2011年2月6日日曜日

大相撲八百長事件に思う

ついに、春場所の中止だけでなく、年内の全ての地方巡業も中止になりましたね。

八百長疑惑は昔からありました(落語にもあるくらいですからね)。それがここにきて、何故これほど大騒ぎになったのでしょうか。
一つは、文明の利器である携帯メールという物的証拠が大きいのでしょうが、もうひとつは、社会の変化のような気がします。

ちょうど最近話題になった「伊達直人」は、ご存知プロレスのタイガーマスクですが、言ってみればプロレスも言葉はきついですが、八百長に近いわけです。しかし、ちょうど我々世代は、猪木の、馬場の勇姿を、手に汗握り熱心に応援していました。今にして思えば、あれば興業(見世物)ですから、ある程度筋書きがあって、最後は馬場の十六文キックが炸裂するってことになっていたわけです。しかし、あの時代はある程度それが分かっていても、プロレスファンは大勢いました。

大相撲も似ているのではないでしょうか。身体の大きな男性が力と技だけで戦うという基本的なスタイルは同じですから、そう毎回毎回真剣勝負であるとは限らないはずだと、我々はどことなく感じていたはずです。ところが「国技」だったり、「相撲道」だったり、精神的な面を強調するあまり、いつの間にか、見世物的な要素を排除してしまっていたのではないでしょうか。
また時代が、そのようなルール違反を許せない、白黒はっきり付けないとという時代になって来てしまっているのではないでしょうか。

しかし、何でも白黒はっきりつけるとなると、いろいろなところで難しい問題が起こってくるはずです。今回の大相撲の問題はまさにその典型的事例のような気がします。
生きにくい時代になってしまっているような気がするのは、私だけではないと思います。

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