1月10日付け朝日新聞GLOBEは、特集「写真は死んでいくのか」の「01 デジタル化の波」です。
「写真撮影はかつて、高度な技術と高額な機材が求められる非日常的な行為だったが、環境が一変したいまはきわめて日常的なものになっている。言い換えれば、プロフェッショナルとアマチュアの違いが見分けにくい混沌(こんとん)とした時代なのだ。」
担当記者の豊間根功智氏は、こう述べています。
確かに、デジカメの普及・進歩により、誰もが簡単にきれいな写真を撮れるようになりました。我が家の小1の娘も、念願の自分のデジカメを手に入れ、喜んで撮りまくっていますが、手ぶれ補正やらなんやらのハイテク機能のおかげで、それなりの写真が撮れています。それを見ていた3歳の下の子が、お姉ちゃんのデジカメを横取りして撮っても、ちゃんとした写真が撮れているのですから、写真を撮影するという行為自体は大変簡単になったのは間違いありません。
しかし、それはあくまでも「写真を撮る」ということだけで、プロの写真とは違うと思います。写真は全てが綺麗に撮れていれば良いというわけではありません。例えば、有名なロバート・キャパの、ノルマンディー上陸作戦の時の写真、あれは写真としてはピンぼけなわけですが、あの写真はあのピンぼけ具合が、現場の臨場感を写していて、それがあの写真の価値を高めているわけです。プロの撮る写真は、現場のその一瞬の雰囲気や空気、場合によってはその匂いや音までも見事に切り取られているものなのです。
デジタル化の影響で、新聞社から暗室が消えたということが、こちらに出ています。銀塩写真は、プリントの時にも工夫が出来ました。今のデジカメはそれをパソコンでやるだけです。ただ、違いは誰もができるようになったということだけです。
デジタル化は写真にとってマイナスだとは思いません。簡単に撮れるようになって、従来よりも一枚にかける熱意が少なくなったかもしれませんが、シャッターをたくさん切れるようになったメリットを活かして、一枚一枚を慎重に撮っていたときにはできなかったことができるようになっているはずなのです。パソコンでプリントの加工が容易にできるようになって、写真の表現がいろいろできるようになって、おもしろくなったはずなのです。ただ、その変化があまりにも急激すぎて、それを活かしきれていないだけなのではないかと思います。デジタル写真は、もっと揉まれる必要があるんだと思います。
写真は、デジタルによってますますおもしろくなったんだと思っています。敷居が下がった分、写真の面白みを、多くの人が手軽に味わえるようになった、とても良い時代だと思います。
今の時代は誰もが豊かになったおかげで、なんちゃってプロが出現しているので、本当のプロフェッショナルは必要ではないという、勘違いをしているんだと思います。
写真について言えば、プロとアマが同じデジカメで撮影しても、出来上がった写真は全く違います。「写真の力」自体は落ちていません。誰もが簡単に写真を撮れるようになったわけですが、あくまでも「プロ並み」に撮れるようになったというだけで、プロと同じではありません。
なんとなく、写真に限らずいろいろな分野で、改めてプロフェッショナルの力が必要な時代が来ているような気がします。
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