2011年2月28日月曜日

入試問題ネット流出について

京大、早稲田、同志社、立教などで、試験中に入試問題がネット上に流出している事件が相次いでいます。BLOGOSでも何人かの方が、この問題について取り上げています(BLOGOSトップはこちら)し、他でも色々話題になっています(例えば、こちら)。

まぁ、大学側の甘さでしょうね。現在のITの現状に、大学側の入試体制がついていけていないことが明白になってしまったわけですね。
今後は、入試会場へのケイタイ等の持ち込みが禁止されるのは間違いないでしょう。いつかは、こういうことが起こるだろうと思っていましたから、(今までにすでに起きていて、明るみに出ていないだけかもしれませんが)正直、遅いくらいだと思います。

他の高校ではどうかは知りませんが、私の勤務校では、定期試験の時に、教室内にケイタイを持ち込んではいけないことになっています。ケイタイは、電源を切って、かばんに入れて、そのかばんは廊下へ出すということになっているのです。もし、ポケットにいれていたら、電源が切ってあっても、考査不正とみなして指導の対象になります。
勤務校の生徒を信用しないわけではありませんが、その気になれば、ケイタイで答えを調べることは可能ですし、今回のようなことはやろうと思えばできるわけです。高校ですから多くて40人程度の人数ですが、 それでもこのように徹底してやっています。
実はちょっと厳しいのではないかと思っていたのですが、今回の事件が起こって、勤務校のルールは正解だったと思えるようになりました。
今の高校生はケイタイに長けていますし、ちょっと悪気を起こせば、やはり不正は可能だということが証明されましたからね。

東大の後期入試も狙われるかとの読みもありますが、さすがに後期の、あの空席の多い状況では無理でしょうが、直ぐに対策を取る必要はあるでしょう。
ただ、京大の会見などを見ても、やった者が悪いと批判ばかりで、自分たちの対策の甘さに対する反省がないように見受けられましたので、もしかすると、挑戦状をたたきつけられるかもしれません。部外者としては、不謹慎ですが、それはそれで楽しみかも。

2011年2月27日日曜日

2月27日朝日新聞社説を読む。

個人的には久しぶりに、いい社説だと思います(社説はこちら)。 
二・二六事件と財政―高橋是清に何を学ぶか」と題して、タイトル通り、昭和初期の政治家で、首相、蔵相として有名な高橋是清の、「高橋財政」を題材に、財源の裏打ちのない支出に対する批判を展開しています。

国債に頼る財政は明らかに間違いです。「高橋財政」の時代に、すでにそれは明らかでしたし、世界的見ても、それは明白です。だからこそ、高橋是清は命を賭けて、国債漸減方針をつらぬいたのです。

国の借金残高は名目国内総生産(GDP)の2倍近い900兆円まで積み上がった。将来のインフレや増税の種をまいたに等しい。さらに深刻なのは、財 政の惨状を全身全霊で改めていこうという為政者の長い長い不在である。権力をめぐる争いこそが政治家たちの主戦場との観すら呈している。
 与野党の隔てを超えて「国民の暮らしを守る」と言う。では問いたい。これだけ借金を積み上げて守れるのか。とりわけ子や孫の未来を、と。
 守るためにはどうすべきか。国の財力の範囲に歳出を抑え、どうしても必要な歳出があるなら、国民を説得し、それに見合う負担を求めることだ。

朝日社説にあるように、「財政の惨状」に対して命を賭けて取り組む政治家がいないどころか、そのような状況にも関わらず、「権力をめぐる争いが政治家の主戦場」となっているのが現状です。
おそらく、現状において「国民を説得し、それに見合う負担を求めること」は、政治家生命を賭けて取り組まなければならない問題です。 それができる人物は、今の政治家に果たしているのでしょうか。そのような人物がいることを期待してやみません。

「中国漁船衝突映像」の一色氏が、政治家転身か?と噂されていますが、映像の流出に関するコメントを聞く限りでは、こういう人なら今の日本の現状を何とかすべく、政治家生命を賭けて取り組んでくれるかなぁなどと思ったりしますが。

2011年2月26日土曜日

『世界に通用する子供の育て方』

2004年に設立されて、2007年度、2009年度と就職率100%の実績として大変注目されている、秋田県にある国際教養大学の、理事長兼学長である中嶋嶺雄氏によって書かれた国際教養大学での教育方針を記した書籍です。
中嶋氏による同じコンセプトの書籍としては、祥伝社黄金文庫から『なぜ、国際教養大学で人材は育つのか』もあります。 

この時代に就職率100%というのですから注目されるのは当然ですね。ましてや、東京とかの大都市にある大学なのではなく、秋田県にあるのですから、一体どういう大学なんだ?として注目を集めているワケです。

本書の帯には「新しい子育て論!」と書かれていますが、読んでみると、「スズキ・メソード」が一つの柱になっているようです。そして、「家庭教育」・「幼児教育」の重要性、「教養教育」・「英語教育」の重視などがポイントのようですので、一つ一つは決して新しいものではありません。むしろ、昔から言われてきていたことですが、近年は「家庭教育」や「教養教育」はあまり顧みられなくなっているものです。
しかし、これらを全てきちんと取り組んでいる学校は今は無いはずです。だからこそ、逆に新しいのではないでしょうか。 

私も「教養教育」の重要性は指摘しているつもりです(以前のエントリーに、「教養」について述べたものがこちらです)。 

国際教養大学の成功は、本書を読むと、本来の教育とは何かということを示してくれるもののように思います。教育の基本として従来から言われてきたことを、きちんと行うことで世界に通用する学生を育てることができるわけですから、現状の教育のあり方への見直しを迫る事実だと思います。 

新書なので、読みやすいですし、それほど厚いものでもありませんので、スキマ時間を利用して読んでも、それほど時間がかかるものではありませんが、得られるものは大変大きいと思います。 

中嶋嶺雄著 『世界に通用する子供の育て方 (フォレスト2545新書)』 
フォレスト出版 2011年




世界に通用する子...
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2011年2月25日金曜日

原始・古代の話題続出!

昨日2月24日と今日25日に、歴史の話題が続いています。

一つ目は、奈良県桜井市の4世紀末の帆立て貝形の前方後円墳・茅原大墓古墳から盾を持った最古の人物埴輪が見つかったというものです(記事はこちら)。
 写真を見ると、口元が笑っているように見えて、ちょっと不気味ですが、人物埴輪は墓山古墳(5世紀前半、大阪府)などでの出土例が最古とされていただけに、今回の発見で「埴輪研究最大の謎」と言われる人物埴輪の起源が数十年さかのぼることになったわけです。

二つ目は、滋賀県東近江市上平木町の下羽田遺跡(縄文草創期~室町時代の遺物や建物跡などが出土する複合遺跡)で、縄文晩期末(2400年前)の竪穴住居跡と掘っ立て柱建物が同時に存在した遺構が近畿地方で初めて見つかったというものです(記事はこちら)。
掘っ立て柱建物は穀物の貯蔵庫とみられており、この時期に農耕が始まった北九州には両方が存在した集落がありますが、今回の発見で縄文晩期末から近畿でも農耕が始まっていた可能性があり、定説を数十年さかのぼることになるのです。

三つ目は、宮内庁が指定・管理する応神天皇陵(誉田御廟山=こんだごびょうやま=古墳、大阪府羽曳野市)について、日本考古学協会など考古学・歴史学関係16学会の代表者らが24日午後、立ち入り調査を始めたというものです(記事はこちら)。
誉田御廟山古墳は、仁徳天皇陵とされる大仙陵古墳に次いで、全国で二番目に大きな古墳として有名です。
今回調査が許可されたのは、墳丘を囲む内濠(うちぼり)の外にある内堤で、学会代表者らは周回し、遺物の確認などを目視でするだけで、発掘や遺物の取り上げはできず、墳丘への立ち入りは認められていませんが、それでも古代の天皇の陵墓について、学会側の要望を受け宮内庁が立ち入り調査を認めたのは初めてなのものですから、かなり意義がある調査です。

四つ目は、十円玉でおなじみの、京都府宇治市の平等院に、平安後期に創建された国宝・鳳凰堂の天井板の一部が、所有していた大学准教授から寄贈されたというものです(記事はこちら)。
この天井板は、明治時代の大修理の際、費用を捻出するために、ほかの部材も含め、売られた可能性があるもので、 空想上の花「宝相華(ほうそうげ)」や菩薩像や仏の足先が描かれたものだそうです。大学准教授は京都市内の古美術商から購入したということですが、このような形で流出したものが戻るのは大変珍しいことですし、こんな感じでまだ眠っているお宝があるってことですね。

歴史は過去の出来事だから、変化しないと思われている節がありますが、このように新しい発見があって、むしろどんどん変わっています。みなさんが昔学校で習った知識は、おそらくもう古いものだと思いますよ。ぜひ歴史を学び直してみてください。新しい知識と、新たな発見があると思います。

2011年2月24日木曜日

自分の脳力に自信が持てない日本の高校生

私は中日新聞のCHUNICHI Webで読みましたが、財団法人日本青少年研究所(東京)が昨年、日米中韓の高校生7233人に実施し、24日、公表した調査で、「日本の高校生は自分の能力に自信が持てず、親や教員からも認められていない」と感じているということなのです。

国際比較はともかくとしても、「自分は価値のある人間だと思うか」との質問に「全くそうだ」と答えた生徒は、日本は7・5%。日本の生徒は「まあそうだ」と合わせても36・1%にとどまったということです。また、「自分を優秀だと思うか」との問いに「そうではない」と回答した日本の生徒は83・2%に達し、一方、「学校には私を理解してくれる先生がいる」と考える日本の生徒は52・7%なんだそうです。

私の勤務校でも同じような調査をしたことがありますが、やはり同じような傾向の結果だった記憶があります。

高校の教員としては、かなり悲しい結果ですね。何故なんでしょう?

