2011年2月15日火曜日

大学はもう少し淘汰されるべき

今日2月15日のBLOGOSに、 井上晃宏氏の「就職待合室はいらない」と、池田信夫氏の「大学というバブル」という、大学に関する二つの記事がエントリーされています。

二つとも、大学に対する公的援助が多すぎるという話がメインのように思われます。

そもそも現在は大学の数が多すぎます。以前の私のエントリーにもありますが、773校もあるというんですから、いくらなんでも多すぎます。それに公的援助をしているのですから、かなりムダになっている部分が多いでしょう。
別に「大学全入」じゃなくても良いと思います。今は大学の価値も低下していて、結局大学自身が自分たちの首をしめている結果になっているように思います。大学を出ても、就職が出来ないのならば、大学を出る必要はありませんよね。
現在の大学院重視の方向も全てが間違っているとは言いませんが、大学院の数を絞って、そのレベルを上げて、国際的にも競争ができるようなものにしていくような方向にすべきです。

企業も、大学に行っても勉強していない学生を相手にしないのだったら、大卒ばかりを募集するのをヤメればよいのにと思うのですが。

もっと大学の数が減って、大学に進学する価値が上がった方が、子ども達も目標ができるわけですし、そもそも大学に行かなくても就職の道を用意してあれば無意味に進学する必要もなくなるわけです。ドイツなどのように、早い時期から大学への進学のルートを絞ってしまっても良いのかもしれません。社会における役割分担を、早い時期に学校を選択することで決まってしまうのが不公平だと言う向きがありますが、みんながみんな大学に行こうと思えばいけるようになった結果が現在のような社会にしてしまったのですから、それを改めない方がかえって不幸を助長してしまうことになります。別に大学に行かなくても幸せな生活が送れるのであれば、行かない選択は不公平ではないと思います。

とにかく、大学の数がもっと減って、具体的には今の半分くらいでもいいのではないかと思いますが、そうして大学に行くのならばしっかり学問をするんだというふうにしていただきたいですね。むしろ、そのほうが大学自身のためにも良いのかも知れませんし、学問の発展にも寄与するかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