「沖縄タイムス」が良いです。特に「琉球新報」の社説は、きちんと今日の外交問題と取り上げ、憲法第9条にふれ、「核廃絶」を訴えていて、素晴らしい社説だと思います。

沖縄と言えば、昨日のasahi.comに、「沖縄に原発、米統治時に構想 実現せず 米公文書で判明」という記事が出ていました。

「原子力の平和利用」の象徴だった原発を沖縄に造り、米国の統治の正当性を内外にPRする効果を狙ったとみられるが、実現しなかった。」ことは、大変良かったと思います。もし、それが実現していたら、沖縄はさらにひどい立場になってしまっていたでしょうから。それにしても、アメリカは、今更ながら、とんでもないひどい国家であったということを実感しました。

2011年8月14日日曜日

8月13日の新聞より2話

昨日(8月13日)の新聞記事からなんですが、気になったものなのでエントリーしておかないと記録として残らないので、書いておきます。

一つは、「「隠された」地震:昭和東南海地震と三河地震の詳細記録」という毎日新聞の記事です。 
特に、1944年12月7日の東南海地震は、静岡県でもかなりの被害があったという聞き取り調査の報告はかなりたくさんあるのですが、その全体像はイマイチよく分からないといった状況だったので、帝国議会衆議院秘密会議事速記録集にその話題が出ていたというのは、歴史研究者にとってはかなり重要な話題なのです。
その資料自体を研究誌に掲載するか、それを元にした論文の報告が期待されます。


二つ目は、「勉強より、思いやりある子に 理想の子ども調査」という中日新聞の記事です。

「どんな子どもになってほしいか」との質問に対し、「思いやりのある子」との回答が55・0%で最多。「体の丈夫な子」が47・8%、「心の強い子」が42・8%と続いた。「勉強のできる子」は13・5%」という結果なのですが、どうして、「思いやりのある子」が半数を超えているのでしょうか。「体の丈夫な子」や「心の強い子」がそれに続くのを考えると、東日本大震災の影響なのかなぁと思ってしまいますが、どうでしょうか。
今の日本社会の現状を考えると、そう願う親が多くなるのも分からないことはないですが、「勉強ができる子」を期待する親が、かなり多いのは教員としてはだいぶ心配です。つまり、勉強ができなくてもあまり気にしないってことでしょうから、ということは子どもの方も、あまり勉強を頑張らなくても、特に親から何も言われないので、それほどやらなくても良いと考えてしまう子どもがいるのではないかと思ってしまうのではないかと言うことです。
学習指導要領が改正されて、授業時数の確保の躍起になっているのが学校現場の実情なのですが、それにもかかわらず、親も子どももあまり勉強をしなくても良いと思われてしまうと、学校との考えの齟齬が大きくなってしまうのではないかと心配になります。
まぁ、社会情勢が変化すれば、親が期待する子ども像も変化しますので、直ぐに影響がでるわけではないですが。ただ、そういう風潮であるということを知っておくことは必要ですね。

2011年8月13日土曜日

夏休みの宿題、進んでいますか?

お盆で、各地に旅行に出かけているご家庭も多いことと思いますが、8月もほぼ半分が終わりますので、お子さんがいるご家庭では、夏休みの宿題が気になるでしょうね。

我が家の小学2年生も、いくつかある課題の中から選択をしてやるようになっているのですが、何をやったら良いのか、それを決めるのに大騒ぎしていました。
我が家の場合は、夏休みの課題が終わらないとどこも連れて行かないという約束でしたので、私がお盆休みになる昨日までに何とか終わらせていましたが。

ただ、まだどうしようかと考えているご家庭も多いでしょうから、ちょうど昨日(8月12日)の日経新聞Web版に出ていた、「夏休み自由研究、今年ならこのテーマ」という記事が参考になると思いますので、紹介しておきます。

社会化分野を中心とした具体的なテーマ、それを調べる方法、まとめ方などが簡単に出ていますので、まだこれからでも十分間にあうものばかりです。また、このWebのページにも、テーマに関連した記事へのリンクも貼ってありますので、参考までに見てみてください。

