2月5日のasahi.comに、2012年春に卒業を予定し、現在、就職活動をしている学生に対する、「毎日コミュニケーションズ」の調査結果が出ていました(記事はこちら)。
「昨年10~12月に、全国約1万人の大学3年生と大学院1年生を対象に実施。企業志向を尋ねたところ、「中堅・中小企業がよい」「やりがいのある仕事であれば中堅・中小企業でもよい」と答えた学生が全体の53.4%と、11年ぶりに半数を超えた。」
このような結果なのですが、ここからみると来年度の就職率は、今年度ほどの厳しさは起こらないかもしれません。
ただ気になるのは、「志望企業の知名度や規模より、まずは内定獲得を優先」という点です。確かに強すぎる大手志向は好ましくないですが、かといって安易に内定獲得を優先するということになってしまったら、それはそれでどうかとも思うのです。大学選びに関して、「安くて近い」を優先するあまり、冒険をしない傾向があることに対して、批判するわけではないが、どんなものかと考えてしまうことと同じような問題だと思うのです。社会情勢に左右されて、それがその時代の特徴になっていくワケですが、今年度の数字を見れば、仕方がないかなぁと思う反面、でもなぁという気持ちがあるのも事実です。しかし、チャレンジャーはいつの時代にもいるわけですし、優秀は人はそれなりのところに収まるでしょうから、あまり気にしなくても良いのかも知れませんが。
もうひとつ気になるのは、「やりがいのある仕事であれば」 というところです。どんな仕事でもやりがいを見つけ出せばやりがいはありますし、見つけ出さなければやりがいはないのです。就活の時に、その仕事がやりがいがあるかないかなんて、何故わかる?って思うのです。やりがいが見つからなければ仕事がつまらないなんて、10年早いぜ!って思うのですが。
一時、最近の若者は3年で辞めるって話がありましたが、今はどうなんでしょうか?この年になったから言えるんですけど、3年間じゃ何もわからないですよね。自分もそうでした。
教員とは何たるかが、なんとなく分かってきたような気がしてきたのは、10年過ぎて、現在の勤務校になったあたりからです。
何年やっていようと、本人にその気がなければダメですが、なんとかしたいという気持ちで、いろいろ試行錯誤して何年か頑張ってみれば、やりがいも見えてくるはずです。逆に言えば、最初からやりがいなんてわかる人なんてほとんどいませんから(むしろわかる人はラッキーです)、それなりの努力の結果として、その仕事につくことになったのならば、しばらくいろいろ頑張ってみて欲しいですね。努力しないでついた仕事ですと、未練があってなおさら頑張る気力がないでしょうから、就活の時は、変な妥協はせずにいろいろと努力したうえで現実的な道を選べば、仕事についてからも試行錯誤してみようという気にもなれるのではないかと思います。
2011年2月7日月曜日
2011年2月6日日曜日
大相撲八百長事件に思う
ついに、春場所の中止だけでなく、年内の全ての地方巡業も中止になりましたね。
八百長疑惑は昔からありました(落語にもあるくらいですからね)。それがここにきて、何故これほど大騒ぎになったのでしょうか。
一つは、文明の利器である携帯メールという物的証拠が大きいのでしょうが、もうひとつは、社会の変化のような気がします。
ちょうど最近話題になった「伊達直人」は、ご存知プロレスのタイガーマスクですが、言ってみればプロレスも言葉はきついですが、八百長に近いわけです。しかし、ちょうど我々世代は、猪木の、馬場の勇姿を、手に汗握り熱心に応援していました。今にして思えば、あれば興業(見世物)ですから、ある程度筋書きがあって、最後は馬場の十六文キックが炸裂するってことになっていたわけです。しかし、あの時代はある程度それが分かっていても、プロレスファンは大勢いました。
大相撲も似ているのではないでしょうか。身体の大きな男性が力と技だけで戦うという基本的なスタイルは同じですから、そう毎回毎回真剣勝負であるとは限らないはずだと、我々はどことなく感じていたはずです。ところが「国技」だったり、「相撲道」だったり、精神的な面を強調するあまり、いつの間にか、見世物的な要素を排除してしまっていたのではないでしょうか。
また時代が、そのようなルール違反を許せない、白黒はっきり付けないとという時代になって来てしまっているのではないでしょうか。
しかし、何でも白黒はっきりつけるとなると、いろいろなところで難しい問題が起こってくるはずです。今回の大相撲の問題はまさにその典型的事例のような気がします。
