2011年9月7日水曜日

大井川の観光関連ネタ2つ

昨日(9月6日)の新聞から、大井川に関するネタを紹介します。

一つ目はCHUNICHI WEBより、「島田・蓬莱橋の橋脚計3基が流失 台風12号の影響」です。
蓬莱橋は、大井川にかかる「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネスにも認定されている観光名所の一つです(こちらから島田市のHPで詳細が見れます)。
もともとは牧之原台地の開拓農民らが大井川を渡るために、1879(明治12)年に共同出資により架けたため、、関係者以外からは通行料金をとったことから、現在も賃取橋(有料)なのですが、牧之原台地の対岸側に料金所があり、管理人さんがいて、自転車は100円、歩行者は大人100円、小学生以下10円の通行料を徴収しています。
ただ、木造なので、大雨が降って大井川の水量が増えると、度々橋が流されてしまうのです。記事によると、平成に入って9回目だそうですが、まぁ、それの木造ならではの味ですかね。あれだけ降ればそれもやむを得ないですね。

二つ目は、@Sの静岡新聞ニュースから、「大鉄新金谷駅にSL転車台 不評のバック運転解消へ」です。
大井川沿いを通っている大井川鉄道にはSLが走っていて、鉄道ファンのみならず、写真を撮る人や家族連れにも大変な人気なのですが、確かにSLのバック運転は、SLの顔(正面)が見えないので、おもしろくないですよね。今回、転車台ができると、転車台での様子を見ることも人気になるでしょうし、記事によると、イベントの時には手動にして転車を体験できるようにするようですから、ますます人気が出るでしょうね。

おそらく蓬莱橋も近いうちに復旧させるでしょうし、大井川鉄道のSLもあることですし、この秋、大井川付近に旅行に来られると良いかもしれませんよ。

2011年9月6日火曜日

ダイソー Leather type notebook 

この間の週末、近所のダイソーに行ったらありました。

















ぱっと見は、モレスキンな感じですので、思わず手に取りました。

数年前にも、ダイソーでモレスキンもどきが売っていたようですが(残念ながらその時のものは手に入れていません)、その時の情報を幾つかのブログで拝見しましたが、どうもその時の商品とは違うもののようです。

上の写真の商品はA6となっていますが、大きさはモレスキンポケットとほぼ同じです。色は黒のみ、ハードカバーで、中身はルールド、96ページ、紙の色はクリーム色と言っていいと思います。モレスキンのようにゴムバンドで止めることができ、そのゴムもそれほどヘロヘロなものではありません。残念ながら、最後のページにポケットはついていません。

私の場合、日常的に万年筆を使っていますので、当然これでも万年筆のインクが通用するかどうかがポイントになります(ホンモノのモレスキンでも、インクによって裏抜けするものがありますよね)。

私は普段、パイロット純正ブルーブラックをいれた細字のキャップレスを胸ポケットに差しています。パイロットの純正ブルーブラックは、たいていの紙で裏抜けが見られますので、これで抜けるか抜けないかが、一つの基準になっているのですが、何と今回のこの商品は大丈夫でした(多少個体差があるかもしれませんが)。そのかわり、ホンモノのモレスキンで大丈夫だったラミーのブルーブラックは多少裏抜けがあります(大した抜け具合ではないので、気にしなければそれほど問題はない感じですが)。
もちろん、ボールペンや鉛筆ならば、何の問題もありません。紙質は割合いいほうだと思います。

モレスキンもどきとしては、かなりホンモノに近い雰囲気に仕上がっていますので、人によってはこれで十分だと思います。

これは買いだと思います。私も見つけた時にはお試しで2冊しか買わなかったのですが、追加購入に行ったのは言うまでもありません。某店舗の、この手帳の棚を空っぽにしたのは私です(^_^;)

なお、同じタイプでA7の商品もあります。こちらはXSもどきですね。

















個人的には、これのラージタイプがあれば言うことないのですが。もしかしてあるのかなぁ?

