GLOGOSに、2月10日づけでエントリーされている、内藤忍氏の「老後に「手打ちそばでも打とう」と思っている人は幸せになれない」を読んでいて、ふと思ったことを書きます。
「老後にそば打ち」って、確かに書店などでもそういった雑誌もありますし、テレビ番組などにもよくある話題ですね。
ただ、あれは根本的に都会に住んでいる人たちのためのものですよね。「定年後は田舎暮らし」って、そもそも地方の人間にとっては、わざわざ不便な地域に住む理由が無いですから。
だいたい我が家も、車で30分も走れば、まさに「田舎暮らし」って感じの場所がいくらでもありますし、別に老後じゃなくても、そば打ちが出来る場所もたくさんあります(まあ、静岡県は海あり山ありの土地柄なので、その点は他の地域に比べると、自然度は恵まれていると思いますけど)。
そもそも地方出身者が都会に仕事で出てきて、長年望郷の念を募らせながら住んでいて、定年になってやっと地方に帰るっていうイメージがあるんです(実情と違うかも知れませんが)。
内藤氏は「老後にそば打ち」じゃダメだとおっしゃっていますが、内藤氏自身が老後に関してステレオタイプに見すぎているんじゃないかなぁと思います。まぁ、老後にそば打ちに憧れる方が都会に住む人々には多いのかもしれませんが、実際にそれを実現する人はかなり少ないでしょうし、あるいは話だけで終わりっていうのが実情なのではないかと思うのです。
若者も年寄りも、マスコミのステレオタイプな話題に引きづられる部分はあるでしょうが、それをそのまま実現してしまえる体力のある若者に対して、年寄りになるとやりたくてもできない状況が多くなってしまっていて、実際にはできないってのが多いと思います。あるいは、ステレオタイプな日本人観を引きずるのは、知識の少ない若者で、年寄りはテレビとかでそう言っているけどね、それもいいけどね、でも俺は違うって言えるだけのものを持っているはずです。
もっと言うと、若者も年寄りも、遠くから見ればステレオタイプな日本人があるのかもしれませんが、近くで見ると、案外いろいろ居ますよね。つまり観察者の距離感にも問題があるのではないかと思います。マスコミは観察者としては実体から遠いと思います。だから時折、そんな人、どこに居るの?みたいな話があるじゃないですか。たまたま取材した人がそうだっただけで、日本人はって言ってしまうことが多いんだと思います。
まぁ少なくとも、地方に住んでいる私などは、中年でもそば打ちをやろうと思えば週末にできますし、庭で家庭菜園もできちゃいますし、都会暮らしの人が見れば、老後の生活の一パターンなのではないかなぁって思ってます。ですから、「老後にそば打ち」って、あくまでもステレオタイプなイメージなだけで、実体ではないと思います(逆に、今からそんなことができちゃっている地方の人間は、老後に何をするんでしょう?このまま変わらないのかも(笑)ただ私はやりたいことはいっぱいあります)。
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