同研究所は「日本では家庭や学校で積極性を引き出すための教育が展開されず、自分への肯定感が低いのではないか」と分析している」ということなのですが、ひとつは成功体験が少ないということがあるのではないかと思います。
「ゆとり教育」の弊害かもしれませんが、小・中学校で、あまり競争しないので、努力した結果の達成感とか、そもそも努力自体がイマイチな状況なのが原因の一つなのではないかと思います(以前のエントリーで書きましたが、、若者が努力しないのは不況の影響だという指摘がありますが)。
「教育の失敗」だと言えるでしょう。

もうひとつは国民性もあるでしょうね。日本は「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」などのことわざがあるように、目立つのを避ける傾向がありますから。

しかし、これだけグローバル化が進んでいる世の中で、何時までも引っ込み思案ではいけません。外国と対等に付き合うためには、しっかりと自己主張ができないとうまく付き合うことはできません。自己主張できるようになるためには、自己肯定感が高くなければできません。
自己肯定感を高めるためには、周りの承認が必要です。失敗しても自分はそこにいても良いのだということを感じることが大切なのです。
そのために、親や教員ができることは、子どもを認めてあげることでしょう。それも、必要なときに、必要な承認が大切です。つまり、子どもたちが認めてもらいたい時に、必要な承認をしてあげる、そのタイミングが難しいですが、子どもたちをよく観察していれば、必ずわかります。
特に最近の教員は、日頃の忙しさにかまけて、子どもたちを見れなくなっている(自己反省も含めてですが)傾向にあるように思いますので、改めてそのことを再確認しないといけないでしょう。

もっと高校生に自信を持たせることができるようにするには、まず大人の認識が大切なのです。明日の日本を担う若者たちの明るい未来のためにも、今の我々がしっかりしないといけませんね。

2011年2月23日水曜日

『COURRiER Japon』 Vol.076 MARCH 2011

特集は「「才能」とは何か」です。
頭の良さや運動能力とはどうやって育まれるのかという問題についてです。このなかでマイケル・グラッドウェルの著書『天才!』で、「1万時間の法則」というのが紹介されており、その話題が出ています。

「1万時間の法則」とは、何事も専門性を極めるには、訓練に1万時間かかるという法則のことで、スポーツを含むあらゆる分野で専門家と非専門家を分けるのは「計画的な訓練」だという話なのですが、第一に1万時間でいいのか?もっと必要ではないかというのが率直な感想です。確かにある程度時間をかければ、そこそこのレベルにまでは行くでしょうか、世の中を見ていると、それだけでは納得できない「何か」があるような気がします。まぁ、我々凡人にとっては、「1万時間の法則」は一つの励ましになるでしょうが・・・・・。

一方で、「特定の集団に見られる優位の原因は、文化的な意識にある」とする考えには賛同します。これは、いろいろ当てはまるものが多いような気がします。

とにかく、凡人にとって、少しでも才能を開花させることができるのは大切なことですから、「6 WAYS TO BOOST YOUR BRAIN」で紹介されている、「脳トレ」に効く6つのヒントを実践して、記憶力アップをはかってみてもよいでしょう。

その6つとは、
1.Play an Instrument(楽器の演奏を練習すれば、脳は構造まで発達する)
2.Electrical Stimulation(頭に微弱な電流を流せば計算能力と記憶力がUP)
3.Bright Sunlight(明るい太陽を浴びれば脳のあらゆるパフォーマンスが向上)
4.Brain Food(記憶力をUPさせるにはブルーベリーを食べよう)
5.Jogging(適度なランニングを続ければ脳の機能は改善される)
6.Meditation(集中して静かに瞑想するだけでその後の記憶力は格段に上昇)

今月の「世界から見たNIPPON」はなかなかおもしろいと思います。
1. 「財政破綻に瀕したアイルランドが日本の“バブル崩壊”から学べること」
2.「「ドラえもん」を生んだ国ニッポンは世界一の“技術力”を守れるか」
3.「ニュータウンがゴーストタウン・・・高齢化する「団地」の日韓事情」
4.「外食産業“冬の時代”もどこ吹く風 躍進を続ける「くら寿司」の秘密」
5.「米国発のセクシー旋風が日本上陸!「HOOTERS」の新人研修ルポ」

正直に告白すると、一番気になるのは「HOOTERS」の記事ですね。一度行ってみたいです(笑) 

「佐藤優の国際ニュース解説室」も重要です。今回はロシアの大統領をめぐるプーチンとメドベージェフの問題について取り上げられています。ロシアの動向は、ここ最近の北方領土問題があるので、どうしても注目すべき話題です。

なお、次号は今週金曜日(2月25日)に発売のようです。

2011年2月22日火曜日

民衆が求めているのは、民主化!

チュニジアのジャスミン革命以来、全世界に民主化を求める動きが波及しています。

今日2月22日にはリビアの話題がニュースになっていますし、中国でも影響が出ているようです。
いつの世の中も、民衆が求めているのは、独裁ではなく、民主的な国家なのですが、実際にはなかなか民主的な国家を実現するというのは難しいようです。

私は、日本も本来の意味での民主的な国家ではないと思っています。「戦後民主主義」という表現が多く用いられていますが、昨今の世界情勢を眺めながら、日本の政治の現状を見ていると、日本が民主的な国だとは、とてもじゃないけど思えないのです。

菅政権の最近のアホぶりには呆れてモノも言えません。
ちなみに今日2月22日は、島根県が設定した「竹島の日」なんですが、菅政権の関係閣僚は軒並み式典に欠席しているようです(これに関しては、BLOGOSfinanceの山田衆三氏のこちらのエントリーをお読みください)。
ただ、ニュージーランドで地震があって、現地で日本人が被害にあっているようなので、そのへんの対応に忙しいようですので、仕方がないですが。でも、竹島の事はそのままでいいんでしょうか?

それから、石原都知事が4選不出馬という話題もニュースになっています。これは良いわだいなのではないでしょうか。都政の民主化を実現させるためには、石原さんが出馬しないことが大事ですから。 ワタミの渡辺氏と東国原氏の対決ってところでしょうか?これに関しては、BLOGOSで有田芳生氏が石原都知事不出馬ーー都知事選の構図」をエントリーされています。

いゃ、今日は海外も国内もいろいろありましたね。

2011年2月21日月曜日

文化財の保存処理について

昨日2月20日のasashi.comに、「国宝の表面曇る 修復用の合成樹脂、数十年経て劣化」という記事が出ていました。

1940年代以降、接着剤などに使われる合成樹脂「ポリビニルアルコール」を使って、顔料がはがれるのを防ぐためにおこなった修復が、数十年経ち、表面に細かい傷が入り、すりガラスのように灰色がかって曇ってしまったり、硬くなって絵が反り返ったりする被害が出てしまっているようです。
東京文化財研究所が対策を研究しており、大阪市立工業研究所が開発した合成樹脂を分解する酵素に着目し、修復に応用するための技術開発を進めているということです。

保存科学は大変難しいのです。文化財は壊れる前に保存しないといけないワケですが、一度壊れ始めた文化財は、あっと言う間に完全に無くなってしまいます。ですから、時間との戦いになるわけで、保存処理方法の検討に時間をかけるワケにはいきません。

現代ではどのような結果を期待するかで、処理に使う薬品が変わってきます。
とにかく壊れないようにしておけば良いものならば、ガッチガチに固めてしまっても良いですが、例えば質感を重要視する場合ですと、それではだめですから、別の方法を考えるわけです。
また、とりあえず現代でのベストと思われる方法で保存しても、将来もっと良い方法が開発されたときには、その方法がとれるように、保存処理を可逆的にしておくということも考えます。