2011年9月5日月曜日

節電の夏を振り返る 「国民総出」で目標達成、疑問の声も

タイトルは、毎日jpの記事です(詳細はこちら)。

9月に入り、なんとなく夏を乗り切った感じのするなかで、「そもそも本当に電気は足りなかったのか?」という疑問は、誰もが感じたことでしょう。

「そもそも電力は足りていた」と主張するのは、環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長。自然エネルギー推進に向けた研究・政策提言を行う飯田さんは、「東電と経済産業省は、需要を過剰に、供給力を低く見積もることで、『原発を再稼働しないと停電が起きるぞ』という脅しを行った」と批判する。

まぁ、結局この夏どうにかできてしまったので、東電の脅しも意味がなくなったわけですね。

「脱原発のため」と節電に努めた人も少なくないはずだ。節電のあり方を考えるのは、原発について考えることでもある。放射性物質に汚染された福島の現状を見つめながら、来年以降のことも考えたい。

確かに、人によっては、もし原発がなければ、また来年も同じようになるのかと、うんざりする人もいるでしょうが、飯田哲也所長もいっているように、たぶん電力は足りていたはずです。ですから、本当は、ここまでの節電は必要なかったわけですから、原発をやめても今年のような「国民運動』的な節電までは必要ないはずです。
必要な電力は使えば良いのです。ただ、「節電しよう」という心掛けは、今後も必要ですね。
都市部などでは、今までのような必要以上に明るい照明がなくても全く問題がなかったはずです。つまり、そういった部分を今年のように節電していけば、全く問題がないのです。

正直言って、私自身は例年とほとんど変わらない状態でした。確かに職場は節電ということで、エアコンや照明を切っていましたが、そもそもエアコンをあまり好まない体質なので、むしろその方がいい感じでしたし、スーパーなどでも今までは寒かったのですが、なかなかいい具合な感じでしたから。
まぁ、私のような人間は少ないにしても、皆さんもいろいろな工夫で、なんとかなったわけですよね。こういうのって大事だと思うのです。ですから、原発を無くして、今度もいろいろ工夫して、むしろ夏を楽しんでみるという気持ちを持ってみてはどうでしょうか。

2011年9月4日日曜日

宇野常寛インタビュー  「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ、社会への想像力を拡張するために」

SYNODOS JOURNALに、8月20日に4回にわたって掲載されてものです(第1回目のリンク先はこちら)。
宇野氏が7月に『リトル・ピープルの時代』を刊行されたのに合わせて行なわれたインタビューで、当然本の宣伝も兼ねているのでしょうが、3.11以降の宇野氏の思考が大変興味深いので、紹介します。

インタビューの中で、『リトル・ピープルの時代』は、

1968年的な問題意識がもう賞味期限切れになっていて、9.11以降はまったく通用しないんだということを基本的な枠組みとして訴え」るために、

9.11以降、要はグローバル/ネットワーク化の時代を考えるときに、奇形的進化をとげた日本的、あるいは東アジア的ポップカルチャーが提出したイメージがきわめて大きなヒントになる、ということで自分の普段の仕事、つまり同時代的なポップカルチャー分析に結びつけるというのがコンセプトにな」り、

村上春樹とヒーロー番組の対比で、現代における「暴力」の問題を扱うというコンセプト」になったと語っています。

そのようなコンセプトの『リトル・ピープルの時代』の「まとめ」部分を書いているときに、「3.11」が起こったのだそうです。それ以降、「書きかけの本と震災についてずっと考えていた。そしてある日、すべてが自分のなかでつながったんです。震災への考察を主軸にすることで、全体を貫くメッセージを決定的に強化できるな」と気づき、原稿を最初から書き直しということです。

私が宇野氏の考えのポイントだと思うのは、次の部分です。

ぼくは震災が何かを変えたというよりは、震災のせいで既存の構造が露呈し、進行中の状況が加速したと考えているんですよね。原発の問題も、東北の問題も考えてみれば2011年に急に発生したわけじゃない。

それに、「物語批判か、物語回帰か」といった自意識的な議論は国内では90年代に決着がついている。だからこそ、ゼロ年代はプレイヤーの態度や内面ではなくてゲームシステム、つまりアーキテクチャの問題が浮上した。国内においては80年代が物語批判で、90年代がその反動としての小さな物語回帰の時代だった。物語批判に留まれ、という態度自体も含めて(小さな、即自的な)物語回帰しかなくなってしまった。だからゼロ年代はそんな小さな物語たちの関係性の問題だけが残されたわけですね。だからこそアーキテクチャの問題が浮上した。人間はどれだけ留保をつけてアイロニカルに振る舞おうが、最終的にはもう信じたいもの信じて、小さな物語回帰するしかないので、あとは彼らがコミュニケーションをとる環境を操作するしかない。たとえば、教室で喧嘩が起こったときに、各々の生徒を説得するんじゃなくて学級制度自体をいじって(選択制にするとか)解決するという発想ですね。

