特集は、「悪法大研究」 ですが、五十嵐敬喜氏と野口和雄氏の対談、「「悪法」を変えるのは一人ひとりの意思」は、それほど長くない文章ですが、示唆に飛んでいて大変良い対談ですね。
確かに法律は社会を反映しているものであり、社会と共にあるわけですから、その社会を構成している人々がそれを作ったのであり、その社会が変化していけば、「悪法」になってしまう法律も出てくるわけですから、社会が変化していけば法律を変えなければならないのです。社会を法律に当てハメようとするのは間違いです。「悪法」になってしまった法律のために、我々が苦しむなどもってのほかです。法律は生きているわけです。時が経てば使命を果たし終えるものがあるわけで、いつまでも亡霊に苦しみ続ける必要はないのです。
その意味では、樫田秀樹氏の「子どもに戸籍がない!」はまさに、時代の変化により生じてきた問題だと思います。医療の進歩の結果、性を変えることが可能になったのですから、民法772条もそれに合わせて解釈すべきであり、それが出来ないのならば、それを変えるしかないのです。ただ、民法772条は、樫田秀樹氏の記事の中にもあるように、民法772条をそのまま素直に適用しても、なんらおかしくはないはずだと思いますし、元女性であった夫を父親と認めても、誰も困ることはないはずなのです。私は、法務省の「解釈」が間違っていると思います。
もうひとつ、「伊藤千尋の国際時転」のコスタリカのロベルト・サモラ氏の来日の話題です。
コスタリカの発想は、今でも日本の憲法9条を考える上で大切なものだと思いますが、ここではこの記事の最後に、伊藤千尋氏がサモラ氏の話を聞きながら思い出したとされている、中国の話です。
「毎年九月に中国人が半日になるのは当たり前。放っておけば10月初めに収まります」という話は、そう言われればそうだと、納得しました。今の日本人はなかなかこの事実に気がつかないのではないでしょうか。
それと領土問題についての、中国とロシアの内陸の領土問題が2008年までには全て解決しており、だから中国もロシアも日本に目を向け出したという話も、なるほどものです。いや、これは知りませんでした。確かに、伊藤氏の言うとおりならば、粘り強く交渉していくしかないはずですが、今の政権にそれができるでしょうか?
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