新聞には新成人に対する期待(?)を込めた社説が出ています。
「成人の日に―尾崎豊を知っているか」(THE ASAHI SHIMBUN DIGITAL)
「前へ、明日へ、未来へ 成人の日に考える」(CHUNICHI Web)
1月8日のCHUNICHI Webには、「「日本を変えたい」新成人の8割 ネット調査」という記事が出ている一方で、今日の朝日新聞社説にも出ている、「古市憲寿さんの「絶望の国の幸福な若者たち」では、20代の7割が現在の生活に満足している、との調査結果を紹介している。」というものに対して、
「若者よもっと怒れ」(朝日社説)、
「地に足の着いた議論で、民主主義に参加しよう。発言を重ねて、「明日」をつくっていこう。」(毎日社説)、
「時代を変える力を持つのは常に若い人たちです。老いた常識よりはるかに強く、新しい海へ乗り出す新しい船を、操ることができる人たちです。「時代を変える力を持つのは常に若い人たちです。老いた常識よりはるかに強く、新しい海へ乗り出す新しい船を、操ることができる人たちです。」(中日社説)
と激励しているのですが、朝日社説にあるように「オヤジよ、放っておいて」と言われるのがオチなのでしょうか?
約20年前の自分も、同じような思いを持っていた気がします。成人したことで、何かやりたいと思う一方、そう言っても実際には何もできないという現実があったような気がします。それが20年経つと、各社説のように、若者に対して厚かましいくらいにハッパをかけているという事実が、何か馬鹿らしい気がします。実際、成人したからといって何をするかといえば、外で酒を堂々と飲めることくらいというのは、昔も今も変わらないでしょう。若者には確かにエネルギーはありますが、それはほとんどがムダに消費されるわけで、何かの役に立つことなどあまりないのが現実です。実際、そういうもんですよ。だから、若者に期待したってダメなんです。
そういう意味で、先日も取り上げましたが、1月5日のシノドス・ジャーナル『新春暴論 ――「幸福」な若者を見限ろう 山口浩』は、ご本人が暴論と断っていますけれど、同じ40代としては実は少し本気なのでは?と思っていたりします。昨日エントリーした同じシノドス・ジャーナルの東氏のインタビュー記事の最終回分に、「結局、ぼくが言っているのは「人間は欲望を直視しなければいけない」という話です。」という言葉があります。
我々40代は山口氏の暴論にあるように、「素直に「もともと持っていた夢を奪われたわたしたちの方が不幸で す」「老後を支えたのに自分たちは支えてもらえそうにないわたしたちの方が不安です」」って認めれば良いと思います。
地震列島を原発だらけにした揚げ句、爆発事故を起こさせたのも、雇用と保障を奪っていくのも、一千兆円にも届く途方もない借金をこしらえたのも、皆さんではありません。私たちはその責任から逃れるつもりはありません。」と中日社説にありますが、その責任は我々40代でもありません。もっと上の世代なのですから、我々40代が背負うものでも無いはずです。
我々40代は、「 社会に飛び込んだ途端にバブルの喧噪と幻想に巻き込まれ、わけのわからないままさんざん振り回されたあげく、結局その後 「失われた20年」と「終わりなき日常」だけを手元に残された」のですから、冷静に考えれば、満足度の高い今の若者のことを激励するよりも、我々をなんとかしてくれというアピールをするべき世代なのです。
しかし、それをアピールするためには、やはり若者の協力が必要ですね。自分がこの年になったからこそ、世の中のことを考えるようになったのです。どんな人も若い時には、自分の「今」を生きるのに精一杯だったはずです。それを思い出せば、今の若者の現状だって理解できなくはありません。ただ、世の中このままではいけませんよね。ですから若者達とは、少なくともまだ十分に「明日」がある同志として、役割分担をしなければなりません。それぞれの置かれた立場でできることをすることで、世代を超えた大きなビジョンに向かって一歩前進することが何よりも大切です。
ですから、今日はそのための新たな仲間が増えたことを喜ぶべき日なのです。素直に言えない40代からのお祝いの気持ちです(^_^;)
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