だから「3.11以降、ぼくらは世界のことを考えざるを得なくなった」的な言説は端的に間違っていると思う。思想的にじゃなくて事実関係的にね。震災が何かを変えた、というよりは震災はこれまで隠蔽されてきた既存の構造を暴き、僕たちに突きつけた、というのがぼくの考え。
 」

つまり、「震災が何かを変えたというよりは、震災のせいで既存の構造が露呈し、進行中の状況が加速した」、「震災が何かを変えた、というよりは震災はこれまで隠蔽されてきた既存の構造を暴き、僕たちに突きつけた」という部分です。

実は、「3.11」以降、8月21日までは「震災によって、何かが変わる」のだと思っていました。
しかし、8月22・23日「先生のための夏休み経済教室」で、日大の中川雅之教授の講義や、政策研究大学院大学の大田弘子教授の「日本経済の現状、地震・津波・原発事故を超えて」の講演で、被災地の話を聞き、「震災が何かを変えたのではなく、震災のせいでこれまで隠されていた問題が明らかになった」のではないかということを考え始めていました。

また、『経済セミナー』No.661号に掲載されている、一橋大学の齋藤誠教授の「震災前から震災後を考える:石巻を歩いて」で、

「 今般の大地震は、震災前の経済環境をリセットしたわけではなく、むしろ、震災前から生じていたダウンサイジングを加速させていく側面がある。当然ながら、震災からの復興は、震災前の経済条件に強く縛られていく。

“不安”とは、「震災前からあった深刻な経済問題」が、「震災のために新たに生まれた経済問題」にすり替えられて、大規模な経済政策が発動されるのではないかと懸念したからである。


「 ピースボートなどのボランティア団体がキャンプをしている石巻専修大学のグラウンド風景は、とりわけ印象的であった。東京や大阪から来た若者は、風呂にも入らず、自炊をしながら、日々、ボランテイア活動に汗を流していた。その一方で、地元の若者は地元の大学に通い、グラウンドで陸上競技に汗を流していた。

経済学者としての私には、こうした風景の多様性を肌で感じることができたことが何よりもありがたかった。東京に住む私たちは、大津波で無残な姿となった日本製紙の石巻工場の写真から受ける強烈な印象だけで、大胆な経済政策を発送してしまいがちだったからである。


という文章を読み、まさにここにあるような問題に気付き始めたのです。

しかし、何かすっきりとしませんでした。それが何なのか、よく分からなかったのですが、宇野氏のこの言葉で自分の中ではっきりとしたのです。

要するに今回の地震や原発事故で人びとを戸惑わせているのは、とくに後者についてうまくイメージ化できないからだと思うんですよね。

現在の言論空間、文化空間の混乱の背景にはこれまでの想像力ではイメージ化できない巨大な力への不安があるんだと思うんですよ。

疑似人格(ビッグ・ブラザー)化できない「壁」、つまり世界の構造というのがこの本のテーマなんですよ。だから福島の問題について考えることが決定的な補助線になった。原爆的ではなく原発的なものをどう考えるかは、ぼくにとってはビッグ・ブラザーではなくリトル・ピープルについて考えることだったわけです。その辺はぜひ本を読んでほしいと思う。

それで、当然『リトル・ピープルの時代』、買いに走ってしましました(^_^;)まだ読んでいませんが。


もう一つ、宇野氏のインタビューの中で興味深いのは、「この本は見田社会学の文学性をどう抽出するかというのが裏テーマのひとつになっている」と語っている点です。

「政治と文学」の新しい関係を、現代のポップカルチャーの想像力を援用すればもっとはっきりかつ、しっくりする概念で記述できるんじゃないのかということを考えた。それが「拡張現実の時代」ですね。「虚構の時代」は、今考えると「仮想現実の時代」なんですよね。だからオウム真理教とか、架空年代記(ガンダム)とか最終戦争(エヴァンゲリオン)が代表的なその時代の想像力に用いられる。だとすると、「虚構の時代」の次にくるのは「拡張現実の時代」じゃないかと考えたわけです。そして「拡張現実の時代」的な想像力がまさに、現代日本のポップカルチャーを席巻している。AKB48もニコニコ動画もソーシャルゲームも全部そう。