生きにくい時代になってしまっているような気がするのは、私だけではないと思います。
八百長疑惑は昔からありました(落語にもあるくらいですからね)。それがここにきて、何故これほど大騒ぎになったのでしょうか。
一つは、文明の利器である携帯メールという物的証拠が大きいのでしょうが、もうひとつは、社会の変化のような気がします。
ちょうど最近話題になった「伊達直人」は、ご存知プロレスのタイガーマスクですが、言ってみればプロレスも言葉はきついですが、八百長に近いわけです。しかし、ちょうど我々世代は、猪木の、馬場の勇姿を、手に汗握り熱心に応援していました。今にして思えば、あれば興業(見世物)ですから、ある程度筋書きがあって、最後は馬場の十六文キックが炸裂するってことになっていたわけです。しかし、あの時代はある程度それが分かっていても、プロレスファンは大勢いました。
大相撲も似ているのではないでしょうか。身体の大きな男性が力と技だけで戦うという基本的なスタイルは同じですから、そう毎回毎回真剣勝負であるとは限らないはずだと、我々はどことなく感じていたはずです。ところが「国技」だったり、「相撲道」だったり、精神的な面を強調するあまり、いつの間にか、見世物的な要素を排除してしまっていたのではないでしょうか。
また時代が、そのようなルール違反を許せない、白黒はっきり付けないとという時代になって来てしまっているのではないでしょうか。
しかし、何でも白黒はっきりつけるとなると、いろいろなところで難しい問題が起こってくるはずです。今回の大相撲の問題はまさにその典型的事例のような気がします。
生きにくい時代になってしまっているような気がするのは、私だけではないと思います。
2011年2月5日土曜日
歴史にはまだまだ知られていないことが多い
戊辰戦争の時に、会津・庄内藩がプロイセンに、土地売却と引換に提携を提案していたということが、東京大学史料編纂所の箱石大・准教授らがドイツの文書館で確認した資料から明らかになったということが、『朝日新聞』に出ていました(記事はこちら)。
彰義隊による上野戦争が終結し、戦争が東北へ展開する7月の資料とその後のプロイセンの反応を示す10月の資料なのですが、この事実は日本側の資料にはありません。
私も学生時代、師匠の専門がこの時期でしたので、『復古記』や『大久保利通日記』などと首っ引きで幕末から明治初期の展開については勉強していたのですが、まさか会津や庄内がプロイセンと繋がろうとしていたなんて夢にも思いませんでした。
戊辰戦争は内戦でしたから、当時イギリスは薩摩・長州、フランスは幕府に間接的に武器などの提供をしていたとはいえ、表面上は国際法の問題もあって局外中立を宣言しており、プロイセンも当然中立の立場でした。今回確認された10月の資料も、「「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し」ているのですが、もしここでプロイセンが思い切った行動に出ていたら、歴史は全く違っていたはずです。まあ、当時の国際状況を考えれば、プロイセンが大胆な行動をとることはありえないですが、一歩間違えれば、日本はヨーロッパの植民地になっていた可能性があったわけです。
日本の「開国」以降の歴史において、日本では知られていない事実が、海外の公文書館などにまだまだ眠っているのは間違いないですね。
一般的に、歴史は変わらないと思われがちですが、むしろどんどん変化していきます。多くの方が高校などで学んだ歴史の知識は、基本的な大きな流れは別にしても、もうすでに古くなってしまっていることが案外多いはずです。
特に敗者の歴史は、歴史を学ぶ意義として「失敗を活かす」という点において、知っておく必要があることだと思います。
よく、「歴史にifはない」と言いますが、「歴史にifはある」と思います。
今回の件も、「もしプロイセンが会津・庄内の提案を受け入れていたら」という可能性を考察してみることで、物事を多角的に見る訓練ができるのです。
歴史を学ぶ意義は、「過去から学び」「未来に活かす」ことですから、歴史からあらゆる可能性を検討してみることで、未来をひらいていくことができると思います。
彰義隊による上野戦争が終結し、戦争が東北へ展開する7月の資料とその後のプロイセンの反応を示す10月の資料なのですが、この事実は日本側の資料にはありません。
