戊辰戦争の時に、会津・庄内藩がプロイセンに、土地売却と引換に提携を提案していたということが、東京大学史料編纂所の箱石大・准教授らがドイツの文書館で確認した資料から明らかになったということが、『朝日新聞』に出ていました(記事はこちら)。
彰義隊による上野戦争が終結し、戦争が東北へ展開する7月の資料とその後のプロイセンの反応を示す10月の資料なのですが、この事実は日本側の資料にはありません。
私も学生時代、師匠の専門がこの時期でしたので、『復古記』や『大久保利通日記』などと首っ引きで幕末から明治初期の展開については勉強していたのですが、まさか会津や庄内がプロイセンと繋がろうとしていたなんて夢にも思いませんでした。
戊辰戦争は内戦でしたから、当時イギリスは薩摩・長州、フランスは幕府に間接的に武器などの提供をしていたとはいえ、表面上は国際法の問題もあって局外中立を宣言しており、プロイセンも当然中立の立場でした。今回確認された10月の資料も、「「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し」ているのですが、もしここでプロイセンが思い切った行動に出ていたら、歴史は全く違っていたはずです。まあ、当時の国際状況を考えれば、プロイセンが大胆な行動をとることはありえないですが、一歩間違えれば、日本はヨーロッパの植民地になっていた可能性があったわけです。
日本の「開国」以降の歴史において、日本では知られていない事実が、海外の公文書館などにまだまだ眠っているのは間違いないですね。
一般的に、歴史は変わらないと思われがちですが、むしろどんどん変化していきます。多くの方が高校などで学んだ歴史の知識は、基本的な大きな流れは別にしても、もうすでに古くなってしまっていることが案外多いはずです。
特に敗者の歴史は、歴史を学ぶ意義として「失敗を活かす」という点において、知っておく必要があることだと思います。
よく、「歴史にifはない」と言いますが、「歴史にifはある」と思います。
今回の件も、「もしプロイセンが会津・庄内の提案を受け入れていたら」という可能性を考察してみることで、物事を多角的に見る訓練ができるのです。
歴史を学ぶ意義は、「過去から学び」「未来に活かす」ことですから、歴史からあらゆる可能性を検討してみることで、未来をひらいていくことができると思います。
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