2011年9月30日金曜日

沖縄密約判決に関しての各紙の反応

沖縄密約訴訟の判決が昨日(9月29日)東京高裁で出され、残念ながら逆転敗訴という結果に終わりました(詳細はこちら)。

それを受けて、今日(9月30日)の新聞各紙で取り上げられていますので、紹介します。

沖縄密約判決―過去の問題ではない」(asahi.com)

沖縄密約判決 ずさんな文書管理を指摘した」(YOMIURI ONLINE)




国の背信 追求せず 密約訴訟」(沖縄タイムス)

沖縄タイムスは解説という形での記事、それ以外は社説です。

基本的には、どれも敗訴という判決に対して不服であるというニュアンスです。
「あったはずの文書だが、廃棄されたか分からないが、とにかく文書がないのだから、仕方がない」という国の主張を認めるという、なんとも情けないものなのですから、当然です。

おそらく、各紙で書かれているように、「秘密裏に廃棄された」というのが真実に近いのだと私も思います。
公文書は国民共有の財産なんです。それを「無くしちゃった」では済まされないにもかかわらず、裁判所もそれを認めた上で、結局その理由について追及していないのだから、これほど国側にとっては都合の良い判決はないでしょう。
4月に施行された「公文書管理法」は、一体なんのために作られたのか、それをよく考えて欲しいですね。


2011年9月29日木曜日

台風15号で県内の文化財118件が被害 新居関跡や見付学校など

タイトルは、今日(9月29日)のCHUNICHI Webの記事からです(詳細はこちら)。

今回の台風15号の被害は、しばらくたってからいろいろな被害があったという話を、あちらこちらで聞きます。実感以上に被害が大きかったのには、驚いています。

文化財はたびたび台風で被害を受けますが、100件以上というのはスゴイ数です。ここまで多くの被害が出たのは聞いたことがありません。私も県の文化財保護指導員なので、今回の被害は大変気になっています。

早期の修理や復旧が必要ではありますが、なかなか予算が厳しいのが現状です。国や県の指定のものはまだよいにしても、市町ではかなり厳しいでしょう。そもそも被害の実態調査をすることさえ、調査費用を捻出するのが大変だと思います。

しかし、文化財は国民共有の財産です。速やかに被害の調査を進めて、復旧作業に取り掛かることを期待します。

2011年9月28日水曜日

記者の目:地上波民放から消える連続時代劇

タイトルは、9月20日の毎日jpに出ていた記事です(詳細はこちら)。

「水戸黄門」が現在放送中の第43部(12月まで)で終了することが発表されたことを受けての記事なのですが、これによって地上波の民放から連続時代劇が消えることになり、NHKの地上波も「歴史劇」の要素が強い大河ドラマだけとなるそうです。

確かに、テレビで時代劇をほとんど見かけなくなりましたね。視聴率の低下がだったり、若者が見ないからとか、制作費がかかるとか、要因は様々あるのでしょうが、本当になくなってしまっても良いのかという疑問は、私も感じます。

記事では、地上波から連続時代劇が消えることの問題点として、「一つは時代劇が表現していた日本人の倫理観や美意識がテレビから消えていくのではないかという疑問、もう一つは時代劇を支えてきた撮影所の技術が途絶えてしまう」という2つをあげていますが、それだけではなく、時代劇は「年配の人が孫と語り合える番組」であり、歴史を借りたホームドラマの要素が強いとはいえ、若者が歴史に触れる良い教材だったと思うのです。

今の高校生に歴史に関するイメージを語らせると、ほとんどがマンガやアニメからのイメージを語りますが、マンガやアニメは個人で読むものですし、個人の好みで読むものですので、読んでいる人間が限定されます。そのために、共通のイメージで語れないという現実があります。そのため、授業でも生徒のイメージが統一できませんし、知識の個人差がものすごく激しく、かつ局地的な知識しか持っていないという問題点があります。

その点時代劇は、時代が江戸時代に偏っているとは言え、見る場合には一人で観ることはあまり多くないでしょうし、テレビがついていれば、見ようと意識しなくても、意外と視野に入っているので、比較的多くの人間が、共通のイメージを持つことができるのです。授業でも、昔は水戸光圀や大岡越前、徳川吉宗などが登場する部分は、時代劇の話で盛り上がったものです。

記事では、「時代劇について、「義理と人情や、勤勉の尊さといった精神性は、戦後の高度経済成長を支えた。それは大震災後の今こそ、必要とされているのではないでしょうか。リアリティーが要求される現代劇に比べ、時代劇は人物の輪郭をはっきりと描け、生き方を純粋に凝縮して示せる」と主張する。」と書かれています。それはそれで一理あるとは思います。ただ個人的にはあまり積極的に賛同しませんが、「放送の中身について、もっと議論をしたいと思う。」ということに関しては、ぜひそうしていただきたいものです。

2011年9月27日火曜日

牧之原市議会の永久停止決議の反響

昨日の牧之原市議会での決議の反響に関するニュースが、たくさん報道されています。

静岡県の反応や政府の反応、中電の反応に関する記事へのリンクを貼っておきます(全てリンク先は@Sの静岡新聞ニュースです)。

永久停止決議、知事「立場は同じ」と理解示す

細野原発相「受け止める」 牧之原の永久停止決議

細野原発相の「受け止める」がどのような意味合いなのか、やや気になりますが、川勝知事の発言は、以前からの発言と同じ趣旨なので、信用して良いと思っています。

中電、牧之原市長と面会 浜岡永久停止決議受け

記事の中に、「水谷所長は決議が可決されたことについて、「44年前に受け入れてもらった方々に申し訳ない」と謝罪した。」とありますが、これは具体的に誰に対しての謝罪なのでしょうか?どういう意図での謝罪なのでしょうか?なんとなく、納得のいかない行動ですね。

静岡で10月、地震学会 大震災最新研究や講演会

静岡県内では1995年以来16年ぶりの開催ということらしいのですが、実に良いタイムングでの地震学会ですね。
一般向け講演会「東日本大震災に学び東海地震に備える」は15日午後1時から、同市駿河区のグランシップで開かれる。」ということですし、聴講は無料ですので、静岡県内の興味のある方にとってはナイスですね。

2011年9月26日月曜日

牧之原市議会、浜岡原発「永久停止」決議

新聞各紙で取り上げられていますが、タイトルは@Sの静岡新聞ニュースからです(詳細はこちら)。

先週「「浜岡原発永久停止を」 牧之原市議会、決議書提案へ」というエントリーをアップしましたが、さすがに、本会議での「浜岡原発の永久停止を求める決議」案の賛成多数での可決と、西原茂樹市長が本会議で浜岡原発の永久停止を求める考えを正式表明したことのインパクトは大きいですね。

