2011年12月26日月曜日

遠くて近きものは 週のはじめに考える

タイトルは、今日(12月26日)のCHUNICHI Web掲載の社説です(詳細はこちら)。

多様性、少数意見の尊重は民主主義の大原則であり、責任ある立場の人の適切な指導力発揮と、時間をかけた丁寧な議論により相対的に適正な結論が生まれます。自らと正反対の意見でも真摯(しんし)に聞いて、自分の主張を疑ってみる寛容が社会を成熟させます。
国民一人一人が、冷静な目で全体を客観的に見渡し、人気を能力や識見と見誤らずに熱狂から距離を置くことが大事です。

誰かに任せるのではなく「国の未来は自分たちで決める」という気概に富む主権者でありたいものです。

閉塞感に覆われた時代に民衆の不満を束ねるには、敵をつくって目をそちらに向けさせ、二者択一の決定を迫るのが手っ取り早い手法です。分かりやすく激しい言葉で熱狂させ、「人気」を「支持」に変質させます。
橋下流はその典型といえます。その人気に押され、異なる考えの主は萎縮し沈黙します。地方自治にしろ国政にしろ、そうなると真の民主主義は機能しません。


混沌とした世の中で、様々な人間が登場してくることは決して悪いことではありません。歴史を振り返ってみても、一つの時代が終わり、次に時代になるとき、例えば江戸時代の幕末などのように、様々な人間が登場し、その中から次の時代への模索が図られていくわけです。今の時代は、まさにそのような時期なのかも知れません。
だとすれば、橋下氏を始め、様々な人間が出てくることによって、議論が深まり、新しい時代への扉に近づくのかもしれません。もしそうだとすれば、まだ登場人物が足りませんね。少なくとも、橋下氏らの意見に対抗する勢力が登場してこないと、議論が深まりません。これだけ教育に関して議論がされているわけですが、現状ではあまりにも一方的ですから、教育界の人間も政治の場に出ていってこの議論に加わる人間が居ないと、正しい議論はできないと思います。
教育界にも優秀な人間はいます。ですから、今までのような日教組とかの関連ではなく、教員出身者として政治の場に出て行って、きちんとした議論ができる人材を出すべきだと思います。政党はどこでも良いと思います。案外公明党あたりから出るのも良いかもしれませんね。

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