今回問題になった1940年代以降の保存も、当時の最先端の技術で行っているわけですが、ただし現在に比べて当時の技術は、とりあえず壊れないようにすることを第一に考えていたと思われますので、当時としては最先端の技術であった合成樹脂のポリビニルアルコールを使用したワケです。
 ただ当時は今のように可逆・不可逆に対する意識が十分ではなかったので、やむを得ないわけですが、その方法に問題があるわけではなく、大阪市立工業研究所が開発した合成樹脂を分解する酵素の開発によってポリビニルアルコールでの処理をもとに戻せるわけですから、当時の判断は決して間違っていたわけではありませんし、実際ポリビニルアルコールでの処理を行っていたゆえに、綺麗に保存されている文化財も多いわけですから、保存科学的に見れば、OKなわけです。

なお、この問題が発覚後の文化財の修復は、昔ながらの、海藻を原料にしたフノリ、デンプン、ニカワが主に使われるようになっているとのことです。

保存科学の分野は、日々進歩していますが、文化財の崩壊も日々進んでしまいますので、関係分野での研究はとても重要だと思いますし、関係者は常に勉強しつづける必要があるのですが、この分野の予算は、どこも十分なものとは言えないのが現状です。

文化財は国民全体の財産です。貴重な文化財を未来に残すためにも、保存科学は大変重要な分野なのです。

2011年2月20日日曜日

外交文書公開で、「抑止力」はやはり無意味だったことがわかった!

昨日2月19日の『沖縄タイムス』に、18日に外務省から、沖縄返還交渉前に在沖米軍基地の取り扱いに関する外交文書が公開されたという記事が出ています。

それによると、「米側が日本国内で高まる返還論に対応し「完全撤退」も選択肢として検討していたことがうかがえ」るが、「日本政府は、事実上最初の返還協議となる7月15日の三木武夫外相(当時)とジョンソン駐日米大使(同)との会談で、基本的態度として「沖縄には米軍 基地を存続せしめつつ施政権を返還する方途を探求」するとの覚書を米側に手渡し、最初から基地撤去を求めない姿勢をとった。」ということがわかりました。

何故当時の日本政府は米軍基地を沖縄に留めることにしたのでしょうか?
今まで政府が言っていた「抑止力」は、先日の鳩山発言どおり、実はこの40年以上もずっと「方便」だったということなんです。なんということでしょう!(タララララ~ン♪、タララ~ン♪ビフォーアフター風に(笑)イャ、笑いごとではありませんが、頭の中で鳴ってます。)
移転費用の問題が大きいのか?とも思いますが、しかし、これまで日本が「思いやり予算」として使ってきた金額を思えば、その時に移転費用を出したほうがはるかに安かったと思います。それ以外にも、沖縄の方達の精神的・肉体的・物理的問題による負担を考慮すると、当時の移転費用など大した金額ではないのです。

『沖縄タイムス』『琉球新報』ともに、今日20日の社説でこの問題を扱っています。

公文書が次々と真実を暴いていく。米軍を受け入れるか、基地をどこへ置くかの「選択権」は常に日本側にある。」と『沖縄タイムス』社説に記されています。しかし、それは『琉球新報』社説で書かれているように、 「日本の政治外交の無策の結果、沖縄は施政権返還後も過重な基地負担を背負わされ続けている」わけです。

『沖縄タイムス』社説では「「抑止力」を吟味すべきだ」、『琉球新報』社説では「「抑止力」の呪縛と決別を」と主張されているように、今まさにこの問題を根本からアメリカと議論すべきです。
菅さんがダメなら首相を変えてでも、民主党がダメなら解散総選挙で自民党政権に戻っても良いから、とにかくきちんとアメリカと交渉ができる政権になってもらって、しっかりと結論を(当然在沖米軍基地は、沖縄から完全撤退という結論です)出してもらわないといけません!!

2011年2月19日土曜日

『週刊金曜日』2011年2月18日 835号

今週の『週刊金曜日』は、かなりいろいろ気になる記事があります。

まずは特集の「アナタにも知ってもらいたい電磁波」ですが、ケータイをはじめ、今は電磁波が飛び交っているワケですが、そのリスクを指摘されても、眼に見えるわけでもないし、どうにも逃げようがないんですから、どうしようもないじゃないって半分切れ気味で読みましたが(笑)、しかしとても重要な問題です。ケータイの、電磁波がとれくらい人体に吸収されるかを示すSAR値のデータをもとにした「ベター・バイ・カタログ」が載っていますので、今後ケータイを買い換える時にはとても参考になります。

今週の巻頭トピック」での夫婦別姓の違憲訴訟の記事も重要ですね。この問題はまだまだ長引きそうですが、そもそも民法750条自体が矛盾していると私も思いますので、今後も注目していきたいです。

新買ってはいけない」での「ヨード液うがい薬」の記事は、結構ショックですね。「ただいまのあとは~♪」で昔から、特に冬は欠かしてはいけないものだと思っていましたし、自分の子どもにもやらせていたのに。もう明日からやめさせます。静岡県人ですから、お茶うがいがいいですね。

日航123便墜落の謎 上」も大変いい記事です。いろいろな問題点が未だに解決されていないという事実が浮き彫りになっています。今週が「上」なので、来週に「下」が来るのでしょうか。続きが楽しみです。

個人的に今週ナンバーワンは、「斉藤環のリアルな団塊診断」ですね。
昨日のエントリーで、「若者が努力しないのは不況が原因」だとする話を書きましたが、まさにそれにつながる話題です。

何にリアルを感じるか。団塊世代の人たちは、成長可能性にリアリティを感じられるんです。「人間は変われるんだ」ということを素朴に信じられるんですよ。その感覚は世代を追うごとに希薄になっています。多くの若者は、人間も社会も、変われないどころか、どんどん悪い方に向かうかも知れない不安を共有しているんです。

「変われる」と思うからこその努力なんですから、努力してもムダになってしまうと思えば、そりゃしませんよね。

他にもいくつかおもしろいものがあります。
今週はかなりオススメの『週刊金曜日』です。

2011年2月18日金曜日

若者が努力しないのは不況が原因!

今日2月18日のBLOGOSに、テラケイ氏が努力の尊さを殺したのは、教育や文化などではなく不況の体験」をエントリーしています。

アメリカの研究者のレポートの紹介ですが、これはかなりショックですね。話としては納得できる内容なだけに、なおさらショックです。

いゃ~、これってどうしようもないってわけですか?努力しない若者に対する対応策ってのは無いんですかね。
努力しない若者を出さないための予防策としては、とにかく景気を悪くしないことしかないってことなんですかね。
何か身も蓋もないって感じですね。 


これって負の連鎖を起こすんじゃないんですかね。つまり、努力をしない人たちを見て育った次の若者は、もっとダメになるんじゃ・・・・・?

どうにかしないとまずいですね。誰か、この問題に対する対応策の研究ってしていませんかね。何か良い対応策を考えていかないといけませんね。

2011年2月17日木曜日

何故日本では豊かさを実感できないのか?

2月15日、16日とBLOGOSfinanceで、内藤忍氏がアメリカと比較して、日本では豊かさが実感できないと言う話をエントリーされています(15日の記事と、16日の記事はこちらで確認して下さい)。

海外に出ると、どうしてもそこと比較してしまいますので、内藤氏のように何故日本は?という感じを持ちがちですが、となりの芝生は青く見えるものです。特に戦後の、アメリカ文化に対する憧れの強い日本人にとっては、今でもアメリカが豊かさの象徴なのでしょうね。

その気持ち、わからないわけでもないですが、我々の認識は、多分にイメージの問題もあります。実際、アメリカに住んでみたらどうなのかは、あまりよくわからないのに、なんとなく良いようなイメージを持っています。本当は思っているほど良くはないかもしれません(思っている以上に良いということもありますが)。

日本での生活に満足出来ずに、海外に移住して見る人がいても、それはその人の価値観の問題で、それほど大金持ちではなく、海外に移住するなんて絶対出来ないレベルの人間なら、当然よその国のことは検討もしないでしょうから、案外そういう人の方が、日本での生活に満足しているかもしれません。ヘタにお金があるから、逆に満足できないということもあり得るのではないでしょうか。

まぁ、私のような庶民には「何故1500万稼いでいる人が豊かでないのか」という疑問自体が、まるで意味のないものであって、いくら高級なマンション(億ションっていうんですか?)に住んでいようが、どんなに贅沢な食事をしようが、心が貧しければ、満足できないでしょう。
1500万円稼いでいる人の中には、十分豊かさを実感し、満足している人もいれば、1億円稼いでも満足出来ない人もいるでしょう。さすがに300万レベルでは満足している人は多くないかもしれませんが、中にはいるかもしれません。