別の静岡新聞の記事で、「浜岡原発10キロ圏内の残りの地元3市(御前崎、掛川、菊川)の市長は、一様に冷静な受け止め方を見せた」ということですが、当然簡単にはコメントできないでしょうね。

ただ、驚きだったのは「5月の全炉停止以後、4市対協は担当者レベルでも具体的な協議をしていない」ということです。
この後、残りの地元3市がどういう動きを見せるのか注目ですね。

ただ、とにかく牧之原市議会と市長の意思表明は、素晴らしいの一言です。

2011年9月25日日曜日

大阪教育条例案 教委の役割を問い直す議論を

タイトルは、今日(9月25日)のYOMIURI ONLINEに掲載されている社説です(詳細はこちら)。

この社説以外にも、アチラコチラでこれに関連した問題について取り上げられています。例えば、9月21日付でasahi.comに掲載されている社説には「君が代裁判―維新の会は立ち止まれ」と題した記事が出ています。

「大阪維新の会」が大阪府議会に提出した、「大阪府教育基本条例」は、自由法曹団大阪支部がテキスト化していますので、リンクを貼っておきます。リンク先にも書いてありますが、内容を検討し、議論を深めるためにご活用ください。

教員の立場からすれば、当然反対の立場なのですが、君が代の件といい、今回の教育条例案の件といい、君が代問題のエントリーに頂いたコメントにあった、かつて大阪の一部に存在したらしいあまりよろしくない教育に対する恨みか何かなのではないかと思わずにはいられません。
勝手な想像ですが、もしかしたら、橋下知事が受けた教育に対する恨みを、今晴らしているのではないかなどと思ってしまいます。そう考えると、橋下知事は被害者なのかも知れません。

ただ、そうであるからこそ、教育に関する問題は、多くの人間が様々議論をする必要があると思っています。
読売の社説の最後にもある、「学校現場への影響を考えると、十分な議論なしに採決することは避けるべきだ。「子どもたちの適切な教育を受ける権利に責任を負う」という目的と相反する部分は柔軟に見直してもらいたい。」という点は、橋下知事にもぜひわかっていただきたいです。

2011年9月24日土曜日

沖縄の新聞社説から

昨日のエントリーで「琉球新報」と「沖縄タイムス」の社説で、普天間問題について紹介しましたが、今日(9月24日)も引き続き、「琉球新報」と「沖縄タイムス」の社説を紹介します。

「琉球新報」は前日に引き続き、普天間問題に関してです。
普天間と安保 危険放置は許されない/国連は黙認でいいのか

「沖縄タイムス」は、「八重山教科書問題」に関してです。
[八重山教科書問題]議論尽くして打開策を

どちらも、内地の人間はそれほど深刻に取り上げていない問題でしょうが、ともに内地との関係における沖縄の矛盾(沖縄への差別?)を感じる問題だと思います。その意味では、これらの社説を読んで、考えなければならないと思っています。

2011年9月23日金曜日

日米首脳会談 沖縄の声がなぜ届かぬ

タイトルは、今日(9月23日)の中日新聞社説です(詳細はこちら)。
私も全く同感です。非常に残念です。

中日以外では日経が社説で取り上げているのが唯一の救いと言えますが、他の各紙では、今回の首脳会談でのこの問題に関して、いくつかあるの問題の一つとしてしか取り上げていない事自体が、この問題の本質が見えるように思えます。

やはりここは、当事者である沖縄の思いを知らないといけないでしょう。この問題に関する、琉球新報と沖縄タイムスの社説のリンクを貼っておきますので、ぜひ読んでください。

琉球新報:日米首脳会談 民意否定して民主主義か

沖縄タイムス:[普天間問題]「構造的差別」断ち切れ

[普天間問題]「構造的差別」断ち切れ

[普天間問題]「構造的差別」断ち切れ

2011年9月22日木曜日

「浜岡原発永久停止を」 牧之原市議会、決議書提案へ

今日(9月22日)、昨日の各紙に出ていますが、タイトルは@Sの静岡新聞ニュースです(詳細はこちら)。

一方で、「浜岡原発、防潮堤の工事開始 来年末完成」という記事も出ています。
この記事にあるように、「防潮堤建設のめどが立っても、再稼働のハードルは高そうだ。御前崎市の石原茂雄市長は「(防潮堤で)安全性は高まるのは歓迎したい」と評価する一方、「再稼働の是非は完成してからの話」と強調する。川勝知事は12日の記者会見で「使用済み核燃料が処理されるめどが立つまでは、再稼働させるべきではない」と発言し、再稼働に向けてこれまで以上に厳しい条件を提示した。牧之原市議会が会期中の9月定例会で「浜岡原発の永久停止を求める決議」を可決する可能性も高い」という中で、果たして中電の思惑どおりに行くのでしょうか。

この工事だけでは、川勝知事の条件はクリヤーできないですし、牧之原市議会の言う「東海地震の震源域に立地している浜岡原発は確実な安全・安心が将来にわたって担保されない限り」という条件もクリヤーできません。
つまり、この工事はあくまでも原発再開を目指す中電にとっては、第一歩だということなのです。この工事が完了すれば、再稼働ができると思っているようでしたら、それは改めてもらわないといけないわけですね。
そもそもこの工事は当初計画から、防潮壁の高さをアップしたことでどう考えても作業量が増えたと思われるにもかかわらず、完成予定が大幅に前倒しされたものになっていて、それでちゃんとしたものができるのかと思わずにはいられません。
まぁ、どんなに急いでも、防潮壁ができたところで、再稼働はできないですよ、中電さん!