この「拡張現実」をキーワードに新しい「政治と文学」の関係を記述できるんじゃないのかというのが、この本の最大のアイデアなんですよ。それがなぜ「震災」で思いついたのかというと、たとえば鶴見済が『完全自殺マニュアル』で「もうハルマゲドンはこないし、原発は爆発しない」といっているんです。つまり世界はもう変化しないのだから自分を変えるしかない、その究極のかたちが「自殺」なんだと煽っているわけです。

でも原発は本当に爆発してしまった。けれど、それで大きな物語が帰ってきたかと思うと、そんなことはないわけです。原発が爆発したからといって、誰もが生き生きと元気に大きな物語を共有し出すかというと、そんなことはないでしょう。そう思い込みたい東京の左翼文化人はいてもね。実際には国民が大きな物語を共有してひとつになるというよりは、むしろ物語のレベルでの分断が起きてしまっている。関西や北海道はもちろん、被災地と関東のあいだにもかなり空気が異なっているのは明らかでしょう。むしろ原発が爆発しても大きな物語が機能しないことが明らかになってしまった。

いまだに忘れられないのが4、5月の東京の空気で、いつ余震があるかもわからないし、放射能情報も刻一刻と変わっていくんだけど、日常は否応なく回復して、みんな当たり前のように仕事をしているし、当たり前のように消費生活をしていると。にも関わらず、所々でノイズのように地震速報とか、放射能という「みえない脅威」がぼくらの日常を半歩ずらしていく感覚。そういう感覚をずっと考えていたときに、これって原発が爆発した瞬間に最終戦争だとか大きな物語が復活したもういっこの未来・世界にいくのではなくて、現実が変革ではなく拡張したという考え方をした方がぼくにはすごく合ったんだよね。


ぼくは世界の変革をあきらめて想像力を封じ、現実を受け入れろといっているんじゃないんです。オールドタイプの思考法では、革命か、革命を仮構する仮想現実の構築だけが現実批判であり想像力の行使だということになっている。けれど、21世紀のこの世の中にそんな馬鹿なことがあるわけがない。拡張現実的な想像力による現実の多重化こそが、このグローバル化、ネットワーク化を成し得た現代においてはもっとも有効な現実への対峙であり想像力の行使だといっているんです。世界の構造が変化しているんだから、当然人間の構造に対するアプローチ、壁と卵の関係、政治と文学の関係も変わってしまう。20世紀的な「革命」思考に縛られている人が、まあ、仕方ないけれど40代以上に多すぎると思いますけどね、単純に考えて。

まさに、自分の思考は「オールドタイプ」でした。「拡張現実的な想像力による現実の多重化」の言葉は、目からウロコでした。
そして、「当たり前のように仕事をしているし、当たり前のように消費生活をしていると。にも関わらず、所々でノイズのように地震速報とか、放射能という「みえない脅威」がぼくらの日常を半歩ずらしていく感覚」が、自分にとって「得体のしれない何かだった」ということを感じたのです。

ただ正直言って、このインタビューが十分に理解できているわけではありません。特にゲームの話題はよくわかりません。
ただ「前田敦子個人の内面や身体性に本質はなくて、彼女のポテンシャルを120%以上引き出すAKB48というゲームシステムに本質がある。大きな物語的には国民的アイドルはもう成立しないけれど大きなゲームとしてなら成立する」という話はなんとなく理解できます。

ぼくがこの本で取り上げた表現の多くが、上の世代の人たちには表現「未満」のものだと思われてしまっている。なぜかといえば、表現がコミュニケーションの一部になっているからですね。それが情報化ということなんだけれど、文学が情報の一ジャンルになって、コミュニケーションの一部になって、現実の一部になって、虚構として独立していないからダメだと。でもね、そうじゃないんですよね。現実の、情報の一部になって、情報の下位カテゴリーになっているからこそ発生する快楽というのが存在するんですよ。この新しい世界を視野に入れたとき、はじめて革命モデルとは違う社会変革のモデルだってみえてくる。革命からハッキングへ、文学から情報へっていうのはまったく同じことなわけです。ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ、ウルトラマンから仮面ライダーへでもあるわけだけど(笑)。

40代ですけど、「革命モデルとは違う社会変革のモデル」を見たいわけです(^_^;)

ですから、なおさら自分にとっては、『リトル・ピープルの時代』はしっかり読まないといけない本だなぁと思っています。ちゃんと読んだら、このブログに感想を書きたいと思います。