我々は海外と比べると、どうしても日本の生活を卑下しがちですが、要は考えかたや価値観の問題であって、特にこれからの時代は、みんながみんな同じものを必ずしも志向しない、自分なりの価値観を重視した生き方をしていくことが大切になっていく世の中になっていくと思います。もうすでに、そうなりつつあるとも思います。

2011年2月16日水曜日

wasting time?氏の「資源なんかいらないだろう」を読んで

今日2月16日のBLOGOSfinanceに、タイトルにあるwasting time?氏の「資源なんかいらないだろう」がエントリーされています。

まぁ、資源はあるに越したことはないしょうけど、ヘタに資源があるとそれに頼ってしまって良くないでしょうね。九州や北海道の炭鉱を考えて見れば良いでしょう。

なければ工夫せざるを得ませんから、その方が良いのではないかと思います。

昨日のエントリーに、大学の数をもっと減らして、大学ではきちんと学問をするのが良いのでは、と書きましたが、同じお金を出すのならば、ヘタに資源開発や、やたらと増えてしまった大学への補助金を無くして、絞り込んだ大学で、資源がない日本としての工夫の研究に出せば良いのです。

政府の事業仕分けも、根本的な見直しではなかったために、結局はどれだけムダを削れたのか、国民にはわからなかった訳ですが(実際はほとんど削れていないようですが)、あれだけの手間暇かけてやったのに、やっぱりただのパフォーマンスに過ぎなかったわけですし、菅さんは「ムダを削って」という言葉がお好きなようですが、今は菅内閣自体がムダなので、削ってみたらどうでしょうか(笑)

2011年2月15日火曜日

大学はもう少し淘汰されるべき

今日2月15日のBLOGOSに、 井上晃宏氏の「就職待合室はいらない」と、池田信夫氏の「大学というバブル」という、大学に関する二つの記事がエントリーされています。

二つとも、大学に対する公的援助が多すぎるという話がメインのように思われます。

そもそも現在は大学の数が多すぎます。以前の私のエントリーにもありますが、773校もあるというんですから、いくらなんでも多すぎます。それに公的援助をしているのですから、かなりムダになっている部分が多いでしょう。
別に「大学全入」じゃなくても良いと思います。今は大学の価値も低下していて、結局大学自身が自分たちの首をしめている結果になっているように思います。大学を出ても、就職が出来ないのならば、大学を出る必要はありませんよね。
現在の大学院重視の方向も全てが間違っているとは言いませんが、大学院の数を絞って、そのレベルを上げて、国際的にも競争ができるようなものにしていくような方向にすべきです。

企業も、大学に行っても勉強していない学生を相手にしないのだったら、大卒ばかりを募集するのをヤメればよいのにと思うのですが。

もっと大学の数が減って、大学に進学する価値が上がった方が、子ども達も目標ができるわけですし、そもそも大学に行かなくても就職の道を用意してあれば無意味に進学する必要もなくなるわけです。ドイツなどのように、早い時期から大学への進学のルートを絞ってしまっても良いのかもしれません。社会における役割分担を、早い時期に学校を選択することで決まってしまうのが不公平だと言う向きがありますが、みんながみんな大学に行こうと思えばいけるようになった結果が現在のような社会にしてしまったのですから、それを改めない方がかえって不幸を助長してしまうことになります。別に大学に行かなくても幸せな生活が送れるのであれば、行かない選択は不公平ではないと思います。

とにかく、大学の数がもっと減って、具体的には今の半分くらいでもいいのではないかと思いますが、そうして大学に行くのならばしっかり学問をするんだというふうにしていただきたいですね。むしろ、そのほうが大学自身のためにも良いのかも知れませんし、学問の発展にも寄与するかもしれません。

2011年2月14日月曜日

ぐっち氏の「教育の目的」を読んで

今日2月14日のBLOGOSに、ぐっち氏が「教育の目的」をエントリーしています。

学習指導要領にある「生きる力」とは何なのかという問題に対して、「最もしっくりくるのは「稼ぐ能力」」と述べていますが、まさにおっしゃるとおりです。

日本の労働市場も世界的な競争とは無縁ではいられなくなりつつあります。日本市場だけでは将来性が見込めないため、新興国でのビジネスに活路を見出す会社 が増えています。今後、国内向けのサービスを展開する企業を除けば外国人採用を強化していくのは必然です。そのような世界的な競争の中で会社が求めている のは外国人とも伍していける「競争力」を持った人材です。
であるのに、教育の目的の一つである「生きる力をはぐくむ」ことを生徒児童に身につけさせるべく政府が真剣に取り組んでいるとは思えません。むしろ競争力を削ぐような教育が行われています。いま、労働市場に流れてきている新卒学生は、競争に慣れていません。2002年以降、成績の評価(通知表)にしても相対評価から絶対評価になり、他の生徒 と比較するのではなく生徒本人の成績そのもので評価されます。それはそれで良い面もあるのでしょうが、社会に出ると努力ではなく結果が全てです。評価も他 の人材と比較されたうえで下されます。現在の教育で重視されている個性や自分らしさは人間として重要ですが、それ以前に仕事ができなければ会社に必要とさ れません。現実問題として競争力を持つ人材こそが生きる力を持った人材だと生徒に教えるべきでしょう。


そのとおりだと思います。私の意見もほぼ同じです。ただ、小学校・中学校であまり競争してきていいない生徒は、高校でも当然競争意識が薄いですし、それはかなりレベルの高い高校でも、そういった傾向にあるようです。

就職を目の前にした高校や大学になってから、これが現実なんだと競争を見せても遅いのです。就職難の問題や現実社会での競争について、小中学校の先生方がもっと問題視してくれると良いのですが。

2011年2月13日日曜日

鳩山氏インタビュー「抑止力は方便」

今日2月13日の『琉球新報』、『沖縄タイムス』のHPでは、ともにトップに来ています。

『琉球新報』によると、「1月下旬と2月上旬の2度、計3時間、東京都内の衆院議員会館でインタビューに応じた」なかで、「「県外」断念の理由とした在沖米海兵隊の「抑止力」については「辺野古しか残らなくなった時に理屈付けしなければならず、『抑止力』という言葉を使った。方便といわれれば方便だった」と述べ、「県内」回帰ありきの「後付け」の説明だったことを明らかにした」ものです。

いや~、鳩山さんが在沖米海兵隊を、本気で抑止力だと思っていたのだとしたら、一国の首相でありながら、とんでもなく世界情勢が分かっていないところでしたが、その意味ではさすがにちゃんとわかっていたのね、と変な安心感があります。

それは別として、分かっていながら、ノウノウとデタラメを述べるこの国のトップって、一体何なんでしょうか?

しかし、インタビュー記事を読む限り、どうやら民主党のトップの人間の周辺でも、軍事的問題を考慮した上できちんと国際情勢が分析できているようですので、民主党政権でもアメリカを相手にもっとちゃんと交渉できるはずです。
これは、民主党政権を低レベルに見ている我々国民の空気をもう少し高めていかないといけないですね。つまり、民主党政権でもやればできるはずなのですが、やっていない、あるいはムダなところに力を回しすぎている(例えば子ども手当の問題とか)のだと思われますから、これくらいはできて当たり前だという声を強くしていくことが必要なのでしょうね。
消費税を上げて子ども手当にという民主党の意見は、自民党とかに反対にあいますが、「沖縄問題」ならば、おそらく野党の大方の同意を得られるのではないかと思うのです。

我々国民も、政府にやって欲しいことを、きちんと順序立てて実行してもらえるように、優先順位をつけた要望書みたいなものを提出してみてもいいのではないかと思います。そうすれば、子ども手当が優先順位の最上位に来ることはないでしょうから、政府だってそれを優先して実行しようと思っていたとしても出来なくなるでしょうからね。

2011年2月12日土曜日

『環』Vol.43 2010年秋

もう、最新刊のVOL.44が出ていますので、今頃って感じですが・・・・・(ちなみに最新刊の特集は「中国の民主化と劉暁波」です)
VOL.43の特集は、「「沖縄問題」とは何か」です。非常に膨大な情報量なので、読むのにかなり時間がかかりますが、読む価値は大です。

●【特 集】 「沖縄問題」 とは何か

■ 「琉球処分」 から考える

いまだに続く 「琉球処分」 【同化と異化のはざま】  大城立裕
「琉球処分」 という負の遺産  西里喜行
沖縄独立 【地域主権革命の延長線上で】   平  恒次

 