2011年9月21日水曜日

台風15号、浜松上陸。

今日(9月21日)の朝は、時折晴れ間も見えるくらいの天気でした。ただ、朝から「暴風警報」が発令されていましたので、学校は休校でした。職場についたら、数名の生徒が来ていましたので、まだ雨も降っていなかったので帰るように指導しましたが、あの天気ならば来てしまう気持ちもわかります。
そんな感じだったのですが、その後時折雨が降りましたが、11時過ぎた辺りから、急に雨風が強くなり、お昼には台風真っ只中という感じになっていました。

天気図を見て、どうも直撃されそうだなぁと思っていましたが、まさか浜松に上陸するとは。ものすごい激しい雨と風で、教室のガラスが何カ所か割れてしまい、窓のスキマから水が染み出してしまうなどの被害が出てしまいましたが、人的被害がなかったのは不幸中の幸いでした。明日は、朝から生徒を使って掃除です。

ただ予想していた通り、帰宅時間のころには静岡を通り過ぎましたので、吹き返しの風は残っていますが、嘘みたいに静かになっています。首都圏などでは、電車が止まっているようで、かなり混乱しているようですね。

帰宅してみると、庭の木が見事に全部倒れていました。幸か不幸か、明後日から三連休ですので、ぼちぼち直していこうと思います。

2011年9月20日火曜日

明日から秋の全国交通安全運動です。

明日、9月21日から9月30日にかけて、秋の全国交通安全運動が行なわれます(平成23年秋の全国交通安全運動推進ポスター)。

ただ、明日の朝は地域によっては台風で大荒れで、大変でしょう。おそらく静岡県も、明日は大雨で通勤や通学が大変なことになると思います(学校によっては、休校処置をとる学校もあるでしょう)。とにかく安全が第一ですね(交通安全運動初日ですしね)。

この話をしたのは、9月17日の静岡新聞で、「県警、若者への指導強化 後絶たぬ事故に危機感」という記事を目にしたからです。

勤務校でも、幸い大きな事故に至っていないケースがほとんどですが、生徒の登下校中の自転車事故が頻発しています。二学期に入って、事故を減らすことを目的に、時差登校強化運動を行っていますが、それでも事故が起こっています。携帯電話や携帯音楽プレーヤーが事故の原因と疑われるため、校則では禁止にしていますが、現実は徹底しきれていません。
その意味では、ある程度の部分は警察が厳しく取り締まってくれるのは、学校としてもありがたいと思います。
「警告」の意味を持つ「自転車安全指導カード」を活用し、学校と連携した交通教育を進める」というのは確かに行なわれているのですが、生徒はあまり深刻にとらえていないように感じます。
県警は警告に応じない「悪質違反者」に対して、施行細則の罰則を適用する方針だが、適用したケースは、まだない。同課の担当者は「罰則の適用者が出ないよう、地道に交通安全指導を進める。中・高校生の交通安全意識を醸成し、将来の事故削減にもつなげていきたい」と話す」と記事にありますが、厳しい見方かもしれませんが、警察なんですから適用をさけるという考えはしない方が良いのではないかと思いますが、どうでしょうか。

2011年9月19日月曜日

脱原発、6万人の最大規模集会 東京・明治公園

タイトルは、今日(9月19日)のCHUNICHI Webの記事です(詳細はこちら)。

「さようなら原発5万人集会」に約6万人が集まったということですから、イベントは大成功ということですね。掲載されている写真を見ても、ものすごい人で、びっくりです。それだけ多くの人が、「脱原発」を望んでいるということです。このことを政府はしっかりと受け止めて欲しいです。


原発がらみで、もう一つ気になる記事があります。

小泉元首相「原発依存度、下げるべきだ」

他社にも出ていますが、リンク先はYOMIURI ONLINEです。

民主党も自民党も大方は『もう原発を増やしていくのは無理だ』(と思っている)。原発は選挙の争点にはならない」との見方を示した。」ということですが、本当にそうなんでしょうか?
今の政府の方向性は「減原発」ですから、小泉元首相の見方もまんざらでもないのでしょうが、「日本は原発や石油への依存度を下げ、自然エネルギーや再生(可能)エネルギーの技術開発に投資し、環境先進国を目指すべきだ」という方向を、現役の政治家の方々がちゃんと目指す意思があるのか、かなり気になりますが、小泉元首相の影響力って、どのくらいあるのでしょうか?

2011年9月18日日曜日

明応東海地震での36メートルの津波について

一昨日(9月16日)から開催されていた「第 28 回歴史地震研究会」で、東大地震研の都司嘉宣准教授らによって、「室町時代の1498年に発生した大地震「明応東海地震」で、古文書の記録や伝承から、静岡県沼津市で津波が斜面を駆け上り標高36メートルを超える地点まで達していた可能性がある」との報告が行なわれたというニュースが流れ、アチラコチラで話題になっています。

新聞でも、毎日jpasahi.comなどに記事が出ています(他の新聞にも出ているかも知れませんが、私が気がついたのがこの2紙だっただけです)。

話題の沼津市の平目平は、戸田(へだ)地区にあります。駿河湾の一番奥の、入り組んだ海岸沿いの港がある場所です。地震の発生場所にもよりますが、駿河湾内で地震が起きて津波が発生すれば、その一番奥の地域は当然津波が大きくなるわけです。特に駿河湾は深いですし、戸田のある伊豆半島の海岸沿いは入り組んでいますので、場所によってはかなりの高さになることは予想されます。
確かに、警戒する必要はありますし、対策をとらないといけませんが、平目平の立地のことを考慮すれば、他の地域にそれに相当する津波が来るとは一概には言えないと思います。

また、毎日jpの「中部電力浜岡原発(同県御前崎市)から30~40キロの磐田市掛塚でも標高10メートルの場所まで浸水した可能性があった」という記事も、その立地を知らない方にはかなりのパニック記事ですが、正確に言うと、「浜岡原発のある御前崎市から、西に30~40キロの場所にある海岸沿いの磐田市掛塚でも」というふうになります。掛塚は天竜川の河口にある港町です。遠州灘に面していますので、津波が来れば被害があると想像できる場所です。

個人的には、平目平の36メートルよりは、掛塚の10メートルの方が心配です。なぜならば、浜岡原発も掛塚と同じように遠州灘に面した場所にありますので、津波の規模によっては当然同じような被害が想定できるからです。

常に言っていますが、特に浜岡原発で「想定外」という言葉は、もう通用しません。かなりいろいろなデータから、浜岡原発の立地上の危険性が指摘されているわけで、今回の報告もその危険性の指摘をさらに補う意味で重要なものだと思います。もう少し詳しい情報が欲しいですね。東大地震研のHPで、報告の詳細が発表されないでしょうかねぇ?

