ちょっと前ですが、11月30日のBLOGOSトピックスに、Willy氏の「教員に求められる資質とは」と題された記事が出ていました(元ネタは、Willy氏のブログ「統計学+ε」の同名タイトル記事です)。
文部科学省(以下、文科省)が、現在の教員免許制度を変更し、「正規教員となるためには修士レベルを必須とする新制度を検討」していることに対するものです。
人気があり生涯賃金の高い職種に大学院終了を義務づけて、大学が学生数や収益を確保するために、教員に修士を義務付けることができれば、かなりの「教員養成需要」が発生する、という文科省の思惑があるようです。
「学部は真面目にお勉強をしていれば卒業できるのが基本だが、大学院は大人として自主的かつ能動的に勉強や研究をしなければならない。成果を論文という形できちんと表現する必要もある。そうした学問に触れた経験は、教育者にとって有用だ。ただし、それを必須とすべきかに関しては意見の分かれる所だろう。」とするのがWilly氏の考えのようだが、結論としては「中学・高校教員に最も必要なのは、学歴ではなく一般企業などにおける職務経験だ。
社会が変化するに従い、生きていくために有用な知識や技能は変化し、教育もそれに合わせて変化する必要がある。」と主張されています。
確かに職場経験も必要だとは思いますし(事実、10年経験者研修などでも数週間の職場研修が取り入れられていたりしますので)、文科省の言うように、修士レベルにするのもいいかも知れません(一時話題になったフィンランドでは、教員は修士ですね)。
しかし、教員は子どもたちと接することで初めて教員になります。
ですから、教育現場に立つ前にいくら勉強したところで、多少役に立つこともあるかも知れませんが、それが全てではないのです。
修士レベルにするのならば、教育実習をもっと充実させて、例えば実習を受けるためには、採用試験受験を前提にするとか、修士の2年間を教職専門大学院にして、2年間教育実習にしてしまうとかにして実務経験を積んでから、正式採用にするのが良いと思います。
それから、中学校、高校の教員の専門性については、リカレント教育の機会をもっと増やすことで、定期的に知識をブラッシュアップさせることが必要なのです。
さらに、教員の専門職としての立場をもっと全面に押し出す必要があると思います。今の教員は、特に義務教育の先生方は、子どもたちと向きあう時間が大幅に減ってしまっています。事務的な仕事はもっと減らすべきです。子どもたちと接しているからこそ、見えるものというのは多いのです。事務仕事をすることが教員の本来の仕事ではありません。
教員は子どもたちに真剣に向きあい、一緒に笑い、一緒に泣くことで、教員になれるのです。それは相当のエネルギーが必要になります。ですから、教員にその時間や体力、気力を与えなければならないのです。教員自体に余裕がなければ、それは出来ません。
しかし多くの先生方は、忙殺される中でも、現場に居るからこそ、子どもたちと真剣に向き合うことの大切さに気づき、真剣に向かおうとするので、「心の病気」が多くなってしまっているのです。
少なくとも何回も採用試験に落ちてでも教員を目指そうとする人たちは、教員になるための情熱は十分に持っているはずです。ですから、現場を経験して、そのなかで教員としての資質が養われていくことで、教員となれるはずです。そして、正式に採用になってからは、子ども達と真剣に向き合えるだけの余裕を与え、定期的に専門性をブラッシュアップできるチャンスを与えるような制度にしていくことこそ、文科省が考えなくてはならないことだと思います。教員免許の更新制を行うのなら、今述べたような形式に変えていけば良いのではないかとも思っています。
これは、あくまでも一現場教員の考えですが、逆に言えば学校現場では、このようなことを求める考えもあるということです。
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