2011年2月2日水曜日

この時期の高校3年生への話

2月に入って高校3年生は、多くの高校で学年末テストも終わり、まだ受験がある生徒とすでに推薦などで進路を決めている生徒が混在している時期です。すでに進路が決まっている生徒にとってみれば、卒業式までカウントダウンで、まだ受験がある生徒を尻目にのんびりしているのではないでしょうか。
受験で居ない生徒がいるので、授業も通常の授業で無く、特別時間割になっていると思います。言い方は悪いですが、言ってみれば野球でいう消化試合のようなもので、生徒も教師も時間つぶしになってしまうパターンが多いのではないでしょうか。

私が担当している授業も、今週と来週であと3時間しかありませんので、何をやろうか悩んだのですが、すでに進路が決まっている生徒が多いクラスだったので、いままで授業などでは話ができないような話題を持ち出すことにしました。

今は非常に価値観が多様化しているために、選択肢も多く存在しています。しかし、どうも多くの若者は、多くある選択肢から自分にとって必要なものを選べないという者が多くなっているようです。いまの世の中で、自由を謳歌するために必要な能力の一つが、この「選択力」だと感じているので、3時間のうちの最初の1時間はそのことについて語りました。

ただ正直言って、自分もそうだった気がします。なかなか思うような選択肢を選ぶことができずに、苦悩した覚えがあります。そんな時、自分のマヌケさに嫌気がさし、落ち込んだことが何度もありました。けれども幸いなことに、そのたびに両親や先生、当時付き合っていた彼女などが、そんなダメな私をありのままに受けとめてくれました。そのおかげで私は勇気をもらえて、次にチャレンジできたことを思い出しました。

ですから、「選択力」の必要性と同時に、失敗しても大丈夫なんだということを、自分の経験を交えながら話をしました。
どこまで分かってもらえたのかわかりませんが、授業のあと、いつも授業の感想などを言ってくれていた生徒が、「先生、今日は熱かったですね。」とコメントしてくれたので、ちょっぴり恥ずかしかったですが、少しは私の気持ちが伝わったのかなぁと思いました。

あと残り2時間あります。1時間は、今の就職難に関して、自分が感じていることを話そうと思っています。就職も、選択肢がたくさんあるがゆえに、みんなが行く有名なところに集まりがちです。またやりがいとかを求めすぎたり、自分に合う仕事が見つからないなどで、直ぐにやめてしまうという状況が多いのですが、ちょっとキツい言い方ですが、正直言って努力もしないで、若いうちに何がわかるのかというのが本音です。
どんな仕事についても、それをある程度頑張ってやってみれば、その仕事なりのやりがいや喜びが見つかるはずなのです。仕事だけではなく、大学を中退してしまう学生に対しても同じことを言いたいので、そのあたりのことを語ろうと思います。

最後の1時間はどうしましょうか。やぱり歴史の教員なので、歴史の意義を語るしかないですね。なんせ、大学へ進学する生徒にとっては、どの分野にしても、部門史がありますから。歴史を知ることで、現代を考えることができるわけですし、それによって未来への展望が開けるわけです。
過去の失敗が何故起こったのか、違う選択肢はなかったのか、違う選択肢を選んだとしたらどう変わったのかなど、過去から学ぶことが大変多いのですが、現代の若者はやや複雑な思考になると、とたんにそれを避ける傾向にあるように思いますが、それでは未来は開けません。過去から学び、現代と比較してみて未来を語る、そのためには歴史を知らないとできませんから、その大切さを語ろうと思います。結局最後はそのオチか、と思われるでしょうが(笑)

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