私も学生時代、師匠の専門がこの時期でしたので、『復古記』や『大久保利通日記』などと首っ引きで幕末から明治初期の展開については勉強していたのですが、まさか会津や庄内がプロイセンと繋がろうとしていたなんて夢にも思いませんでした。
戊辰戦争は内戦でしたから、当時イギリスは薩摩・長州、フランスは幕府に間接的に武器などの提供をしていたとはいえ、表面上は国際法の問題もあって局外中立を宣言しており、プロイセンも当然中立の立場でした。今回確認された10月の資料も、「「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し」ているのですが、もしここでプロイセンが思い切った行動に出ていたら、歴史は全く違っていたはずです。まあ、当時の国際状況を考えれば、プロイセンが大胆な行動をとることはありえないですが、一歩間違えれば、日本はヨーロッパの植民地になっていた可能性があったわけです。
日本の「開国」以降の歴史において、日本では知られていない事実が、海外の公文書館などにまだまだ眠っているのは間違いないですね。
一般的に、歴史は変わらないと思われがちですが、むしろどんどん変化していきます。多くの方が高校などで学んだ歴史の知識は、基本的な大きな流れは別にしても、もうすでに古くなってしまっていることが案外多いはずです。
特に敗者の歴史は、歴史を学ぶ意義として「失敗を活かす」という点において、知っておく必要があることだと思います。
よく、「歴史にifはない」と言いますが、「歴史にifはある」と思います。
今回の件も、「もしプロイセンが会津・庄内の提案を受け入れていたら」という可能性を考察してみることで、物事を多角的に見る訓練ができるのです。
歴史を学ぶ意義は、「過去から学び」「未来に活かす」ことですから、歴史からあらゆる可能性を検討してみることで、未来をひらいていくことができると思います。
2011年2月4日金曜日
子どもの活字離れは改善されている?
毎日新聞社説に、第56回青少年読書感想文全国コンクールの話題が出ています。
「毎日新聞が全国学校図書館協議会の協力でまとめた昨年の学校読書調査によると、1カ月間に小学生が読んだ本が10.0冊、中学生が4.2冊、高校生は1.9冊だった。いずれも前年比で増え、中学生は過去最高、小学生も2位の記録だ。 」ということなんですが、高校になるとガクッと下がるのは、どうしてなんでしょう?
私の勤務校でも、「朝読書」を行っていますが、生徒は宿題やっていたり、ボーっとしていたり、読んでいる子は読んでいるんですが、本当に特定の生徒だけという感じです。図書室への訪問回数も、特定の生徒がものすごく多いですが、ほとんどの生徒はあまり行かないという感じのようです。
「昨年、読解力をみる経済協力開発機構(OECD)の国際学力テスト(PISA)で日本の成績が上昇傾向を見せた。これも、読書好きの子供が増えたことが背景の一つに挙げられた。
だが、課題も多い。OECD平均と比べると読書に消極的な傾向がまだ見られる。今回PISAでトップになった中国・上海では毎日31分以上読書するのが56.1%で、日本の30.4%とは大きな開きがある。
学校の読書も、子供たちに差異があり、中には興味を持てずページをめくるだけの子もいるという指摘がある。」
このような状況で、活字離れが改善しているとか、読書好きの子どもが増えたとか、PISAが良かったのはそのおかげだとかは言えないと思うのですが。
「11年度から本格実施となる新学習指導要領は、すべての教科で言語活動を重視している。読み、心を動かされ、整理して自分の考えをまとめ、表現する読書は、そうした学習の土台になる。そこに伸びる芽を着実に育てたい。」
最近の若者は、複雑な思考を嫌います。小学生から考える力を付けていくことはとても重要です。小学校、中学校からの積み重ねがないと、高校からいきなりというのは無理ですから。
11年度からの新指導要領の実施の成果が、どの程度出てくるのか楽しみです。
しかし、高校での読書の減少は、なんとかしないといけませんね。中学校までは読むのに、何で読まなくなってしまうんでしょうか? どこかで調査してくれないかな。
「毎日新聞が全国学校図書館協議会の協力でまとめた昨年の学校読書調査によると、1カ月間に小学生が読んだ本が10.0冊、中学生が4.2冊、高校生は1.9冊だった。いずれも前年比で増え、中学生は過去最高、小学生も2位の記録だ。 」ということなんですが、高校になるとガクッと下がるのは、どうしてなんでしょう?