■ 沖縄米軍基地と日米安保

「私たちに近づくな」 【政権交代後の外交立て直しの挫折】  川満信一
本土メディアの歪んだ報道 【普天間問題とは何か】  屋良朝博
「新・沖縄密約」 を情報公開せよ 【普天間は「移設」ではなく「閉鎖」を】  真喜志好一
普天間・辺野古は安保に必須ではない 【「抑止力」を支えるのは嘉手納】  佐藤  学
近代日本と沖縄の 「位置」  櫻田  淳
「現実主義」 からみた沖縄問題  中本義彦
約40年、 何も変わっていない  三木  健
沖縄県民は生け贄?  上原成信
日米の軍事基地はヤマトへ   照屋みどり
沖縄問題は日琉米中問題である 【植民地主義パワーバランスか平等互恵体制か】   武者小路公秀 

 

■ 沖縄の独立と自治

沖縄は日本の植民地である 【沖縄問題の根源とその解決】  松島泰勝

チヤースガ、 ウチナー (どうする沖縄)!【政治だけではない沖縄問題】  金城  実
沖縄は日本ではない  島袋マカト陽子 
琉球問題へ  高良  勉

「琉球自治共和国連邦独立宣言」 をなぜ発したか  石垣金星
「琉球政府」 という歴史的経験 【沖縄の自治と未来】  増田寛也

今に生きる復帰前の民衆自治の成果 【「屋良覚書」と下地島空港】   下地和宏
琉球の平和思想と龍宮神ジュゴン 【私の謎解きの旅】  海勢頭豊


■ 「境界」 としての沖縄

境界研究からみた 「沖縄」 【「歴史的日本」の虚像を越えて】  岩下明裕 
沖縄とパレスチナから考える 「占領」 と 「独立」  早尾貴紀

それは日本問題である 【日本兵の遺骨が訴えるもの】   後田多敦
沖縄に向き合う 【徳之島案反対から生まれた連帯】  久岡  学 
徳之島移設案と 「琉球処分」 【奄美から沖縄米軍基地を考える】  前利  潔

奄美から見た民族自決問題 【奄美・沖縄・琉球】  新元博文 
「辺境」 をつくり出すのは誰か?   西川  潤
「沖縄問題」 は 「南北問題」  勝俣  誠 

● 【小特集】
◎昨年急逝した演出家・竹内敏晴。その 〝からだ〟 の稀有な来歴にふれた人々が語る。
竹内敏晴さんと私  名著 『ことばが劈かれるとき』 を遺した演出家・竹内敏晴とは何者か。
竹内敏晴 箴言集
伊藤伸二 稲垣正浩 岩川直樹 大城立裕 岡嶋正恵 加藤博史 木田元 栗原彬 鴻上尚史
今野哲男 申谷雄二 芹沢俊介 徳永進 中嶋廣 西堂行人 藤本由香里 松井洋子
三井悦子 三砂ちづる 見田宗介 光元和憲 明定義人 吉岡友治 米沢唯


◎詩人・作家の森崎和江が、 その彷徨の半生において抱えつづけるものとは何か。
いま、 なぜ森崎和江か
森崎和江  今もなお心にかかる二つのこと
姜尚中+森崎和江  異郷と故郷のはざまで
水溜真由美  「筑豊」 を問い直す 【大正闘争後の森崎和江】


◎二度とはかなわない、 奇跡の邂逅。
〈対談〉 詩とはなにか
【二人の詩人をつなぐもの】  互いの詩と格闘し生まれる対話
金時鐘 (詩人) / 吉増剛造 (詩人)


◎北と南からの提言
〈鼎談〉 琉球とアイヌをつなぐ
独自の歴史と文化を持ちながら、 土地と文化を奪われてきた両者の対話から見える希望とは?
海勢頭豊  (シンガーソングライター・作曲家)
結城幸司  (版画家・ミュージシャン)
松島泰勝  ( 「ゆいまーる琉球の自治」 代表)

● 寄 稿

今、 なぜ丸山眞男を批判するか 【戦後民主主義批判】
北沢方邦
松岡利道さんを偲ぶ
太田仁樹 / 正木八郎
青木やよひさんを偲ぶ
井上輝子 / 江原由美子 / 大橋由香子 / 倉橋玲子 / 藤本一子

● 連 載

■ 新連載 儒教の経典の筆頭であり、 古代中国の哲学と宇宙観の集大成 『易経』 を読む。


易とはなにか 1 【知られているようで、 知られていない易】  黒岩重人


■ 金子兜太の句 無言館にて / 石牟礼道子の句 ねむれる貝


■ 天に在り ――小説・横井小楠 3 「実学党の章」  小島英記
■ 竹山道雄と昭和の時代 4 「西欧遍歴」  平川祐弘
■ 近代日本のアジア外交の軌跡 11 「辛亥革命への外交的対応」  小倉和夫
■ 水の都市論――大阪からの思考 12 (最終回) 「水 景」  橋爪紳也
■ 伝承学素描 19 「ユーラシア東辺島嶼文明の構図」  能澤壽彦

● 〈書物の時空〉

■ 名著探訪
 『洛中書問』 (大山定一・吉川幸次郎著)  一海知義
 『とこしへの川』 (竹山広著)  佐佐木幸綱
 『スペイン革命全歴史』 『スペイン内戦』 (R・ボロテン著)  速水  融
 『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』 (松元崇著)  塩川正十郎


■ 書 評
 『 「歴史」 の体制』 (F・アルトーグ著) 【メタヒストリー的思考の現在】  鹿島  徹
 『趙紫陽 極秘回想録』 (趙紫陽ほか著) 【趙紫陽の 「政治的遺言」 】  及川淳子


■ 連 載 明治メディア史散策  6 「時代区分について」  粕谷一希
■ 本をめぐる対話  6 「雑誌の創造力」  森まゆみ+粕谷一希

特集の中でも、〈鼎談〉 琉球とアイヌをつなぐ」はかなり重要だと思います。日本の北と南に位置するこの二つの存在は、ともに日本の国内植民地であるワケですが、その現状はかなり違います。しかし、この二つを考える時、我々は世界的な物の見方を必要とすることに気付かされると思います。世界各地で起きている民族問題は、決して他人ごとなのではなく、まさにここにもあるのだということです。「沖縄問題」を考えることが、同時に世界を考えることなのだということなのです。そして、「沖縄問題」を考えることは、世界の未来を考えることなのだということなのです。つまり、この問題解決を一部の関係者だけの手に委ねてしまってはいけないということなのです。もっと、いろいろな人間が関わっていかないといけない、大切な問題なんだということを、声を大にしていいたいです。
2011年に入って、菅政権の新閣僚が何人か沖縄に行き、仲井真県知事と会談しましたが、そのあとはあまり情報がありませんが、注意深く見守る必要があります。チュニジアやエジプト同様、強行な政治は、今日の社会においては、絶対に許されるべきものではないことは明確ですからね。

もうひとつ、小特集で演出家の竹内敏晴さんが取り上げられています。
自分が高校の時に演劇部で、現在も職場で演劇部の顧問をしていますので、演劇にはつかず離れずで関わっていますから、この小特集はなかなかおもしろかったです。
私は、学校教育にもっと演劇を取り入れると良いと思っていますし、教員養成でも演劇教育を行うべきだと思っています。ヨーロッパなどでは結構演劇が学校で取り入れられていますので、日本の教育も見習う必要があるのではないかと思います。演劇は総合芸術ですから様々な要素で構成されていますので、いろいろなアプローチの仕方ができます。子どもが多様化している現在こそ、いろいろな子どもの、何かに引っかかる要素が、演劇のどこかにあるのではないかと思います。一つの舞台をつくるには、その舞台に関わる全ての人間の協力が必要ですから、舞台を仕上げていく過程で、様々な教育の場面を想定できますし、最終的に舞台を作り上げる達成感が子ども達に自信を与えるのではないかと思います。この小特集を読みながら、そんなことを考えました。



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2011年2月11日金曜日

現代の日本におけるステレオタイプな物の見方

GLOGOSに、2月10日づけでエントリーされている、内藤忍氏の「老後に「手打ちそばでも打とう」と思っている人は幸せになれない」を読んでいて、ふと思ったことを書きます。

「老後にそば打ち」って、確かに書店などでもそういった雑誌もありますし、テレビ番組などにもよくある話題ですね。
ただ、あれは根本的に都会に住んでいる人たちのためのものですよね。「定年後は田舎暮らし」って、そもそも地方の人間にとっては、わざわざ不便な地域に住む理由が無いですから。
だいたい我が家も、車で30分も走れば、まさに「田舎暮らし」って感じの場所がいくらでもありますし、別に老後じゃなくても、そば打ちが出来る場所もたくさんあります(まあ、静岡県は海あり山ありの土地柄なので、その点は他の地域に比べると、自然度は恵まれていると思いますけど)。
そもそも地方出身者が都会に仕事で出てきて、長年望郷の念を募らせながら住んでいて、定年になってやっと地方に帰るっていうイメージがあるんです(実情と違うかも知れませんが)。