2011年8月12日金曜日

駿府城天守閣、再建の議論加速

タイトルは、今日(8月12日)のat-sの静岡新聞ニュースの記事です(詳細はこちら)。

何故この時期にこの話題が出てくるのか疑問ですが、駿府城の天守閣再建のポイントは、観光の目玉になるということなので、お盆休みで観光客が増える時期だからなのかなぁと思ったりします。

ただ、天守閣がどれだけの集客力があるものなのか疑問です。各地にある天守閣のある城が、どれだけ集客力があるのか調べてあるのでしょうか?そのさい、当時のまま現存しているところは別ですが、再建されたもので、忠実に再建したところと、そうではないところとの差がどれほどあるのかを調べてみれば、忠実に再現できない駿府城の天守閣が、どれだけの観光客を呼べるのか、再建するだけの価値があるのかがわかるのではないでしょうか。

個人的には、再建には否定的です。「外観を示す絵巻やびょうぶ絵が発見されているが、絵柄が一致せず、設計図もない」と記事にもありますし、当時の天下人である徳川家康の作った天守閣ですから、その豪華さは江戸城に匹敵する規模なはずです。江戸幕府でさえ、最終的には江戸城の天守閣の再建を断念しているのに、静岡市はその予算をどうするのでしょうか。中途半端な物をつくって、結局観光客を集められず、借金だけが残ったでは再建する意味がないわけですし、むしろ恥ずかしい建物になりかねないと思うのですが。

田辺市長は、「天守閣がないのは画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」と述べているようですが、そもそ天守閣というもの自体が特殊なものですから、天守閣がないのは画竜点睛を欠くとは言えないと思うのですが。

とにかく天守閣の再建にはお金がかかるわけですし、天守閣がない城がおかしな状態なのだとしたら、江戸時代にすでに再建されているでしょう。しかし、再建されずにそのまま来たということは、城にとって天守閣は必要なものではなく、必ずしもなければならない建物ではないということを表しているのだと思います。

果たしてどうなるのか興味はありますが、後世に恥ずかしいものだけは残さないで欲しいですね。

2011年8月11日木曜日

列島、広い範囲で猛暑日

今日(8月11日)は、ものすごく暑い一日でしたね。タイトルは、静岡新聞からですが、静岡県内もかなり暑くなったようです(全国に関してはこちら。静岡県内はこちら)。

熱中症も多く出たようですが、お盆の帰省ラッシュが始まり、そうでなくても暑いのに事故で渋滞していたようで、通行止めの影響で一般道も大渋滞のようでした。


為替相場の方も暑くなっていたようで、「戦後最高値に迫る 一時76円30銭」にまで上昇してしまったようで、これはかなりまずい状況ですから、政府が何とかしなければいけない状況なのですが、議員さんたちは菅首相の退陣条件を揃えるのに一生懸命で、役に立ちません。確かに今審議中の法案は大切ですけど、「原発事故は「人災の面も」」と言うのであれば、法案でのことはやって当たり前で、それだけに手一杯ではしょうがないわけです。そう文句を言っても、事実はどうにもなっていないので、仕方がないですが。

そんななかで、福島県はやる気になっていますね(詳細はこちら)。こういうのが本当だと思います。この理念、静岡県も採用しませんか?川勝知事!!

2011年8月10日水曜日

沖縄と交流拡大 川勝知事、仲井真知事とトップ会談

いやぁ~、今日も暑かったですね。今週に入って連日の暑さで海が恋しいです。

タイトルは昨日の静岡新聞からですが(詳細はこちら)、同じ海に行くのならば、ぜひ沖縄の海に行きたいです(近くの海にすら行けていないので(T_T)、あくまでも願望ですが)。

個人的には、静岡県と沖縄県との交流が活発になってくれることは、とても嬉しい話ですので期待しています。飛行機の便数が増えれば、それだけ行く可能性も増えますから、ぜひ増やして欲しいですね。