2011年9月17日土曜日

八重山教科書問題

昨日(9月16日)の朝日新聞の社説で、この問題が取り上げられています(詳細はこちら)。

どうして、育鵬社版を選ぶという判断がありうるのか、個人的にかなり疑問を感じます。それも、沖縄県ですから。

私としては、竹富町の姿勢が基本的には正しいと思います。また竹富町が不採用にしたことで、「3市町の全教育委員による協議での多数決で、委員たちは育鵬社版を撤回し、東京書籍版にすると決定した」というのも、確かに文科省の言うとおり、手続き的に不備はあると思いますが、最終的には正しい判断だったと思います。

ただ、文科省が「「つくる会」系の育鵬社版を事実上推す通知を15日に出した」という報道が、今日の朝日新聞に出でいて(詳細はこちら)、これは一体どういうことなんだと思うのです。統一しろというところまではわかりますが、それが何故育鵬社版への統一なのでしょうか?

社説の方に、「教員が務める調査員の育鵬社版への評価は高くなかった」とあるように、おそらく現場の教員からすれば、育鵬社版は採用には値しないものだと判断されているはずなのですが、何故文科省はそれを進めるのか、これはかなり問題だと思います。

2011年9月15日木曜日

今日の新聞から 教育関係ネタを2つ

今日(9月15日)の新聞で、教育関係の記事で気になったものがありましたので、紹介します。

一つ目はasahi.comの、「学校の津波・地震対策強化 文科省がガイドライン作成へ」です。

この情報は、今朝勤務校の副校長に教えられたものです。

勤務校でも、今年度「防災マニュアル」(勤務校では「危機管理マニュアル」と言っていますが)の見直しをしています。特に、津波対策は必要だと思いましたので、それはいち早く検討しましたが、まだ見直しの途中なので、文科省のガイドラインが来てからにしたほうが良いのかなぁとも思いますが、いつ地震が来るかわからないですから、とりあえずはこの記事に出ていたガイドラインのポイント、

▽具体的な避難場所や避難経路▽震災発生時に、児童生徒を下校させるか、保護者が迎えに来るまで学校で待たせるか、迎えに来ても帰宅させず親子を学校に留め置くかの基準

について、検討しておく必要があると思っています。

この記事は、文科省のHPに詳しい調査結果が出ています。

一昨日のエントリーに書いた、OECDの『図表でみる教育2011』の『カントリー・ノート:日本』に出ている

日本の在学者一人当たりの教育支出は、初等、中等、高等教育段階においては OECD 平均を上回り、就学前教育段階においては OECD 平均を下回る・・・
・・・一方、日本の教育への公財政支出の対国内総生産(GDP)比及び対政府総支出比は、 OECD 平均を大きく下回る。

を考えれば、「前年度比1.4%増」、「13年ぶりに」というのは、少し寂しい気がします。
個人的には、全体的にもう少し教育にお金をかけて欲しいと思います。未来の日本を作る子どもたちを育てるためなのですから。

2011年9月14日水曜日

エネルギー政策 攻めの姿勢で脱原発を

タイトルは、今日(9月14日)の中日新聞社説です(詳細はこちら)。

野田首相の所信表明演説を受けての社説ですが、原発問題に関しては、この社説にあるように「微温的」です。

節電や自然エネルギーなどの知恵を広く集め、攻めの姿勢で脱原発を急ぐべきだ。」

原発に偏った一兆円近いエネルギー対策特別会計の無駄を大胆に削り、太陽光や風力など、再生エネの分野に振り向ける手腕を見せてほしい。

まさに、その通りだと思います。

野田首相にとっての問題は原発だけではありませんが、この問題は日本のみではなく、世界的にも大変な大問題なのですから、そのあたりのことを十分に認識し、再度きちんと考えてもらわないといけませんね。

2011年9月13日火曜日

OECD『図表でみる教育2011』発表

今日(9月13日)の毎日jpやYOMIURI ONLINEにOECDの調査報告書の記事が出ていましたので、紹介します(リンクは、毎日jpの記事です)。

OECD東京センターのHPに行ったら、新聞記事のもとネタの『図表でみる教育2011』と、日本についての抜粋の『カントリー・ノート:日本』へのリンクがありましたので、貼っておきます。

『カントリー・ノート:日本』が読みやすいので、そちらの見出し部分だけ抜き出してみます。

日本及び多くの OECD 加盟国において、教育がもたらす経済的効果は大きい。

多くの OECD 加盟国において、教育は社会的成果の向上にも関係している。

日本は OECD 加盟国の中でも最も教育された労働力を有する国のひとつである。

日本の 15 歳の読解力は高水準にあり、かつ低成績層の占める割合が低い。

日本では不利な社会・経済的背景にも関わらず好成績を上げる生徒の割合が比較的大きい。

日本の在学者一人当たりの教育支出は、初等、中等、高等教育段階においては OECD 平均を上回り、就学前教育段階においては OECD 平均を下回る・・・

・・・一方、日本の教育への公財政支出の対国内総生産(GDP)比及び対政府総支出比は、 OECD 平均を大きく下回る。

日本は OECD 平均に比べ教育支出に占める私費負担、特に家計負担の割合が大きい。

日本では、近年学級規模を縮小するための投資がなされているが、他の教育の質に関わる要素も
考慮されるべきである。

日本の教員の法定勤務時間は OECD 諸国と比べて長い一方、授業時間は短い。

日本では、教育の成果に関する説明責任を学校に課すため、全国的な学力の調査を実施しているが、試験は実施していない。


OECD 加盟国の多くが、規則の遵守に関する説明責任を学校に課す制度を整備している。

日本は国際教育市場におけるシェアを増やしつつある。

国際的人材プールの構成における急速な変化が日本に課題をもたらす。 

『カントリー・ノート:日本』は全部で10ページなので、時間があれば全部見ればよいのですが、ご覧のように見出しと言っても、各項目の概要を示している文章なので、時間がなければこの見出しだけを見ても調査結果の概要はつかめます。

2011年9月12日月曜日

伊能忠敬の測量日記をDVD化

9月9日のCHUNICHI Webに出ていた記事です(詳細はこちら)。

伊能忠敬の測量隊は全国をくまなく歩いているわけですから、地元に来た時のことがどんなふうに記録されているのか、興味があります。で、それが2万円で手に入るのですから、安いと思います。
まぁ、しっかりと伊能忠敬のことを研究しているわけではないので、ただ地元がどんなふうに書かれているかだけですと、ちょっと躊躇しますけど。

新聞記事の最後に、このDVDを刊行した伊能忠敬研究会のHPのURLが出ていたので、そのページに飛んで見たら、これがなかなかおもしろいのです。

伊能忠敬と伊能図の大事典」というタイトルになっていて、名前通り「“伊能忠敬と伊能図”に関してあらゆることがわかる百科事典」となっています。このHPだけでも、かなり勉強になりますので、興味があるかたは、覗いてみてください。

