2010年12月24日金曜日

「脱・ゆとり教育」路線は進むか?

DAIMOND onlineに、もはや日本は子どもの学力でも中国にかなわない?歩みがのろい「脱・ゆとり教育」に募る親たちの不満」と題した、友清 哲氏の記事が出ています。

先ほど発表されたPISAの結果が大変注目されている中で、「脱・ゆとり教育」路線が進んだ結果か?といった見方もされていますが、実際はまだ「ゆとり教育」から脱しきれていない教育現場の現状が問題視されています。
いちおう来年度からの新しい学習指導要領により、小学校では教科書が3割増となるので、多少「ゆとり教育」からは変化があるはずですが、「ゆとり教育」は学習内容や量を少なくしたということだけではなく、「非競争化」や、ドリルなどの繰り返し学習を行わなくなったり、単純に学習量を減らす以外の部分にまで及んでおり、むしろその部分が問題になっているわけです。従って、学習内容が増加することで、すぐに「脱・ゆとり教育」とはならないし、文科省自体もこれで「脱・ゆとり教育」路線を進めるということは言っていませんから、それほど急激に変化するとは思えないわけです。

しかし不思議なのは、「ゆとり教育」が何故「非競争化」に向かったのでしょうか?ドリルなどの繰り返し学習をやらなくなったのは、何故なのでしょうか?学習内容の減少が、どうしてそのようなカタチで実行されて行ったのか、そのあたりをしっかり考察しなおさないと、今の大きな流れは変えられないでしょう。

ただ、実際に子を持つ親の立場からすれば、とにかくどうにかして欲しいわけで、それが私立校や塾に流れたというワケですが、リーマン・ショック以降はその傾向のやや減少し、公立校に戻ってきているらしいです。

しかし、私立校や塾に行かせたことがプラスに働いている子どもがどれほどいるかは疑問ですね。親はそういうところに行かせれば大丈夫だと思って行かせるわけですが、ただ行かせているということで安心してしまっているってことはないでしょうか? 私立校や塾に通わせるために、母親がパートに出るというパターンは多いのではないかと思います。しかし、それによって、子どもはただ行っているだけで、実際にそれがどれほど身になっているかを親は確認していないのではないでしょうか?子ども自身も、塾などに行っていることで安心してしまっていて、実際に塾ではただ座っているだけ、なんてことはよくありがちです。あるいは、塾に行くために時間が取られてしまって、学校の宿題をやる暇がないなんて、本末転倒な話も耳にします。

確かに不安です。だから、塾に行かせるのもありです。しかし、子どもは例え高校生になっても、親に見ていて欲しいんです。確かに小学校一年生くらいの勉強なら見れるでしょうけど、中学校くらいになったらとても無理って思いますよね。確かにそのとおりです。別に勉強を見てあげなさいと言っているわけではないんです。母親が家に居て、子どもが勉強しているのを見守っていてあげたらどうですかと言っているんです。子どもは親が期待していることは分かっています。ですから、塾に行けと言われれば、本人も不安ですし、親の期待も分かっているので、塾に行くわけです。行くことで親の期待に答えるわけです。しかし、それで終わりと言うのがほとんどなんです。だったら、無駄にお金と時間を使わないで、ドリルなどを買ってきて家で繰り返しやらせてみたらどうでしょう。人間の記憶は繰り返すことによって定着しますから、その方がよほど効果がある場合があります。

学校に期待できない分を、塾に頼るのは間違いとは言わないですが、一度よく考えた方が良いと思います。
また、来年度から自分の子どもが通っている学校がどのように変わるのか、よく見てみると良いと思います。親が学校に関心を持つことは、意外と子どもにとっては良い刺激となります。そうすることで、問題点が見えてくると思いますから、その上で改めて塾などを検討しても遅くはないと思いますし、親が自分の勉強に関心を持っていることを子どもが感じれば、自分から改善点を実行し始めることもあるかも知れません。
何でも丸投げでは決して良い結果をうみません。「脱・ゆとり教育」にしたって、学校に丸投げでは、何も変わらないでしょう。学校に文句を言えというわけではなく、どのような教育が進んでいくのかに関心を持って欲しいということです。そうすることで、何かみえてくるものが必ずあるはずです。

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