内藤氏は「老後にそば打ち」じゃダメだとおっしゃっていますが、内藤氏自身が老後に関してステレオタイプに見すぎているんじゃないかなぁと思います。まぁ、老後にそば打ちに憧れる方が都会に住む人々には多いのかもしれませんが、実際にそれを実現する人はかなり少ないでしょうし、あるいは話だけで終わりっていうのが実情なのではないかと思うのです。

若者も年寄りも、マスコミのステレオタイプな話題に引きづられる部分はあるでしょうが、それをそのまま実現してしまえる体力のある若者に対して、年寄りになるとやりたくてもできない状況が多くなってしまっていて、実際にはできないってのが多いと思います。あるいは、ステレオタイプな日本人観を引きずるのは、知識の少ない若者で、年寄りはテレビとかでそう言っているけどね、それもいいけどね、でも俺は違うって言えるだけのものを持っているはずです。

もっと言うと、若者も年寄りも、遠くから見ればステレオタイプな日本人があるのかもしれませんが、近くで見ると、案外いろいろ居ますよね。つまり観察者の距離感にも問題があるのではないかと思います。マスコミは観察者としては実体から遠いと思います。だから時折、そんな人、どこに居るの?みたいな話があるじゃないですか。たまたま取材した人がそうだっただけで、日本人はって言ってしまうことが多いんだと思います。

まぁ少なくとも、地方に住んでいる私などは、中年でもそば打ちをやろうと思えば週末にできますし、庭で家庭菜園もできちゃいますし、都会暮らしの人が見れば、老後の生活の一パターンなのではないかなぁって思ってます。ですから、「老後にそば打ち」って、あくまでもステレオタイプなイメージなだけで、実体ではないと思います(逆に、今からそんなことができちゃっている地方の人間は、老後に何をするんでしょう?このまま変わらないのかも(笑)ただ私はやりたいことはいっぱいあります)。

2011年2月10日木曜日

日本人としての教養

今日2月10日のBLOGOSに、矢澤豊氏の「教養」のない日本のエリート教育」がエントリーされています。

日本のトップクラスの知性を養成するはずのエリート教育を経て、エリート・キャリアを邁進し、ついには国政を左右する立場に立っている人物に、「日本人と しての教養」というものが驚くほど欠けているのではないかという危惧である。私が論じたいのは、上記した方々の個人の資質ではない。現代日本で行われている教育、特に「エリート教育」というものの内容に疑問を呈している。


矢澤氏のエントリーの趣旨は、このようなことなのですが、ここで矢澤氏が言っている「日本人としての教養」とは、エントリー内容から見る限り、「日本の歴史的知識を含む日本についての知識」のことを言っているように思います。まぁ、そんなに細かく言わないならば、つまりは「歴史を知らない」ということでしょうか。

そもそも、日本でエリート教育が行われているのか?という点は疑問ですが、大きくゆずって仮にエリート教育を行っているとしても、今のエリートと呼ばれるレベルの人間は、単に受験競争を勝ち抜いてきた人間であるだけで、受験勉強などには優れた能力を発揮してきたワケですが、その受験に必要な知識は、いわゆる「教養」ではないわけです。従って、そのような道を勝ち抜いて、結果的にエリート層となった人間に、「教養」がないのは当たり前です。 
また、日本では「教養」をあまり重んじない風潮がありますから、受験エリートにとって「教養」は無意味なものなのです。なんせ日本では、「パンキョウ(一「般」教「養」)などと呼ばれるくらいですから。そのあたりは、西洋のように「リベラル・アーツ」を重視する風潮とは違います。
ただ賢いから、人によっては年齢を重ねてくると「教養」の重要性に気づくようになるわけです。

大学入試センター試験においても、歴史離れが進んでいます。「日本人としての教養」の必要性を考えるならば、当然「日本史」が重視されてしかるべきですが、現在高校での必修は「世界史」です。しかし、その「世界史」は大学入試センター試験での受験者数はかなり少なくなってきています。

私も歴史教員の端くれとして、別にエリート教育じゃなくても良いので、せめて「日本史」を必修にして、「日本史」を学ばないで大学に進学する人たちが居ないようになって欲しいなぁと思います。そういうことを言うと、直ぐに戦前の教育を意識して過剰に反対する人たちが居ますが、世界的に見て自分の国の歴史を学ばないで大学に進学する学生が、日本ほど多い国は他に無いはずです(しっかり調べたわけではないので、一般論としてですが)。自分の生まれ育った場所の歴史を知らないで、その土地の人間としてのアイデンティティが確立できるわけがないと思います。人間は、皆自分が生まれ育った土地に根ざして生きているのです。だからこそ、自分を支えてくれる土地のために、頑張ることができるのです。今の日本にはそれが欠けているからこそ、今のような行き先がはっきりしない状況になってしまっているように思います。

2011年2月9日水曜日

多宗教を楽しむ日本人

今日2月9日のBLOGOSに、山口 巌氏の増加する宗教対立のリスクと日本」がエントリーされています。
来週月曜日のバレンタインのように、日本人はいろいろな宗教を楽しんでいて、何であれ、受け入れ、許容し、そして楽しんでしまう日本人の資質、パワーは本当に凄いと思う。 」と述べれられています。

山口氏のエントリーの本題は、

スーダン南部の分離、独立の是非を問う住民投票が実施され、98.83%の賛成で独立が承認され」、

今回分離独立のスーダン南部の住民の宗教がキリスト教と古代アニミズムである点、そして、此の10年に及ぶ内戦でスーダンの多数派であるイスラム教徒に拠り200万人が殺戮されたと言う、凄惨な事実

という話で、このニュースを受けて、はじめのコメントがあるのです。

古今東西、宗教をめぐる問題は様々な歴史的出来事を引き起こし、場合によっては歴史を大きく動かす原動力ともなっていますが、幸いなことに日本はそのような問題で国内が混乱することはありえません。
バレンタインで浮かれるチョコレート売り場で、キリスト教徒以外の信者が自爆テロを起こすこともありませんし(バレンタインのチョコレートで、別の意味で自爆する人はいるかもしれませんが)、最近日本人のなかに、イスラーム教徒が増えてきているらしいのですが、コンビニの食べ物が不便だとかの話題がありましたが、だからといって迫害されるわけでもありません。昔学生時代に、ニューアカの影響か、チベット仏教にハマってチベットに行ってしまった友人がいましたが、そんな彼もきっと今頃は普通に日本で暮らしているでしょう。

そのように考えると、日本は宗教に関しては大変幸せな国なのだと言えるわけです。ありとあらゆる宗教が共存できる、大変貴重な社会なわけです。
今の日本社会は、かなりダメになっていると私も言っていますが、こと宗教に関してはまんざらでもない社会なのです。

世界の宗教をめぐる問題を耳にするたびに、生まれ育った国が日本で良かったと、つくづく思います。

2011年2月8日火曜日

『週刊金曜日』2011年2月4日 833号

特集は、「悪法大研究」 ですが、五十嵐敬喜氏と野口和雄氏の対談、「「悪法」を変えるのは一人ひとりの意思」は、それほど長くない文章ですが、示唆に飛んでいて大変良い対談ですね。
確かに法律は社会を反映しているものであり、社会と共にあるわけですから、その社会を構成している人々がそれを作ったのであり、その社会が変化していけば、「悪法」になってしまう法律も出てくるわけですから、社会が変化していけば法律を変えなければならないのです。社会を法律に当てハメようとするのは間違いです。「悪法」になってしまった法律のために、我々が苦しむなどもってのほかです。法律は生きているわけです。時が経てば使命を果たし終えるものがあるわけで、いつまでも亡霊に苦しみ続ける必要はないのです。

その意味では、樫田秀樹氏の「子どもに戸籍がない!」はまさに、時代の変化により生じてきた問題だと思います。医療の進歩の結果、性を変えることが可能になったのですから、民法772条もそれに合わせて解釈すべきであり、それが出来ないのならば、それを変えるしかないのです。ただ、民法772条は、樫田秀樹氏の記事の中にもあるように、民法772条をそのまま素直に適用しても、なんらおかしくはないはずだと思いますし、元女性であった夫を父親と認めても、誰も困ることはないはずなのです。私は、法務省の「解釈」が間違っていると思います。

もうひとつ、「伊藤千尋の国際時転」のコスタリカのロベルト・サモラ氏の来日の話題です。
コスタリカの発想は、今でも日本の憲法9条を考える上で大切なものだと思いますが、ここではこの記事の最後に、伊藤千尋氏がサモラ氏の話を聞きながら思い出したとされている、中国の話です。
毎年九月に中国人が半日になるのは当たり前。放っておけば10月初めに収まります」という話は、そう言われればそうだと、納得しました。今の日本人はなかなかこの事実に気がつかないのではないでしょうか。
それと領土問題についての、中国とロシアの内陸の領土問題が2008年までには全て解決しており、だから中国もロシアも日本に目を向け出したという話も、なるほどものです。いや、これは知りませんでした。確かに、伊藤氏の言うとおりならば、粘り強く交渉していくしかないはずですが、今の政権にそれができるでしょうか?