2011年9月11日日曜日

原発に関する自治体アンケート結果

今日(9月11日)は、東日本第四震災からちょうど半年なので、それに関連するニュースがたくさンありますが、@S静岡新聞ニュースとCHUNICHI Webに、「都道府県知事と市区町村長の66%が原発の新設や増設に反対していることが10日、共同通信社のアンケートで明らかになった」という記事が出ていました(両方とも同じ内容ですので、HPの文字の表示が大きいCHUNICHI Webの方にリンクを貼っておきます)。

また、昨日(10日)の@S静岡新聞ニュースには、静岡新聞社が県内全35市町を対象に行ったアンケート調査が出ています。
それによると、「24市町が全国にある原子力発電所を「段階的に減らすべき」と回答した」ということです。

全国でも、県内でも、60%以上自治体が原発は減らすべきというふうに考えているというわけです。地方がこれだけの意思を示しているですから、本来ならば政府はこの結果を重く受け止め、きちんとした判断をするべきなのですが、はたして政府はどのように受け止めるのでしょうか。


2011年9月10日土曜日

『モレスキン 人生を入れる61の使い方』 を購入しました。

発売は昨日9日でしたので、仕事帰りに書店に急行したのは言うまでもありません。

発売日前から、献本を受けた方々の書評が、「モレ本公式サイト」に出ていましたので、楽しみで楽しみで、実際に本を手にしてみて、皆さんのお話通りにモレスキンのラージと同じサイズであることに感動しました。それにしても、なんと手の込んだ本なんでしょうか。

個人的にお気に入りのラージと同じサイズというだけで、今のところ表紙を眺めているだけで満足しています。楽しみにしていたので、何か勿体無くて(^_^;)

ただ、せっかくモレスキンと同じような仕様にしたのならば、ハードカバーだったらなぁと思うのは私だけでしょうか。

そんなわけで、中身についてはコメント出来ません。ただ、さすがにもう数日経てば、読み始めると思いますので、もしかしたら内容についてのコメントのエントリーがあるかもしれません。



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2011年9月9日金曜日

遠山茂樹氏死去

今日(9月9日)の新聞に、近代史研究者で横浜市立大名誉教授の遠山茂樹氏が8月31日、老衰のために、97歳で亡くなったという記事が出ていました(リンク先は東京新聞のTOKYO Webの記事です)。

近代史を勉強している人間にとって、遠山茂樹氏はとても大きな存在です。特に明治維新史の研究に関しては、その先鞭をつけた人物として大変尊敬しています。

一般的に有名なのは、昭和史論争でしょうか。戦後の日本歴史学を語るうえで、歴史認識をめぐる論争の出発点ともいえる、もっとも重要な論争の一つです。

ご冥福をお祈りします。

2011年9月8日木曜日

昨日に続き、大井川鉄道情報

昨日、新金谷駅に転車台が新設され、それ伴いバック運転が終了するという情報をエントリーしましたが、10月1日にダイヤ改正が行なわれ、SLは新金谷駅が始発駅に変更になるようです(詳細はこちら)。

今まで観光客は、JRで金谷駅まできて、JR金谷駅のすぐとなりにある大井川鉄道金谷駅からSLに乗ることができたのですが、10月1日のダイヤ改正により、それがなくなるということです。

また、転車台が10月7日から供用されるのですが、その10月7日からは「SLフェスタ2011」というイベントが開催されます(詳細はこちら)。

その「SLフェスタ2011」にあわせて、大井川鉄道では「SL重連運転」及び「EL(客レ)運転(電気機関車牽引の客車列車)」が行なわれます(詳細はこちら)。

これは、鉄道ファンにとってはかなりのイベントですね。特に、「EL(客レ)運転」では、列車編成 が「 電気機関車 + スハフ43 + スハフ43 +オハニ36」 で、さらに急行券が「かつて急行電車を運転していたころ使用していた電車急行券(硬券)」で、「オハニ36の荷物室の見学」もできるそうなので、10月9日は注目です。

2011年9月7日水曜日

大井川の観光関連ネタ2つ

昨日(9月6日)の新聞から、大井川に関するネタを紹介します。

一つ目はCHUNICHI WEBより、「島田・蓬莱橋の橋脚計3基が流失 台風12号の影響」です。
蓬莱橋は、大井川にかかる「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネスにも認定されている観光名所の一つです(こちらから島田市のHPで詳細が見れます)。
もともとは牧之原台地の開拓農民らが大井川を渡るために、1879(明治12)年に共同出資により架けたため、、関係者以外からは通行料金をとったことから、現在も賃取橋(有料)なのですが、牧之原台地の対岸側に料金所があり、管理人さんがいて、自転車は100円、歩行者は大人100円、小学生以下10円の通行料を徴収しています。
ただ、木造なので、大雨が降って大井川の水量が増えると、度々橋が流されてしまうのです。記事によると、平成に入って9回目だそうですが、まぁ、それの木造ならではの味ですかね。あれだけ降ればそれもやむを得ないですね。

二つ目は、@Sの静岡新聞ニュースから、「大鉄新金谷駅にSL転車台 不評のバック運転解消へ」です。
大井川沿いを通っている大井川鉄道にはSLが走っていて、鉄道ファンのみならず、写真を撮る人や家族連れにも大変な人気なのですが、確かにSLのバック運転は、SLの顔(正面)が見えないので、おもしろくないですよね。今回、転車台ができると、転車台での様子を見ることも人気になるでしょうし、記事によると、イベントの時には手動にして転車を体験できるようにするようですから、ますます人気が出るでしょうね。

おそらく蓬莱橋も近いうちに復旧させるでしょうし、大井川鉄道のSLもあることですし、この秋、大井川付近に旅行に来られると良いかもしれませんよ。

2011年9月6日火曜日

ダイソー Leather type notebook 

この間の週末、近所のダイソーに行ったらありました。

















ぱっと見は、モレスキンな感じですので、思わず手に取りました。

数年前にも、ダイソーでモレスキンもどきが売っていたようですが(残念ながらその時のものは手に入れていません)、その時の情報を幾つかのブログで拝見しましたが、どうもその時の商品とは違うもののようです。

上の写真の商品はA6となっていますが、大きさはモレスキンポケットとほぼ同じです。色は黒のみ、ハードカバーで、中身はルールド、96ページ、紙の色はクリーム色と言っていいと思います。モレスキンのようにゴムバンドで止めることができ、そのゴムもそれほどヘロヘロなものではありません。残念ながら、最後のページにポケットはついていません。

