2010年10月10日日曜日

『週刊金曜日』2010年10月8日 818号(その2)

(その1)では、尖閣諸島の問題についてを取り上げましたが、今回は記事、二つについてです。

一つめは、うつの治療に「森田療法」が再注目されているというものです。
「森田療法」と言えば、「あるがままの自分を認める」ということで有名で、教育の分野でも取り上げられることもありますし、私も少しカウンセリングをかじったことがあるので、少しは知っているつもりです。実際、教育現場では、教育相談的な場面で、「あるがままの自分を認める」という「森田療法」的な指導をしている場合も結構あります。
「森田療法」は禅的要素が強く、ほとんど精神修行のようなイメージがありますが、ただ最近のうつ病患者の急激な増加の中で、従来の投薬で治す治療法だけでは十分ではない部分もあると思います。その意味では、投薬で治す方法だけではなく、いくつかの治療法を組み合わせて、その人にとってよりよい治療法を見つけ出すうえでも、「森田療法」と同じ精神療法のなかでも、ポピュラーな「認知行動療法」の限界のなかで、再注目されてきた「森田療法」には、それなりに期待する部分はあるのでしょう。
現在のような投薬ばかりではなく、それ以外の方法があって、患者自身が自分にとって最適と信じる方法を選ぶことが出来れば、そのほうが患者にとってはプラスとなるでしょう。
また、教育の中でも、改めて「森田療法」の考え方を改めて取り入れてみるもの、良いかもしれません。私も、再び「森田療法」の関連書を読み直してみようと思います。

二つめは、「投書」の中に、公立中学校の社会科の先生からの投書があって、夏休みの「研修」に対して、「上からの指導」があるが、そのような指導は現場の教員のヤル気を失わせるだけだというものです。この先生は、毎年夏休みに研究テーマを設定し、膨大な「研修報告書」を書かれるということなんですが、「現場の教員ががんばるしかないのかと自分に言い聞かせ」たんだそうです。
社会科の教員にはこのような反骨精神とでも言おうか(表現が適切でなかったら、ごめんなさい)、向上心のある、志の高い方が多いような気がします。この投書のような先生がいてくださることが、今の日本の教育もまだまだ捨てたものではないと思わせてくれます(それにしても、この先生は凄いです。自分も見習わなければと思います)。

私の場合は、学校での仕事と、地域のことについて勉強する部分とは全く切り離して考えていますので、勉強が学校での授業に反映していることが多いですが、基本的に休暇をとって活動しています。いわゆる「二足のわらじ」の生活で、めげそうになることも度々ですが、幸いなことに地元の研究会の諸先輩方が叱咤激励してくださるので、細々ながら勉強し続けることが出来ています(ただ、師匠からすれば、お前、勉強が足らんとお叱りを受けそうですが)。
何事も、コツコツと続けることが大事なのです。いつか必ず、何かに結びつくと信じて。「学びたい」という欲求がどうしても捨てきれない自分を、「あるがままに認める」ことが、今の自分にとっては大切なのかもしれません(最後は自分自身のことになってしまいましたが、そんな自分だから、このブログのタイトルは「青年老いやすく、学成り難し」をもじったものにしたのです)。

0 件のコメント:

コメントを投稿