2011年2月7日月曜日

「「就活は中小でも」11年ぶり過半数」は良いことなのか?

2月5日のasahi.comに、2012年春に卒業を予定し、現在、就職活動をしている学生に対する、「毎日コミュニケーションズ」の調査結果が出ていました(記事はこちら)。

昨年10~12月に、全国約1万人の大学3年生と大学院1年生を対象に実施。企業志向を尋ねたところ、「中堅・中小企業がよい」「やりがいのある仕事であれば中堅・中小企業でもよい」と答えた学生が全体の53.4%と、11年ぶりに半数を超えた。

このような結果なのですが、ここからみると来年度の就職率は、今年度ほどの厳しさは起こらないかもしれません。

ただ気になるのは、「志望企業の知名度や規模より、まずは内定獲得を優先」という点です。確かに強すぎる大手志向は好ましくないですが、かといって安易に内定獲得を優先するということになってしまったら、それはそれでどうかとも思うのです。大学選びに関して、「安くて近い」を優先するあまり、冒険をしない傾向があることに対して、批判するわけではないが、どんなものかと考えてしまうことと同じような問題だと思うのです。社会情勢に左右されて、それがその時代の特徴になっていくワケですが、今年度の数字を見れば、仕方がないかなぁと思う反面、でもなぁという気持ちがあるのも事実です。しかし、チャレンジャーはいつの時代にもいるわけですし、優秀は人はそれなりのところに収まるでしょうから、あまり気にしなくても良いのかも知れませんが。

もうひとつ気になるのは、「やりがいのある仕事であれば」 というところです。どんな仕事でもやりがいを見つけ出せばやりがいはありますし、見つけ出さなければやりがいはないのです。就活の時に、その仕事がやりがいがあるかないかなんて、何故わかる?って思うのです。やりがいが見つからなければ仕事がつまらないなんて、10年早いぜ!って思うのですが。
一時、最近の若者は3年で辞めるって話がありましたが、今はどうなんでしょうか?この年になったから言えるんですけど、3年間じゃ何もわからないですよね。自分もそうでした。
教員とは何たるかが、なんとなく分かってきたような気がしてきたのは、10年過ぎて、現在の勤務校になったあたりからです。

何年やっていようと、本人にその気がなければダメですが、なんとかしたいという気持ちで、いろいろ試行錯誤して何年か頑張ってみれば、やりがいも見えてくるはずです。逆に言えば、最初からやりがいなんてわかる人なんてほとんどいませんから(むしろわかる人はラッキーです)、それなりの努力の結果として、その仕事につくことになったのならば、しばらくいろいろ頑張ってみて欲しいですね。努力しないでついた仕事ですと、未練があってなおさら頑張る気力がないでしょうから、就活の時は、変な妥協はせずにいろいろと努力したうえで現実的な道を選べば、仕事についてからも試行錯誤してみようという気にもなれるのではないかと思います。

2011年2月6日日曜日

大相撲八百長事件に思う

ついに、春場所の中止だけでなく、年内の全ての地方巡業も中止になりましたね。

八百長疑惑は昔からありました(落語にもあるくらいですからね)。それがここにきて、何故これほど大騒ぎになったのでしょうか。
一つは、文明の利器である携帯メールという物的証拠が大きいのでしょうが、もうひとつは、社会の変化のような気がします。

ちょうど最近話題になった「伊達直人」は、ご存知プロレスのタイガーマスクですが、言ってみればプロレスも言葉はきついですが、八百長に近いわけです。しかし、ちょうど我々世代は、猪木の、馬場の勇姿を、手に汗握り熱心に応援していました。今にして思えば、あれば興業(見世物)ですから、ある程度筋書きがあって、最後は馬場の十六文キックが炸裂するってことになっていたわけです。しかし、あの時代はある程度それが分かっていても、プロレスファンは大勢いました。

大相撲も似ているのではないでしょうか。身体の大きな男性が力と技だけで戦うという基本的なスタイルは同じですから、そう毎回毎回真剣勝負であるとは限らないはずだと、我々はどことなく感じていたはずです。ところが「国技」だったり、「相撲道」だったり、精神的な面を強調するあまり、いつの間にか、見世物的な要素を排除してしまっていたのではないでしょうか。
また時代が、そのようなルール違反を許せない、白黒はっきり付けないとという時代になって来てしまっているのではないでしょうか。

しかし、何でも白黒はっきりつけるとなると、いろいろなところで難しい問題が起こってくるはずです。今回の大相撲の問題はまさにその典型的事例のような気がします。
生きにくい時代になってしまっているような気がするのは、私だけではないと思います。

2011年2月5日土曜日

歴史にはまだまだ知られていないことが多い

戊辰戦争の時に、会津・庄内藩がプロイセンに、土地売却と引換に提携を提案していたということが、東京大学史料編纂所の箱石大・准教授らがドイツの文書館で確認した資料から明らかになったということが、『朝日新聞』に出ていました(記事はこちら)。

彰義隊による上野戦争が終結し、戦争が東北へ展開する7月の資料とその後のプロイセンの反応を示す10月の資料なのですが、この事実は日本側の資料にはありません。

私も学生時代、師匠の専門がこの時期でしたので、『復古記』や『大久保利通日記』などと首っ引きで幕末から明治初期の展開については勉強していたのですが、まさか会津や庄内がプロイセンと繋がろうとしていたなんて夢にも思いませんでした。
戊辰戦争は内戦でしたから、当時イギリスは薩摩・長州、フランスは幕府に間接的に武器などの提供をしていたとはいえ、表面上は国際法の問題もあって局外中立を宣言しており、プロイセンも当然中立の立場でした。今回確認された10月の資料も、「「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し」ているのですが、もしここでプロイセンが思い切った行動に出ていたら、歴史は全く違っていたはずです。まあ、当時の国際状況を考えれば、プロイセンが大胆な行動をとることはありえないですが、一歩間違えれば、日本はヨーロッパの植民地になっていた可能性があったわけです。

日本の「開国」以降の歴史において、日本では知られていない事実が、海外の公文書館などにまだまだ眠っているのは間違いないですね。
一般的に、歴史は変わらないと思われがちですが、むしろどんどん変化していきます。多くの方が高校などで学んだ歴史の知識は、基本的な大きな流れは別にしても、もうすでに古くなってしまっていることが案外多いはずです。
特に敗者の歴史は、歴史を学ぶ意義として「失敗を活かす」という点において、知っておく必要があることだと思います。
よく、「歴史にifはない」と言いますが、「歴史にifはある」と思います。
今回の件も、「もしプロイセンが会津・庄内の提案を受け入れていたら」という可能性を考察してみることで、物事を多角的に見る訓練ができるのです。
歴史を学ぶ意義は、「過去から学び」「未来に活かす」ことですから、歴史からあらゆる可能性を検討してみることで、未来をひらいていくことができると思います。

2011年2月4日金曜日

子どもの活字離れは改善されている?