私の場合、日常的に万年筆を使っていますので、当然これでも万年筆のインクが通用するかどうかがポイントになります(ホンモノのモレスキンでも、インクによって裏抜けするものがありますよね)。

私は普段、パイロット純正ブルーブラックをいれた細字のキャップレスを胸ポケットに差しています。パイロットの純正ブルーブラックは、たいていの紙で裏抜けが見られますので、これで抜けるか抜けないかが、一つの基準になっているのですが、何と今回のこの商品は大丈夫でした(多少個体差があるかもしれませんが)。そのかわり、ホンモノのモレスキンで大丈夫だったラミーのブルーブラックは多少裏抜けがあります(大した抜け具合ではないので、気にしなければそれほど問題はない感じですが)。
もちろん、ボールペンや鉛筆ならば、何の問題もありません。紙質は割合いいほうだと思います。

モレスキンもどきとしては、かなりホンモノに近い雰囲気に仕上がっていますので、人によってはこれで十分だと思います。

これは買いだと思います。私も見つけた時にはお試しで2冊しか買わなかったのですが、追加購入に行ったのは言うまでもありません。某店舗の、この手帳の棚を空っぽにしたのは私です(^_^;)

なお、同じタイプでA7の商品もあります。こちらはXSもどきですね。

















個人的には、これのラージタイプがあれば言うことないのですが。もしかしてあるのかなぁ?

2011年9月5日月曜日

節電の夏を振り返る 「国民総出」で目標達成、疑問の声も

タイトルは、毎日jpの記事です(詳細はこちら)。

9月に入り、なんとなく夏を乗り切った感じのするなかで、「そもそも本当に電気は足りなかったのか?」という疑問は、誰もが感じたことでしょう。

「そもそも電力は足りていた」と主張するのは、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長。自然エネルギー推進に向けた研究・政策提言を行う飯田さんは、「東電と経済産業省は、需要を過剰に、供給力を低く見積もることで、『原発を再稼働しないと停電が起きるぞ』という脅しを行った」と批判する。

まぁ、結局この夏どうにかできてしまったので、東電の脅しも意味がなくなったわけですね。

「脱原発のため」と節電に努めた人も少なくないはずだ。節電のあり方を考えるのは、原発について考えることでもある。放射性物質に汚染された福島の現状を見つめながら、来年以降のことも考えたい。

確かに、人によっては、もし原発がなければ、また来年も同じようになるのかと、うんざりする人もいるでしょうが、飯田哲也所長もいっているように、たぶん電力は足りていたはずです。ですから、本当は、ここまでの節電は必要なかったわけですから、原発をやめても今年のような「国民運動』的な節電までは必要ないはずです。
必要な電力は使えば良いのです。ただ、「節電しよう」という心掛けは、今後も必要ですね。
都市部などでは、今までのような必要以上に明るい照明がなくても全く問題がなかったはずです。つまり、そういった部分を今年のように節電していけば、全く問題がないのです。

正直言って、私自身は例年とほとんど変わらない状態でした。確かに職場は節電ということで、エアコンや照明を切っていましたが、そもそもエアコンをあまり好まない体質なので、むしろその方がいい感じでしたし、スーパーなどでも今までは寒かったのですが、なかなかいい具合な感じでしたから。
まぁ、私のような人間は少ないにしても、皆さんもいろいろな工夫で、なんとかなったわけですよね。こういうのって大事だと思うのです。ですから、原発を無くして、今度もいろいろ工夫して、むしろ夏を楽しんでみるという気持ちを持ってみてはどうでしょうか。

2011年9月4日日曜日

宇野常寛インタビュー  「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ、社会への想像力を拡張するために」

SYNODOS JOURNALに、8月20日に4回にわたって掲載されてものです(第1回目のリンク先はこちら)。
宇野氏が7月に『リトル・ピープルの時代』を刊行されたのに合わせて行なわれたインタビューで、当然本の宣伝も兼ねているのでしょうが、3.11以降の宇野氏の思考が大変興味深いので、紹介します。

インタビューの中で、『リトル・ピープルの時代』は、

1968年的な問題意識がもう賞味期限切れになっていて、9.11以降はまったく通用しないんだということを基本的な枠組みとして訴え」るために、

9.11以降、要はグローバル/ネットワーク化の時代を考えるときに、奇形的進化をとげた日本的、あるいは東アジア的ポップカルチャーが提出したイメージがきわめて大きなヒントになる、ということで自分の普段の仕事、つまり同時代的なポップカルチャー分析に結びつけるというのがコンセプトにな」り、

村上春樹とヒーロー番組の対比で、現代における「暴力」の問題を扱うというコンセプト」になったと語っています。

そのようなコンセプトの『リトル・ピープルの時代』の「まとめ」部分を書いているときに、「3.11」が起こったのだそうです。それ以降、「書きかけの本と震災についてずっと考えていた。そしてある日、すべてが自分のなかでつながったんです。震災への考察を主軸にすることで、全体を貫くメッセージを決定的に強化できるな」と気づき、原稿を最初から書き直しということです。

私が宇野氏の考えのポイントだと思うのは、次の部分です。

ぼくは震災が何かを変えたというよりは、震災のせいで既存の構造が露呈し、進行中の状況が加速したと考えているんですよね。原発の問題も、東北の問題も考えてみれば2011年に急に発生したわけじゃない。

それに、「物語批判か、物語回帰か」といった自意識的な議論は国内では90年代に決着がついている。だからこそ、ゼロ年代はプレイヤーの態度や内面ではなくてゲームシステム、つまりアーキテクチャの問題が浮上した。国内においては80年代が物語批判で、90年代がその反動としての小さな物語回帰の時代だった。物語批判に留まれ、という態度自体も含めて(小さな、即自的な)物語回帰しかなくなってしまった。だからゼロ年代はそんな小さな物語たちの関係性の問題だけが残されたわけですね。だからこそアーキテクチャの問題が浮上した。人間はどれだけ留保をつけてアイロニカルに振る舞おうが、最終的にはもう信じたいもの信じて、小さな物語回帰するしかないので、あとは彼らがコミュニケーションをとる環境を操作するしかない。たとえば、教室で喧嘩が起こったときに、各々の生徒を説得するんじゃなくて学級制度自体をいじって(選択制にするとか)解決するという発想ですね。