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2011年9月3日土曜日

太平洋戦争:朝鮮半島出身動員26万人 配属先の全容判明

タイトルは、毎日jpの記事です(詳細はこちら)。

太平洋戦争中に朝鮮半島から多くの人々が動員され、いろんな場所で働かされていました。日本国内の鉱山などでの強制労働に近い形での作業については、全国のあちらこちらで研究がなされています。

ただ、軍人・軍属としての朝鮮半島からの動員については、今までほとんど研究がされていませんでした。理由は、旧陸海軍省や戦後に改組された第1、第2復員局が作成した、軍人や軍属の履歴、配属先、死亡状況などが記載されている、「旧陸軍「留守名簿」(16万148人)、「工員名簿」(2102人)、「軍属船員名簿」(7046人)と、旧海軍「軍人軍属名簿」(10万778人)が、原則的に「日本国内では本人や遺族などにしか公開され」なかったからで、「93年に日本政府が韓国政府に引き渡し、韓国国家記録院で整理された。09年から日本人研究者の閲覧が可能にな」ったことで、やっと研究が始まったところなのです。

そのため、記事のなかの「朝鮮半島出身の軍人・軍属に詳しい早稲田大学大学院の内海愛子講師(日本アジア関係史)の話」にあるように、「朝鮮半島出身者の配属先は部分的には判明していたが、体系的に明らかにされたのは日韓を通じて初めて。基本的な資料として大変貴重」なのです。それを、個人的に「10年に3回渡韓し調査、集計した」竹内氏には脱帽です。

実は、竹内氏のことはよく知っています。静岡県の朝鮮人強制連行に関する研究でも抜群の方です。その意味では、今回のことは納得のお仕事なのですが、まさか渡韓してまで調査されているとは。見習わないといけませんね。

2011年9月2日金曜日

「脱原発」を堅持しよう 日本の未来のエネルギー

タイトルは、CHUNICHI WEBに出ている社説です(詳細はこちら)。

野田佳彦新首相は「原発を新設しない」としながらも、「安全性を確認した原発を活用し、電力の安定供給を確保する」と、再稼働容認の立場を鮮明にしており、民主党代表選に出馬した五人の中で、脱原発からは最も遠いといわれている。脱原発、脱原発依存路線からの後退、あるいは揺り戻しを心配する声も高くなっている。」ということについては、かなり気になりますが、「脱原発の方向性は、福島第一原発の惨状を目にした多くの国民に、一定の評価を受けている。国民の意思と願いが込められた脱原発の金看板を、そう簡単に掛け替えるべきではない。」という社説の主張には大賛成です。

経産省原子力安全・保安院は、福島第一原発から飛散した放射性セシウム量が、広島型原爆百六十八個分に上ることを公表した。文部科学省の調査では、土壌汚染の最高濃度は一五〇〇万ベクレル以上に上る。徐々に明らかになる放射能汚染の実態は予想以上に深刻で、広範囲にわたっており、避難の長期化は避けられない。」という状況なわけですから、今後このようなとてつもなく大きな被害が出ているという事実を無視するような動きには断固反対すべきです。

原発は高くつく。安全上も経済的にも、あまりにリスクが高すぎる。」のです。「原発はいずれにしても“安楽死”させる以外にない。」のですから、今後、これ以上悲しいことが起こらないようにするためにも、「脱原発」をススメなくてはいけないのです。

2011年9月1日木曜日

文化資源をデータベース化 県が開設

タイトルは、今日(9月1日)の@Sのニュース(静岡新聞)の記事からです(詳細はこちら)。

「ふじのくに 芸術回廊」と名付けられており、

http://www.fujinokunibunkashigen.net/index.php?search=category

がトップページです。

記事にもあるように、現在は300件しか登録がありませんが、平成24年3月までには1800件の登録を目指すようです。「カテゴリーから探す」、「地域から探す」、「時期から探す」の3つの方法で検索できるようになっています。上記のリンクでページに飛ぶと、「カテゴリーから探す」のページが出てくるのですが、そこに使わている写真が結構綺麗で、県外の方々が静岡県のことを調べるときにも、楽しんで見ていただけるのではないかと思いますので、ぜひ一度見に来てみてください。

なお、今日からラベルに「静岡県情報」を追加しました。主に、自治体としての静岡県に関する情報には今後、このラベルを使って行きたいと思います。
また、それとは別に静岡県内の様々な情報に関しては、「静岡県関連」というラベルを追加します。