2011年8月9日火曜日

今日は長崎原爆の日

今日(8月9日)は、66年目の長崎原爆の日です。

式典に、米国からズムワルト駐日臨時代理大使(首席公使)が政府代表として初めて出席したことが注目されますが(詳細はこちら)、さらに注目なのは、田上富久長崎市長が読み上げた平和宣言でしょう(平和宣言の全文はこちら)。注目度の高さを示す証拠に、asahi.comには平和宣言文の全文が載っています。

ポイントは、「自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。 
 たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。」と、間接的ながらも「脱原発」の意思を示した点です。

田上市長は「ヒバクシャを絶対につくらない、その道の行き着く先は原発ゼロだ」という思いで、このような平和宣言文になったということですが、広島の平和宣言文には盛り込まれていなかったことを考えると、とても評価できます。

菅首相のあいさつは、基本的には広島の時と変わりません(詳細はこちら)。まぁ、変わらないのが当たり前で、広島の時と言っていることが違っていたら、むしろ問題ですね。

2011年8月8日月曜日

今日の新聞から戦争関連ネタ2つ


一つ目は、「自由社教科書の「広島原爆」写真、長崎のだった」という、YOMIURI ONLINEの記事です。

年表に続き、自由社版の教科書、教科書以前のレベルで、問題が多すぎです。出版社として、ダメですね。


二つ目は、「台湾、旧日本軍要塞を歴史遺産に 離島の弾薬庫や特攻基地」という、CHUNICHI WEBの記事です。

澎湖諸島と言えば、下関条約で台湾とともに日本の植民地となった場所ですが、台湾の直ぐ近くにありながら、あまりメジャーな場所ではありません。学校の授業でも、サラっと流してしまう傾向が強いのではないかと思いますので、ほとんど記憶に残らないのではないかと思うのですが、そんなところに旧日本軍の要塞がほぼ完璧な形で残っているということも驚きですが、それを歴史遺産として保存しようというのも驚きですし、さらに「今後は「国定遺跡」の認定を申請する予定」もあるようでもっと驚きです。

ただ、何故今さら?という思いと、何か企んでいるのか?と思わないわけではありませんが、少なくとも保存してもらえるのは、日本にとっても良いことだと思います。中には「負の遺産」として嫌う人もいるでしょうが、歴史を語る生き証人は、できるだけ多いほうが良いと思います。

第五福竜丸元乗組員が講演

先だってのエントリーにも書きましたが、日本の原発のきっかけは、第五福竜丸だったわけですから、第五福竜丸の元乗組員である、大石又七さんの言葉は、重みが違います(詳細はこちら)。


「ビキニ事件をしっかり検証し、核兵器に匹敵する原発の危険性を知っていれば福島の事故はなかったかもしれない」

まさにおっしゃるとおりだと思います。
今からでも遅くはありません。「核廃絶」と「脱原発」、これからの日本は、この二つを目指していかなければならないのです。

2011年8月7日日曜日

次世代に引き継ぐ責任 核廃絶と脱原発

タイトルは、昨日の広島の平和記念式での、菅首相のあいさつをうけての、今日(8月7日)の中日新聞の社説です(詳細はこちら)。

この中で、最も強く主張すべき部分は、一番最後部分だと思いますので、それを転載しておきます。


核とは共存できぬ

 自らも被爆し、核兵器廃絶と被爆者援護に半生をささげた故森滝市郎・広島大名誉教授は「核と人類は共存できない」と語った。
 核廃絶と脱原発。ともに実現の道は険しいが、今の世代で無理ならば、次世代に引き継いででも成し遂げねばならない目標だ。
 菅首相の責務は、脱原発依存方針を閣議で正式決定し、次の政権にも引き継ぐことだろう。政治生命を賭す価値は十分ある。
我々人類は「核とは共存できない」のです。それを再確認し、日本だけではなく全世界に発信し、進めていくが、日本の歴史を背負って生きている我々の使命なのだと思います。

