「多様性、少数意見の尊重は民主主義の大原則であり、責任ある立場の人の適切な指導力発揮と、時間をかけた丁寧な議論により相対的に適正な結論が生まれます。自らと正反対の意見でも真摯(しんし)に聞いて、自分の主張を疑ってみる寛容が社会を成熟させます。
国民一人一人が、冷静な目で全体を客観的に見渡し、人気を能力や識見と見誤らずに熱狂から距離を置くことが大事です。」
橋下流はその典型といえます。その人気に押され、異なる考えの主は萎縮し沈黙します。地方自治にしろ国政にしろ、そうなると真の民主主義は機能しません。」
今日のCHUNICHI Webには、「教育改革で愛知に連携打診 橋下大阪市長」、「教育改革で連携「前向きに検討」 会見で大村知事」という記事も出ています。
混沌とした世の中で、様々な人間が登場してくることは決して悪いことではありません。歴史を振り返ってみても、一つの時代が終わり、次に時代になるとき、例えば江戸時代の幕末などのように、様々な人間が登場し、その中から次の時代への模索が図られていくわけです。今の時代は、まさにそのような時期なのかも知れません。
だとすれば、橋下氏を始め、様々な人間が出てくることによって、議論が深まり、新しい時代への扉に近づくのかもしれません。もしそうだとすれば、まだ登場人物が足りませんね。少なくとも、橋下氏らの意見に対抗する勢力が登場してこないと、議論が深まりません。これだけ教育に関して議論がされているわけですが、現状ではあまりにも一方的ですから、教育界の人間も政治の場に出ていってこの議論に加わる人間が居ないと、正しい議論はできないと思います。
教育界にも優秀な人間はいます。ですから、今までのような日教組とかの関連ではなく、教員出身者として政治の場に出て行って、きちんとした議論ができる人材を出すべきだと思います。政党はどこでも良いと思います。案外公明党あたりから出るのも良いかもしれませんね。
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