私の勤務校でも、「朝読書」を行っていますが、生徒は宿題やっていたり、ボーっとしていたり、読んでいる子は読んでいるんですが、本当に特定の生徒だけという感じです。図書室への訪問回数も、特定の生徒がものすごく多いですが、ほとんどの生徒はあまり行かないという感じのようです。
「昨年、読解力をみる経済協力開発機構(OECD)の国際学力テスト(PISA)で日本の成績が上昇傾向を見せた。これも、読書好きの子供が増えたことが背景の一つに挙げられた。
だが、課題も多い。OECD平均と比べると読書に消極的な傾向がまだ見られる。今回PISAでトップになった中国・上海では毎日31分以上読書するのが56.1%で、日本の30.4%とは大きな開きがある。
学校の読書も、子供たちに差異があり、中には興味を持てずページをめくるだけの子もいるという指摘がある。」
このような状況で、活字離れが改善しているとか、読書好きの子どもが増えたとか、PISAが良かったのはそのおかげだとかは言えないと思うのですが。
「11年度から本格実施となる新学習指導要領は、すべての教科で言語活動を重視している。読み、心を動かされ、整理して自分の考えをまとめ、表現する読書は、そうした学習の土台になる。そこに伸びる芽を着実に育てたい。」
最近の若者は、複雑な思考を嫌います。小学生から考える力を付けていくことはとても重要です。小学校、中学校からの積み重ねがないと、高校からいきなりというのは無理ですから。
11年度からの新指導要領の実施の成果が、どの程度出てくるのか楽しみです。
しかし、高校での読書の減少は、なんとかしないといけませんね。中学校までは読むのに、何で読まなくなってしまうんでしょうか? どこかで調査してくれないかな。
2011年2月3日木曜日
日本版ギャップイヤーのすすめ
「大学入学の資格を得た若者が、数カ月から十数カ月の間、学業を離れ、国内外でボランティア活動や就業体験をする。大学は入学延期を認めたり、その間の学費を免除したりする。」というのが、イギリスで定着している「ギャップイヤー」制度です。
今日2月3日の『朝日新聞』社説に、この「ギャップイヤー」のすすめが出ています(社説記事はこちら)。
大卒の就職率が現時点でも7割に届かないようですし、大学既卒者も数年間は新卒者と同様に扱うという話が出てきている今なら、「ギャップイヤー」制度の導入も良いかもしれません。
いろいろと複雑な世の中なので、本格的に就職する前に1~2年、社会の様々な問題に向き合う時間があるのは、かなり良いことだと思います。まだ、その活動が、就職時に評価されれば、なお良いでしょう。
教員に対して、社会経験が必要との立場から、そのような研修が行われたりしていますが、これは正式に採用されてからなので、そこそこの年齢になってからになります。全く効果がないとは言いませんが、ある程度固まってきている状態に、今さらという気がしないわけでもありません。それならば、まだ柔軟な時期に、あるいは実際に仕事をするようになってから、いろいろ考えることができるように、正式採用前に行った方が良いと、前々から思っていたことです。
教員に限らず様々な業種でも、社会人になる前に何かを経験してくる若者の方が、問題意識を持っていて、良いのではないかと思います。
中には「自分探し」に利用する場合もあるかもしれませんが、それを経験することで一回り大きくなってくる若者が増えれば、今までのように社員教育を一生懸命しなくても良くなるかもしれません。
文科省で、積極的に検討して見ても良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
今日2月3日の『朝日新聞』社説に、この「ギャップイヤー」のすすめが出ています(社説記事はこちら)。
大卒の就職率が現時点でも7割に届かないようですし、大学既卒者も数年間は新卒者と同様に扱うという話が出てきている今なら、「ギャップイヤー」制度の導入も良いかもしれません。
いろいろと複雑な世の中なので、本格的に就職する前に1~2年、社会の様々な問題に向き合う時間があるのは、かなり良いことだと思います。まだ、その活動が、就職時に評価されれば、なお良いでしょう。