だから「3.11以降、ぼくらは世界のことを考えざるを得なくなった」的な言説は端的に間違っていると思う。思想的にじゃなくて事実関係的にね。震災が何かを変えた、というよりは震災はこれまで隠蔽されてきた既存の構造を暴き、僕たちに突きつけた、というのがぼくの考え。
 」

つまり、「震災が何かを変えたというよりは、震災のせいで既存の構造が露呈し、進行中の状況が加速した」、「震災が何かを変えた、というよりは震災はこれまで隠蔽されてきた既存の構造を暴き、僕たちに突きつけた」という部分です。

実は、「3.11」以降、8月21日までは「震災によって、何かが変わる」のだと思っていました。
しかし、8月22・23日「先生のための夏休み経済教室」で、日大の中川雅之教授の講義や、政策研究大学院大学の大田弘子教授の「日本経済の現状、地震・津波・原発事故を超えて」の講演で、被災地の話を聞き、「震災が何かを変えたのではなく、震災のせいでこれまで隠されていた問題が明らかになった」のではないかということを考え始めていました。

また、『経済セミナー』No.661号に掲載されている、一橋大学の齋藤誠教授の「震災前から震災後を考える:石巻を歩いて」で、

「 今般の大地震は、震災前の経済環境をリセットしたわけではなく、むしろ、震災前から生じていたダウンサイジングを加速させていく側面がある。当然ながら、震災からの復興は、震災前の経済条件に強く縛られていく。

“不安”とは、「震災前からあった深刻な経済問題」が、「震災のために新たに生まれた経済問題」にすり替えられて、大規模な経済政策が発動されるのではないかと懸念したからである。


「 ピースボートなどのボランティア団体がキャンプをしている石巻専修大学のグラウンド風景は、とりわけ印象的であった。東京や大阪から来た若者は、風呂にも入らず、自炊をしながら、日々、ボランテイア活動に汗を流していた。その一方で、地元の若者は地元の大学に通い、グラウンドで陸上競技に汗を流していた。

経済学者としての私には、こうした風景の多様性を肌で感じることができたことが何よりもありがたかった。東京に住む私たちは、大津波で無残な姿となった日本製紙の石巻工場の写真から受ける強烈な印象だけで、大胆な経済政策を発送してしまいがちだったからである。


という文章を読み、まさにここにあるような問題に気付き始めたのです。

しかし、何かすっきりとしませんでした。それが何なのか、よく分からなかったのですが、宇野氏のこの言葉で自分の中ではっきりとしたのです。

要するに今回の地震や原発事故で人びとを戸惑わせているのは、とくに後者についてうまくイメージ化できないからだと思うんですよね。

現在の言論空間、文化空間の混乱の背景にはこれまでの想像力ではイメージ化できない巨大な力への不安があるんだと思うんですよ。

疑似人格(ビッグ・ブラザー)化できない「壁」、つまり世界の構造というのがこの本のテーマなんですよ。だから福島の問題について考えることが決定的な補助線になった。原爆的ではなく原発的なものをどう考えるかは、ぼくにとってはビッグ・ブラザーではなくリトル・ピープルについて考えることだったわけです。その辺はぜひ本を読んでほしいと思う。

それで、当然『リトル・ピープルの時代』、買いに走ってしましました(^_^;)まだ読んでいませんが。


もう一つ、宇野氏のインタビューの中で興味深いのは、「この本は見田社会学の文学性をどう抽出するかというのが裏テーマのひとつになっている」と語っている点です。

「政治と文学」の新しい関係を、現代のポップカルチャーの想像力を援用すればもっとはっきりかつ、しっくりする概念で記述できるんじゃないのかということを考えた。それが「拡張現実の時代」ですね。「虚構の時代」は、今考えると「仮想現実の時代」なんですよね。だからオウム真理教とか、架空年代記(ガンダム)とか最終戦争(エヴァンゲリオン)が代表的なその時代の想像力に用いられる。だとすると、「虚構の時代」の次にくるのは「拡張現実の時代」じゃないかと考えたわけです。そして「拡張現実の時代」的な想像力がまさに、現代日本のポップカルチャーを席巻している。AKB48もニコニコ動画もソーシャルゲームも全部そう。

この「拡張現実」をキーワードに新しい「政治と文学」の関係を記述できるんじゃないのかというのが、この本の最大のアイデアなんですよ。それがなぜ「震災」で思いついたのかというと、たとえば鶴見済が『完全自殺マニュアル』で「もうハルマゲドンはこないし、原発は爆発しない」といっているんです。つまり世界はもう変化しないのだから自分を変えるしかない、その究極のかたちが「自殺」なんだと煽っているわけです。

でも原発は本当に爆発してしまった。けれど、それで大きな物語が帰ってきたかと思うと、そんなことはないわけです。原発が爆発したからといって、誰もが生き生きと元気に大きな物語を共有し出すかというと、そんなことはないでしょう。そう思い込みたい東京の左翼文化人はいてもね。実際には国民が大きな物語を共有してひとつになるというよりは、むしろ物語のレベルでの分断が起きてしまっている。関西や北海道はもちろん、被災地と関東のあいだにもかなり空気が異なっているのは明らかでしょう。むしろ原発が爆発しても大きな物語が機能しないことが明らかになってしまった。

いまだに忘れられないのが4、5月の東京の空気で、いつ余震があるかもわからないし、放射能情報も刻一刻と変わっていくんだけど、日常は否応なく回復して、みんな当たり前のように仕事をしているし、当たり前のように消費生活をしていると。にも関わらず、所々でノイズのように地震速報とか、放射能という「みえない脅威」がぼくらの日常を半歩ずらしていく感覚。そういう感覚をずっと考えていたときに、これって原発が爆発した瞬間に最終戦争だとか大きな物語が復活したもういっこの未来・世界にいくのではなくて、現実が変革ではなく拡張したという考え方をした方がぼくにはすごく合ったんだよね。


ぼくは世界の変革をあきらめて想像力を封じ、現実を受け入れろといっているんじゃないんです。オールドタイプの思考法では、革命か、革命を仮構する仮想現実の構築だけが現実批判であり想像力の行使だということになっている。けれど、21世紀のこの世の中にそんな馬鹿なことがあるわけがない。拡張現実的な想像力による現実の多重化こそが、このグローバル化、ネットワーク化を成し得た現代においてはもっとも有効な現実への対峙であり想像力の行使だといっているんです。世界の構造が変化しているんだから、当然人間の構造に対するアプローチ、壁と卵の関係、政治と文学の関係も変わってしまう。20世紀的な「革命」思考に縛られている人が、まあ、仕方ないけれど40代以上に多すぎると思いますけどね、単純に考えて。