2011年8月6日土曜日

今日は広島原爆の日

今日(8月6日)は、66年目の広島原爆の日です。平和記念式で、広島市長による「平和宣言」が読み上げられ、菅首相によるあいさつがありました(詳細はこちら)。

松井一実広島市長による平和宣言は、その骨子が2日に事前発表されましたが、全文を見てみると、非常に重く、意義のある内容です(平和宣言全文はこちら)。
「脱原発」の言葉こそ入っていませんが、「東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。」として、国に対してエネルギー政策の見直しを求めていることは、大変意味のある内容だと思います。
一方、菅首相のあいさつには、「ネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めています。原子力についてはこれまでの「安全神話」を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、「原発に依存しない社会」を目指していきます。」との言葉が盛り込まれており、実際どこまで実現するかはともかく、少なくともこう宣言したわけですし、式典後の記者会見でも、「減原発」の考えを示しているのですから、やってもらうしかないですね。

2011年8月5日金曜日

第35回全国高校総合文化祭福島大会の写真部門受賞作品

今日(8月5日)のasahi.comに、受賞作品がでています(詳細はこちら)。

最高賞にあたる文部科学大臣賞の、秋田県立秋田北鷹高校3年、吉原百合香さんの「農業魂」は、はじめ見たときに、「うん?農業?」って思ってしまいましたが、よく見ると男性が肩にかけているのは、鍬なんですね。その男性の笑顔と、その前を自転車で走る女子高生の笑顔がとてもいいですね。この二人、どんな関係なのかわかりませんが、躍動感のある、エネルギー溢れる作品だと思います。


朝日新聞社賞には、東京都立富士高校3年、遠藤志帆さんの「雪道」は、昔の映画のワンシーンのようですね。その写真からストーリーが展開されていくような、そんないい雰囲気を持っています。


文化庁長官賞を受賞した愛知県・豊川高校2年、宮内正裕さんの「SEAGULL」は、カモメが至近距離まで近づいていて、そのままぶつかってくるんじゃないかと思われるような、いきいきとした作品です。
もう一人、文化庁長官賞を受賞した静岡県立磐田南高校2年、山田知咲さんは、静岡県の高校生というだけで、よくやったと褒めてやりたいです。その作品、「気合の一かぶり」はこの夏の高校野球の応援で、同じ光景は頻繁に目にしましたが、水の感じが絶妙で、ものすごいイイ瞬間をとらえたなぁと思います。


これらの作品を見ると、高校生の感性の素晴らしさに改めて感動します。私は、高校生がこういう素晴らしいものを見せてくれるので、高校の教員を続けていけるんです。

2011年8月4日木曜日

石斧の再現研究で奨励賞受賞 篠原小の鈴木君

タイトルは、昨日(8月3日)の静岡新聞の記事からです(詳細はこちら)。

「研究テーマは、磨製石斧に使われる「塩基性岩」(玄武岩など)の上手な割り方。別の石をぶつけながら塩基性岩を荒削りする際、力が弱いと割れず、力を入れすぎると小さく砕けてしまう―という難点を克服するため、塩基性岩を細部まで観察し、どの角度から石をぶつければどの場所がどの程度割れるのかを確かめたということですが、彼はなかなか見込みがありますね。将来は考古学の研究者なんかを目指してほしいですね。


考古学の分野で、原石から石器を製作して使用したり、粘土から土器を製作して調理を行ったりして使用痕を分析する実験考古学という分野があります。彼がやっているのはまさにそれです。磨製石器を作るにあたり、まずは打製石器を作る必要があるわけで、その打製石器をつくるために、「どの角度から石をぶつければどの場所がどの程度割れるのか」を調べることは、石器に関わる人間には大切なポイントなんです。そうして作った打製石器の刃の部分を砥石で研磨することで磨製石器が完成します。


「どこをたたけばどのような形になるか見当が付くようになった」と大変頼もしいコメントをしてくれています。
こういう子がいることは、歴史に関わっている人間として、とてもうれしいです。
鈴木君、おめでとう。今日、授賞式のようですが、これからも、この分野の勉強に励んでくださいね。