教員に対して、社会経験が必要との立場から、そのような研修が行われたりしていますが、これは正式に採用されてからなので、そこそこの年齢になってからになります。全く効果がないとは言いませんが、ある程度固まってきている状態に、今さらという気がしないわけでもありません。それならば、まだ柔軟な時期に、あるいは実際に仕事をするようになってから、いろいろ考えることができるように、正式採用前に行った方が良いと、前々から思っていたことです。
教員に限らず様々な業種でも、社会人になる前に何かを経験してくる若者の方が、問題意識を持っていて、良いのではないかと思います。
中には「自分探し」に利用する場合もあるかもしれませんが、それを経験することで一回り大きくなってくる若者が増えれば、今までのように社員教育を一生懸命しなくても良くなるかもしれません。
文科省で、積極的に検討して見ても良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
2011年2月2日水曜日
この時期の高校3年生への話
2月に入って高校3年生は、多くの高校で学年末テストも終わり、まだ受験がある生徒とすでに推薦などで進路を決めている生徒が混在している時期です。すでに進路が決まっている生徒にとってみれば、卒業式までカウントダウンで、まだ受験がある生徒を尻目にのんびりしているのではないでしょうか。
受験で居ない生徒がいるので、授業も通常の授業で無く、特別時間割になっていると思います。言い方は悪いですが、言ってみれば野球でいう消化試合のようなもので、生徒も教師も時間つぶしになってしまうパターンが多いのではないでしょうか。
私が担当している授業も、今週と来週であと3時間しかありませんので、何をやろうか悩んだのですが、すでに進路が決まっている生徒が多いクラスだったので、いままで授業などでは話ができないような話題を持ち出すことにしました。
今は非常に価値観が多様化しているために、選択肢も多く存在しています。しかし、どうも多くの若者は、多くある選択肢から自分にとって必要なものを選べないという者が多くなっているようです。いまの世の中で、自由を謳歌するために必要な能力の一つが、この「選択力」だと感じているので、3時間のうちの最初の1時間はそのことについて語りました。
ただ正直言って、自分もそうだった気がします。なかなか思うような選択肢を選ぶことができずに、苦悩した覚えがあります。そんな時、自分のマヌケさに嫌気がさし、落ち込んだことが何度もありました。けれども幸いなことに、そのたびに両親や先生、当時付き合っていた彼女などが、そんなダメな私をありのままに受けとめてくれました。そのおかげで私は勇気をもらえて、次にチャレンジできたことを思い出しました。
ですから、「選択力」の必要性と同時に、失敗しても大丈夫なんだということを、自分の経験を交えながら話をしました。
どこまで分かってもらえたのかわかりませんが、授業のあと、いつも授業の感想などを言ってくれていた生徒が、「先生、今日は熱かったですね。」とコメントしてくれたので、ちょっぴり恥ずかしかったですが、少しは私の気持ちが伝わったのかなぁと思いました。
あと残り2時間あります。1時間は、今の就職難に関して、自分が感じていることを話そうと思っています。就職も、選択肢がたくさんあるがゆえに、みんなが行く有名なところに集まりがちです。またやりがいとかを求めすぎたり、自分に合う仕事が見つからないなどで、直ぐにやめてしまうという状況が多いのですが、ちょっとキツい言い方ですが、正直言って努力もしないで、若いうちに何がわかるのかというのが本音です。
どんな仕事についても、それをある程度頑張ってやってみれば、その仕事なりのやりがいや喜びが見つかるはずなのです。仕事だけではなく、大学を中退してしまう学生に対しても同じことを言いたいので、そのあたりのことを語ろうと思います。
最後の1時間はどうしましょうか。やぱり歴史の教員なので、歴史の意義を語るしかないですね。なんせ、大学へ進学する生徒にとっては、どの分野にしても、部門史がありますから。歴史を知ることで、現代を考えることができるわけですし、それによって未来への展望が開けるわけです。
