2010年11月18日木曜日

好きなことを職業のすることは、果たして本当に幸せか?

11月15日づけでBLOGOSに、「職業にして失うということ」と題した深町秋生氏の文章が載っていました(元ネタは「深町秋生のベテラン日記」というブログの11月15日の記事です)。内容は、タイトルに書いたようなものなのですが、好きなことを仕事にしてしまうと、それを嫌になってしまうというのが、自分も思い当たるフシがあるので、ここに取り上げてみました。

ブログに書かれているような、山下洋輔氏のようなバリバリのプロほどではないですが、私も小学校のころから歴史が好きで、大学に行けば好きな歴史を思う存分勉強できるんだと、ただひたすらそのことだけを思って大学に進学しましたから、学生時代はそりゃもう夢のような日々でした。朝飯を学食で食べ、授業に出て、空き時間は研究室や図書館で本を読みあさり、晩飯まで学食で食べて下宿に帰るという生活で、本当に幸せでした。ですから、当然仕事も歴史に関われることを求めて、最終的には高校教員になったわけです。

教員になってから、研究会の先輩方から、ぼちぼち執筆の仕事をもらえるようになり、また県教委で文化財に関わる仕事についた時期もありましたが、そのころから「好きなことでも、お金をもらう仕事となるときついなぁ」と思い始めたのです。

原稿を書くために、調査をするのはとても楽しいのです。今まで知らなかった史料にふれることができるわけですし、小さなことですがいろいろな新しい発見もすることができて、歴史の醍醐味はこれだという幸せを味わうことができるのです。
ただ、その成果を文章にするのがとても大変なわけです。新しい発見は、当然論文にして世に問わなければ意味がありません。それはわかるのですが、特に本にするための原稿書きとなると、締切りが決まっていますし、自分の好きなことを書けば良いというものではありませんし、原稿料をいただくので、ものすごく悩むわけです。歴史を純粋に楽しめなくなってしまうのです。
それを考えると、ただ好きで、楽しくてやっている方が、自己満足の世界ですが、どんなに楽か、と改めて思うわけです。

そのことを、深町氏も

好きなものを職業にするというのは、「自分がもっとも好きなものを、もう純粋に楽しめなくなる」「自分がもっとも愛したものを、もっとも憎悪するようになる」という悲劇やリスクがつきまうことでもある。ピュアな心を失うというか。」

好きなものを職業にできる、というのは誰もがその機会に恵まれるわけでもないので、それはそれでたいへんな幸福といえる。しかし、「もっとも好きなものは職業にしないでおく」という幸福も確実に存在する。」

と述べています。

全くの同感です。まぁ私のような二足のわらじの人間は、嫌になったらヤメれば良いので、それほど深刻ではありませんがね。ただ原稿を書く仕事が無いと、それはそれでちょっと寂しいという部分もあったりして、人間ってわがままですね(あ、わがままは私ですね)。

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