2011年8月3日水曜日

新聞と教育 学ぼうよ 情報の読み方

タイトルは、今日(8月3日)の中日新聞社説です(詳細はこちら)。

記事のなかに、「NIE(教育に新聞を)新時代」との言葉がありますが、確かに、学習指導要領に取り入れられたことにより、NIEが新たな局面に立ったことは間違いありません。それが、先月二十五、二十六の両日、青森市で開かれたNIE全国大会で、パネル討論で司会者を務めた児玉忠・弘前大教授の言う「NIEの大衆化」なのか、私にはわかりませんが、「拡大普及の結果、もし質の低い授業が行われれば、結果として新聞の可能性を疑わせることになるかもしれないと心配する」と言っても、NIEとて万能ではありませんから、その可能性も十分あるでしょうし、学習指導要領に取り入れられたゆえに、十分研究せずに取り組まれることはあり得ますので、質の低い授業が行なわれることもあるでしょう。


どのような教育方法も、得意不得意がありますから、「新聞がたくさんあるメディアの一つであることを認識し、新聞が得意な点は何かを知った上で指導する必要がある」のですが、そのためには「実践例の収集を進めるとともに、教育の観点を生かした新聞製作、新聞の特長を生かした教材作りなどで意見を交換し、互いの意識を高める」ことをしなければなりません。


学習指導要領に取り入れられたからこそ、NIE関係者が、教育方法としてより深い研究を進めなければならない時代になったという意味で、「NIE新時代」と捉えなければならないと思います。

2011年8月2日火曜日

伊豆、県中部で震度5弱 駿河湾震源

昨夜(、8月1日)11時58分頃、駿河湾を震源とするM6.1の地震が発生したのは、報道のとおりです。タイトルは、CHUNICHI WEBからです(詳細はこちら)。

携帯電話の地震速報は、ものすごく早かったです。揺れを感じ始めてすぐに、鳴りましたので、その速さには驚きました。

はじめ、下から突き上げるような揺れがあり、そのあと横揺れが来ましたが、東日本大震災の時の、静岡県で感じた揺れよりかなり弱かったし、2009年8月11日のM6.5の時よりも揺れは弱い感じがしました。

震度5弱が東伊豆町、焼津市、静岡市駿河区ということでしたが、防災担当という立場上、関係者に直ぐに連絡を取りましたが、停電していなかったですし、携帯電話も直ぐにつながったので、ひとまず大丈夫と判断しました。さすがに明るくなった5時過ぎには職場へ様子を見に行きましたが、特に被害もなく、その後は一日通常通りでした。


報道でも、幸いなことに被害はそれほど大きくなかったようでし、何よりも浜岡が止まっているということの安心感は大きい物があります。原発そのものの危険度は変りないとしても、やはり停止しているというのは、ものすごい安心感があります。


やはり浜岡はこのまま止め続けましょう。そもそも、浜岡がなくてもそれほど問題がないってことは、中電自らが証明してくれましたからね(「中部電、関電に電力緊急融通」)。このまま「廃炉」にして、近代化遺産として、テーマパークにでもしたらどうでしょう。

2011年8月1日月曜日

他社の年表流用が発覚、自由社が回収

タイトルは今日(8月1日)の毎日jpの記事です(詳細はこちら)。

教科書として問題があるという以前のレベルですね。

読売新の記事によると、「大東亜戦争」など一部のみの表記を変えてあったそうですが、年表こそ、どんな歴史的事項を、どのような表現で作成するかによって、その歴史観が明確にでるので、これをきちんと作らないようでは、かなり手抜きと言えるでしょうね。
「つくる会」が分裂して、育鵬社版と自由社版と2つになったわけですが育鵬社へ行ったメンバーが、はじめのころの自由社教科書執筆の主力だったんでしょうか?

東京都では、歴史教科書こそ自由社版ではないようですが、自由社版の公民教科書はどうなんでしょうか(、東京都の教科書採用に関する記事はこちら)?
神奈川県のこちらの審議も気になりますが、これは明日以降に仕切りなおしのようなので、その結果に注目ですね。

それにしても、このような問題点がある教科書なのに、採用するところがあるというのは一体どうしてなんでしょう?原発の問題と同じように、お金が動いているんじゃないかと疑いたくなります。