教科書として問題があるという以前のレベルですね。
読売新の記事によると、「大東亜戦争」など一部のみの表記を変えてあったそうですが、年表こそ、どんな歴史的事項を、どのような表現で作成するかによって、その歴史観が明確にでるので、これをきちんと作らないようでは、かなり手抜きと言えるでしょうね。
「つくる会」が分裂して、育鵬社版と自由社版と2つになったわけですが、育鵬社へ行ったメンバーが、はじめのころの自由社教科書執筆の主力だったんでしょうか?
東京都では、歴史教科書こそ自由社版ではないようですが、自由社版の公民教科書はどうなんでしょうか(、東京都の教科書採用に関する記事はこちら)?
神奈川県のこちらの審議も気になりますが、これは明日以降に仕切りなおしのようなので、その結果に注目ですね。
それにしても、このような問題点がある教科書なのに、採用するところがあるというのは一体どうしてなんでしょう?原発の問題と同じように、お金が動いているんじゃないかと疑いたくなります。
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