昨日2月24日と今日25日に、歴史の話題が続いています。
一つ目は、奈良県桜井市の4世紀末の帆立て貝形の前方後円墳・茅原大墓古墳から盾を持った最古の人物埴輪が見つかったというものです(記事はこちら)。
写真を見ると、口元が笑っているように見えて、ちょっと不気味ですが、人物埴輪は墓山古墳(5世紀前半、大阪府)などでの出土例が最古とされていただけに、今回の発見で「埴輪研究最大の謎」と言われる人物埴輪の起源が数十年さかのぼることになったわけです。
二つ目は、滋賀県東近江市上平木町の下羽田遺跡(縄文草創期~室町時代の遺物や建物跡などが出土する複合遺跡)で、縄文晩期末(2400年前)の竪穴住居跡と掘っ立て柱建物が同時に存在した遺構が近畿地方で初めて見つかったというものです(記事はこちら)。
掘っ立て柱建物は穀物の貯蔵庫とみられており、この時期に農耕が始まった北九州には両方が存在した集落がありますが、今回の発見で縄文晩期末から近畿でも農耕が始まっていた可能性があり、定説を数十年さかのぼることになるのです。
三つ目は、宮内庁が指定・管理する応神天皇陵(誉田御廟山=こんだごびょうやま=古墳、大阪府羽曳野市)について、日本考古学協会など考古学・歴史学関係16学会の代表者らが24日午後、立ち入り調査を始めたというものです(記事はこちら)。
誉田御廟山古墳は、仁徳天皇陵とされる大仙陵古墳に次いで、全国で二番目に大きな古墳として有名です。
今回調査が許可されたのは、墳丘を囲む内濠(うちぼり)の外にある内堤で、学会代表者らは周回し、遺物の確認などを目視でするだけで、発掘や遺物の取り上げはできず、墳丘への立ち入りは認められていませんが、それでも古代の天皇の陵墓について、学会側の要望を受け宮内庁が立ち入り調査を認めたのは初めてなのものですから、かなり意義がある調査です。
四つ目は、十円玉でおなじみの、京都府宇治市の平等院に、平安後期に創建された国宝・鳳凰堂の天井板の一部が、所有していた大学准教授から寄贈されたというものです(記事はこちら)。
この天井板は、明治時代の大修理の際、費用を捻出するために、ほかの部材も含め、売られた可能性があるもので、 空想上の花「宝相華(ほうそうげ)」や菩薩像や仏の足先が描かれたものだそうです。大学准教授は京都市内の古美術商から購入したということですが、このような形で流出したものが戻るのは大変珍しいことですし、こんな感じでまだ眠っているお宝があるってことですね。
歴史は過去の出来事だから、変化しないと思われている節がありますが、このように新しい発見があって、むしろどんどん変わっています。みなさんが昔学校で習った知識は、おそらくもう古いものだと思いますよ。ぜひ歴史を学び直してみてください。新しい知識と、新たな発見があると思います。
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