2010年12月9日木曜日

「大学ならなんでもいい」では、ダメ!

BLOGOSの12月7日に、松岡祐紀氏の「「大卒」という資格の幻想」という記事が出ていました(元ネタは、アゴラの同タイトル記事です)。

2007年頃から大学全入時代に入り、大学に行くことだけで「資格」とならなくなった今、それに気づかず身分不相応な大企業に未だに応募し続けている学生が、現在の就職難という事態を引き起こしているのではないだろうか?
企業側が新卒の募集要領に「大卒」と明記すれば、それはすなわち「誰でも知っている一流大学の卒業者に限る」ということであり、地方の無名大学出身者など初めから相手にしていない。この事実に気付いていない大学生がとても多い。
 
今の時代、就職に有利になるために大学に入るのであれば、「一流大学」に入学する以外あまり意味がない。それ以外の大学に入った大学生はすでにその時点で、就職レースにおいては圧倒的に不利な立場に立っており、これを覆すことはほとんど不可能に近い。」 


まさにおっしゃるとおりだと思います。しかし、高校3年生の段階で、そのことを意識して進学する生徒はあまり多く無いというのが現実です。
おまけに、昨今の不況の影響で、地元から近い大学への志向が、ここ数年は強いです。下宿すると高くつくというのは、高校などで行う進路講演会の席などで話が出ることが多く、それを聞いた保護者は、お金が大変だから、家から通えというわけです。本当に明確な目標を持っている生徒は、それでも自分が目標とする大学を目指しますが、とりあえず大学ならどこでもいいと思っている生徒は、保護者の要求を受け入れるわけです。
東京、神奈川や京都、大阪などでしたら、地元に多くの大学がありますからそれでも良いのですが、 それ以外の地域では、当然行く大学が限られるわけで、実力がありながら、地元優先で考える生徒は本当にもったいないです。保護者からすれば、「なんて親孝行な」ということになりますし、生徒本人もそれに満足しますが、まさか、それが数年後の就職難に結びつくなどとは親子とも考えもしないわけです。

ただ、これだけ就職難であることを考えると、こういう生徒が多いのだと思います。ましてや、「現在は学歴社会ではない」という話が普通に言われていますので、高校生はそれを信じています。しかし、それは明らかに間違いなのです。たしかに昔のような意味での「学歴」が物を言う時代ではありませんが、松岡氏の主張のように、「一流」か「無名」かの二極分化の様相を呈しているために、多くの「無名」大学の学生にとっては、「学歴」が物を言うということが実感できないために、「学歴ではない」と思うのでしょう。あるいは、最近は有名大学の学生が就職に苦しんでいるのをテレビでやっていますから、それを見てなおさらそう思うのでしょう。

どうせ、大学に進学するのなら、「一流大学」を狙うに越したことはありません。安易に、「近い」ところや、AOや推薦で早く決めることができるところではなく、センター試験は1月ですし、私立大学のほとんどは一般入試は2月ですし、国公立大学の2次試験も同じです。今は3月でも受験可能な大学も多いですから、粘りに粘って、最後まで諦めない姿勢が大切なんだと思います。

ちなみに私が送り出した生徒のうち、3月まで頑張った生徒は、なんども落ちながら、最終的には、ほとんどが自分の目標とするところに入っています。
最近は同じ大学、同じ学部に何回も受験ができます。可能なかぎり多く受ければ、それだけチャンスも増えます。結局将来稼げる金額が変わってくる可能性が高いのですから、今はちょっと親に頑張ってもらって、後から返せば良いわけです。

おまけに、そうやって苦労して進学すれば、入学してから遊んでいるわけにもいかない、ということくらいわかるはずです。


さあ、受験はこれからです。

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