BLOGOS financeに、ネットの普及は記憶する能力の必要性を低下させるか」をエントリーされています。
私も、基本的にwasting time?氏の意見に同感です。
何かを論理的に考えるためには、その材料となる基本的知識が必要なわけです。何の知識もなしでは、そもそも考えることはできません。ですから、いくらネットで何でも調べられるようになったとはいえ、いろんなことを知らないと意味がないのです。だいたい、ネットで何かを調べるに当たっても、例えばキーワードなどを知らなければ、適切な検索はできませんし、当然正しい答えを調べることはできません。
どうも世間では何かがあると、極端な方向の意見が強まってしまう傾向があるように思いますが、実際には、バランスが大切なわけです。論理的思考が大切だと主張する方は、おそらくすでにある程度の知識をお持ちになってる方で、そういう方から見れば、どうしてもそう思ってしまうんだろうなぁと感じます。
しかし、現実的に若者の基本的知識の量は、昔に比べるとかなり減っています。昔の教育を経験してきた方々にとっては、「そんなことも知らないのか」と驚くような状態だと思います。
今の若者にとっては、何か知らないことがあっても、他のみんなも知らないからと、違和感を感じないのです。昔ならば、知らなくて恥ずかしいと思いましたが、今はそう思わないようです。それこそ、そんな事知らなくても困らないし、いざとなればネットで調べれば良いと思っているわけですが、実際いざという時に、何もわからない状態で検索をかけるので、本当に正しい情報なのかも理解できず、そのまま鵜呑みにしてしまうといった状況が多いように思います。
やはり、記録と思考はどちらも必要なわけですし、この二つは分けて考えるものではないのです。ですから、入試でも理想的にはこの二つを見ることができるような問題が望ましいわけですが、そのような問題を作るのはなかなか難しいのが事実です。
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