まさに、自分の思考は「オールドタイプ」でした。「拡張現実的な想像力による現実の多重化」の言葉は、目からウロコでした。
そして、「当たり前のように仕事をしているし、当たり前のように消費生活をしていると。にも関わらず、所々でノイズのように地震速報とか、放射能という「みえない脅威」がぼくらの日常を半歩ずらしていく感覚」が、自分にとって「得体のしれない何かだった」ということを感じたのです。

ただ正直言って、このインタビューが十分に理解できているわけではありません。特にゲームの話題はよくわかりません。
ただ「前田敦子個人の内面や身体性に本質はなくて、彼女のポテンシャルを120%以上引き出すAKB48というゲームシステムに本質がある。大きな物語的には国民的アイドルはもう成立しないけれど大きなゲームとしてなら成立する」という話はなんとなく理解できます。

ぼくがこの本で取り上げた表現の多くが、上の世代の人たちには表現「未満」のものだと思われてしまっている。なぜかといえば、表現がコミュニケーションの一部になっているからですね。それが情報化ということなんだけれど、文学が情報の一ジャンルになって、コミュニケーションの一部になって、現実の一部になって、虚構として独立していないからダメだと。でもね、そうじゃないんですよね。現実の、情報の一部になって、情報の下位カテゴリーになっているからこそ発生する快楽というのが存在するんですよ。この新しい世界を視野に入れたとき、はじめて革命モデルとは違う社会変革のモデルだってみえてくる。革命からハッキングへ、文学から情報へっていうのはまったく同じことなわけです。ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ、ウルトラマンから仮面ライダーへでもあるわけだけど(笑)。

40代ですけど、「革命モデルとは違う社会変革のモデル」を見たいわけです(^_^;)

ですから、なおさら自分にとっては、『リトル・ピープルの時代』はしっかり読まないといけない本だなぁと思っています。ちゃんと読んだら、このブログに感想を書きたいと思います。



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2011年9月3日土曜日

太平洋戦争:朝鮮半島出身動員26万人 配属先の全容判明

タイトルは、毎日jpの記事です(詳細はこちら)。

太平洋戦争中に朝鮮半島から多くの人々が動員され、いろんな場所で働かされていました。日本国内の鉱山などでの強制労働に近い形での作業については、全国のあちらこちらで研究がなされています。

ただ、軍人・軍属としての朝鮮半島からの動員については、今までほとんど研究がされていませんでした。理由は、旧陸海軍省や戦後に改組された第1、第2復員局が作成した、軍人や軍属の履歴、配属先、死亡状況などが記載されている、「旧陸軍「留守名簿」(16万148人)、「工員名簿」(2102人)、「軍属船員名簿」(7046人)と、旧海軍「軍人軍属名簿」(10万778人)が、原則的に「日本国内では本人や遺族などにしか公開され」なかったからで、「93年に日本政府が韓国政府に引き渡し、韓国国家記録院で整理された。09年から日本人研究者の閲覧が可能にな」ったことで、やっと研究が始まったところなのです。

そのため、記事のなかの「朝鮮半島出身の軍人・軍属に詳しい早稲田大学大学院の内海愛子講師(日本アジア関係史)の話」にあるように、「朝鮮半島出身者の配属先は部分的には判明していたが、体系的に明らかにされたのは日韓を通じて初めて。基本的な資料として大変貴重」なのです。それを、個人的に「10年に3回渡韓し調査、集計した」竹内氏には脱帽です。

実は、竹内氏のことはよく知っています。静岡県の朝鮮人強制連行に関する研究でも抜群の方です。その意味では、今回のことは納得のお仕事なのですが、まさか渡韓してまで調査されているとは。見習わないといけませんね。

2011年9月2日金曜日

「脱原発」を堅持しよう 日本の未来のエネルギー

タイトルは、CHUNICHI WEBに出ている社説です(詳細はこちら)。

野田佳彦新首相は「原発を新設しない」としながらも、「安全性を確認した原発を活用し、電力の安定供給を確保する」と、再稼働容認の立場を鮮明にしており、民主党代表選に出馬した五人の中で、脱原発からは最も遠いといわれている。脱原発、脱原発依存路線からの後退、あるいは揺り戻しを心配する声も高くなっている。」ということについては、かなり気になりますが、「脱原発の方向性は、福島第一原発の惨状を目にした多くの国民に、一定の評価を受けている。国民の意思と願いが込められた脱原発の金看板を、そう簡単に掛け替えるべきではない。」という社説の主張には大賛成です。

経産省原子力安全・保安院は、福島第一原発から飛散した放射性セシウム量が、広島型原爆百六十八個分に上ることを公表した。文部科学省の調査では、土壌汚染の最高濃度は一五〇〇万ベクレル以上に上る。徐々に明らかになる放射能汚染の実態は予想以上に深刻で、広範囲にわたっており、避難の長期化は避けられない。」という状況なわけですから、今後このようなとてつもなく大きな被害が出ているという事実を無視するような動きには断固反対すべきです。

原発は高くつく。安全上も経済的にも、あまりにリスクが高すぎる。」のです。「原発はいずれにしても“安楽死”させる以外にない。」のですから、今後、これ以上悲しいことが起こらないようにするためにも、「脱原発」をススメなくてはいけないのです。

2011年9月1日木曜日

文化資源をデータベース化 県が開設

タイトルは、今日(9月1日)の@Sのニュース(静岡新聞)の記事からです(詳細はこちら)。

「ふじのくに 芸術回廊」と名付けられており、

http://www.fujinokunibunkashigen.net/index.php?search=category

がトップページです。

記事にもあるように、現在は300件しか登録がありませんが、平成24年3月までには1800件の登録を目指すようです。「カテゴリーから探す」、「地域から探す」、「時期から探す」の3つの方法で検索できるようになっています。上記のリンクでページに飛ぶと、「カテゴリーから探す」のページが出てくるのですが、そこに使わている写真が結構綺麗で、県外の方々が静岡県のことを調べるときにも、楽しんで見ていただけるのではないかと思いますので、ぜひ一度見に来てみてください。

なお、今日からラベルに「静岡県情報」を追加しました。主に、自治体としての静岡県に関する情報には今後、このラベルを使って行きたいと思います。
また、それとは別に静岡県内の様々な情報に関しては、「静岡県関連」というラベルを追加します。