毎日新聞社説に、第56回青少年読書感想文全国コンクールの話題が出ています。

毎日新聞が全国学校図書館協議会の協力でまとめた昨年の学校読書調査によると、1カ月間に小学生が読んだ本が10.0冊、中学生が4.2冊、高校生は1.9冊だった。いずれも前年比で増え、中学生は過去最高、小学生も2位の記録だ。 」ということなんですが、高校になるとガクッと下がるのは、どうしてなんでしょう?
私の勤務校でも、「朝読書」を行っていますが、生徒は宿題やっていたり、ボーっとしていたり、読んでいる子は読んでいるんですが、本当に特定の生徒だけという感じです。図書室への訪問回数も、特定の生徒がものすごく多いですが、ほとんどの生徒はあまり行かないという感じのようです。

昨年、読解力をみる経済協力開発機構(OECD)の国際学力テスト(PISA)で日本の成績が上昇傾向を見せた。これも、読書好きの子供が増えたことが背景の一つに挙げられた。
 だが、課題も多い。OECD平均と比べると読書に消極的な傾向がまだ見られる。今回PISAでトップになった中国・上海では毎日31分以上読書するのが56.1%で、日本の30.4%とは大きな開きがある。
 学校の読書も、子供たちに差異があり、中には興味を持てずページをめくるだけの子もいるという指摘がある。

このような状況で、活字離れが改善しているとか、読書好きの子どもが増えたとか、PISAが良かったのはそのおかげだとかは言えないと思うのですが。

11年度から本格実施となる新学習指導要領は、すべての教科で言語活動を重視している。読み、心を動かされ、整理して自分の考えをまとめ、表現する読書は、そうした学習の土台になる。そこに伸びる芽を着実に育てたい。

最近の若者は、複雑な思考を嫌います。小学生から考える力を付けていくことはとても重要です。小学校、中学校からの積み重ねがないと、高校からいきなりというのは無理ですから。
11年度からの新指導要領の実施の成果が、どの程度出てくるのか楽しみです。

しかし、高校での読書の減少は、なんとかしないといけませんね。中学校までは読むのに、何で読まなくなってしまうんでしょうか? どこかで調査してくれないかな。

2011年2月3日木曜日

日本版ギャップイヤーのすすめ

大学入学の資格を得た若者が、数カ月から十数カ月の間、学業を離れ、国内外でボランティア活動や就業体験をする。大学は入学延期を認めたり、その間の学費を免除したりする。」というのが、イギリスで定着している「ギャップイヤー」制度です。

今日2月3日の『朝日新聞』社説に、この「ギャップイヤー」のすすめが出ています(社説記事はこちら)。

大卒の就職率が現時点でも7割に届かないようですし、大学既卒者も数年間は新卒者と同様に扱うという話が出てきている今なら、「ギャップイヤー」制度の導入も良いかもしれません。
 いろいろと複雑な世の中なので、本格的に就職する前に1~2年、社会の様々な問題に向き合う時間があるのは、かなり良いことだと思います。まだ、その活動が、就職時に評価されれば、なお良いでしょう。

教員に対して、社会経験が必要との立場から、そのような研修が行われたりしていますが、これは正式に採用されてからなので、そこそこの年齢になってからになります。全く効果がないとは言いませんが、ある程度固まってきている状態に、今さらという気がしないわけでもありません。それならば、まだ柔軟な時期に、あるいは実際に仕事をするようになってから、いろいろ考えることができるように、正式採用前に行った方が良いと、前々から思っていたことです。

教員に限らず様々な業種でも、社会人になる前に何かを経験してくる若者の方が、問題意識を持っていて、良いのではないかと思います。
中には「自分探し」に利用する場合もあるかもしれませんが、それを経験することで一回り大きくなってくる若者が増えれば、今までのように社員教育を一生懸命しなくても良くなるかもしれません。

文科省で、積極的に検討して見ても良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

2011年2月2日水曜日

この時期の高校3年生への話

2月に入って高校3年生は、多くの高校で学年末テストも終わり、まだ受験がある生徒とすでに推薦などで進路を決めている生徒が混在している時期です。すでに進路が決まっている生徒にとってみれば、卒業式までカウントダウンで、まだ受験がある生徒を尻目にのんびりしているのではないでしょうか。
受験で居ない生徒がいるので、授業も通常の授業で無く、特別時間割になっていると思います。言い方は悪いですが、言ってみれば野球でいう消化試合のようなもので、生徒も教師も時間つぶしになってしまうパターンが多いのではないでしょうか。

私が担当している授業も、今週と来週であと3時間しかありませんので、何をやろうか悩んだのですが、すでに進路が決まっている生徒が多いクラスだったので、いままで授業などでは話ができないような話題を持ち出すことにしました。

今は非常に価値観が多様化しているために、選択肢も多く存在しています。しかし、どうも多くの若者は、多くある選択肢から自分にとって必要なものを選べないという者が多くなっているようです。いまの世の中で、自由を謳歌するために必要な能力の一つが、この「選択力」だと感じているので、3時間のうちの最初の1時間はそのことについて語りました。

ただ正直言って、自分もそうだった気がします。なかなか思うような選択肢を選ぶことができずに、苦悩した覚えがあります。そんな時、自分のマヌケさに嫌気がさし、落ち込んだことが何度もありました。けれども幸いなことに、そのたびに両親や先生、当時付き合っていた彼女などが、そんなダメな私をありのままに受けとめてくれました。そのおかげで私は勇気をもらえて、次にチャレンジできたことを思い出しました。

ですから、「選択力」の必要性と同時に、失敗しても大丈夫なんだということを、自分の経験を交えながら話をしました。
どこまで分かってもらえたのかわかりませんが、授業のあと、いつも授業の感想などを言ってくれていた生徒が、「先生、今日は熱かったですね。」とコメントしてくれたので、ちょっぴり恥ずかしかったですが、少しは私の気持ちが伝わったのかなぁと思いました。

あと残り2時間あります。1時間は、今の就職難に関して、自分が感じていることを話そうと思っています。就職も、選択肢がたくさんあるがゆえに、みんなが行く有名なところに集まりがちです。またやりがいとかを求めすぎたり、自分に合う仕事が見つからないなどで、直ぐにやめてしまうという状況が多いのですが、ちょっとキツい言い方ですが、正直言って努力もしないで、若いうちに何がわかるのかというのが本音です。
どんな仕事についても、それをある程度頑張ってやってみれば、その仕事なりのやりがいや喜びが見つかるはずなのです。仕事だけではなく、大学を中退してしまう学生に対しても同じことを言いたいので、そのあたりのことを語ろうと思います。

最後の1時間はどうしましょうか。やぱり歴史の教員なので、歴史の意義を語るしかないですね。なんせ、大学へ進学する生徒にとっては、どの分野にしても、部門史がありますから。歴史を知ることで、現代を考えることができるわけですし、それによって未来への展望が開けるわけです。
過去の失敗が何故起こったのか、違う選択肢はなかったのか、違う選択肢を選んだとしたらどう変わったのかなど、過去から学ぶことが大変多いのですが、現代の若者はやや複雑な思考になると、とたんにそれを避ける傾向にあるように思いますが、それでは未来は開けません。過去から学び、現代と比較してみて未来を語る、そのためには歴史を知らないとできませんから、その大切さを語ろうと思います。結局最後はそのオチか、と思われるでしょうが(笑)

2011年2月1日火曜日

静岡新聞が4月から土曜日夕刊を廃止し、小・中学生とその親に向けた新聞を発行

今日2月1日づけ朝刊に社告として出ていました。HPでも、今日はトップに出ています。詳細は、プレスリリースに出ています。

土曜日夕刊廃止の理由は、週休二日制により「土曜日に家族で外出する機会が増えるなど、ライフスタイルが変化し」たため、「グループインタビューや各種調査の結果から、土曜夕刊はその役割を終えたと判断としています。
これは確かにそういう部分もあるような感覚はありますが、実際はどうなんでしょう。 きちんと、その根拠となった「グループインタビューや各種調査の結果」を示してくれないと、いまいち納得出来ません。まぁ、別に土曜日の夕刊が無くなっても、困ることもないのですが。実際は、私のようなこういう人間が増えたので、というのが理由なのではないのでしょうか?

小・中学生とその親に向けた新しい新聞については、家族で楽しめる新聞」をテーマに、子どもにもわかりやすいニュース記事や語学関連の記事、学校生活に関連し た話題など、小・中学生が楽しみながら学校生活に活用できる内容で構成する予定です。4月から新学習指導要領が実施され、社会、国語といった科目で新聞が 活用されます。静岡新聞社は、これまで発行してきた「こどもかがく新聞」のノウハウを活かし、小・中学生が新聞に親しむことができ、大人が読んでも役に立 つ、家族の話題が豊かになる紙面づくりをめざします。」ということです。

これは期待できるかも知れません。つまりNIEで活用できる新聞をつくってくれるということのようですので、テーマや実際の紙面の様子によっては、高校でも使えるものがあるかもしれません。昨年のPISAでの、新聞を読む子の能力が高いというのを受けてのことだと思いますが、素早い対応で、静岡新聞もなかなかやるじゃんって感じですね。4月が楽しみです。

このローカルな話題を取り上げたのには理由があります。それは、この情報が、asahi.comにも出ていたからなんです(そのニュースはこちら)。つまり、『朝日新聞』にも取り上げられるような、注目されるニュースなのか?と思ったからです。
『朝日新聞』がどういう意図で、この静岡新聞の記事を取り上げたのかはよくわかりませんが、全国的に見て、土曜日の夕刊を廃止したってのが珍しいんですかね?