タイトルは、昨日(4月19日)の@-S静岡新聞ニュース掲載の記事です(詳細はこちら)。
確かにそうかもなぁと思います。「水窪などを経由して長野県側に運び込まれた」という定説は、実際水窪を見てみると、こんなところを通るのか?と思わざるを得ない感じですから、いくら塩が貴重だからと言って、どうなんだろうと思っていました。
当然、いろいろなルートがあってしかるべきですから、事実はそんなものなのではないかと思います。
だからといって、「塩の道」がであることが否定されるわけではありませんから、要はイメージの問題なんだと思います。
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