過去の失敗が何故起こったのか、違う選択肢はなかったのか、違う選択肢を選んだとしたらどう変わったのかなど、過去から学ぶことが大変多いのですが、現代の若者はやや複雑な思考になると、とたんにそれを避ける傾向にあるように思いますが、それでは未来は開けません。過去から学び、現代と比較してみて未来を語る、そのためには歴史を知らないとできませんから、その大切さを語ろうと思います。結局最後はそのオチか、と思われるでしょうが(笑)
受験で居ない生徒がいるので、授業も通常の授業で無く、特別時間割になっていると思います。言い方は悪いですが、言ってみれば野球でいう消化試合のようなもので、生徒も教師も時間つぶしになってしまうパターンが多いのではないでしょうか。
私が担当している授業も、今週と来週であと3時間しかありませんので、何をやろうか悩んだのですが、すでに進路が決まっている生徒が多いクラスだったので、いままで授業などでは話ができないような話題を持ち出すことにしました。
今は非常に価値観が多様化しているために、選択肢も多く存在しています。しかし、どうも多くの若者は、多くある選択肢から自分にとって必要なものを選べないという者が多くなっているようです。いまの世の中で、自由を謳歌するために必要な能力の一つが、この「選択力」だと感じているので、3時間のうちの最初の1時間はそのことについて語りました。
ただ正直言って、自分もそうだった気がします。なかなか思うような選択肢を選ぶことができずに、苦悩した覚えがあります。そんな時、自分のマヌケさに嫌気がさし、落ち込んだことが何度もありました。けれども幸いなことに、そのたびに両親や先生、当時付き合っていた彼女などが、そんなダメな私をありのままに受けとめてくれました。そのおかげで私は勇気をもらえて、次にチャレンジできたことを思い出しました。
ですから、「選択力」の必要性と同時に、失敗しても大丈夫なんだということを、自分の経験を交えながら話をしました。
どこまで分かってもらえたのかわかりませんが、授業のあと、いつも授業の感想などを言ってくれていた生徒が、「先生、今日は熱かったですね。」とコメントしてくれたので、ちょっぴり恥ずかしかったですが、少しは私の気持ちが伝わったのかなぁと思いました。
あと残り2時間あります。1時間は、今の就職難に関して、自分が感じていることを話そうと思っています。就職も、選択肢がたくさんあるがゆえに、みんなが行く有名なところに集まりがちです。またやりがいとかを求めすぎたり、自分に合う仕事が見つからないなどで、直ぐにやめてしまうという状況が多いのですが、ちょっとキツい言い方ですが、正直言って努力もしないで、若いうちに何がわかるのかというのが本音です。
どんな仕事についても、それをある程度頑張ってやってみれば、その仕事なりのやりがいや喜びが見つかるはずなのです。仕事だけではなく、大学を中退してしまう学生に対しても同じことを言いたいので、そのあたりのことを語ろうと思います。
最後の1時間はどうしましょうか。やぱり歴史の教員なので、歴史の意義を語るしかないですね。なんせ、大学へ進学する生徒にとっては、どの分野にしても、部門史がありますから。歴史を知ることで、現代を考えることができるわけですし、それによって未来への展望が開けるわけです。
過去の失敗が何故起こったのか、違う選択肢はなかったのか、違う選択肢を選んだとしたらどう変わったのかなど、過去から学ぶことが大変多いのですが、現代の若者はやや複雑な思考になると、とたんにそれを避ける傾向にあるように思いますが、それでは未来は開けません。過去から学び、現代と比較してみて未来を語る、そのためには歴史を知らないとできませんから、その大切さを語ろうと思います。結局最後はそのオチか、と思われるでしょうが(笑)
2011年2月1日火曜日
静岡新聞が4月から土曜日夕刊を廃止し、小・中学生とその親に向けた新聞を発行
今日2月1日づけ朝刊に社告として出ていました。HPでも、今日はトップに出ています。詳細は、プレスリリースに出ています。
土曜日夕刊廃止の理由は、週休二日制により「土曜日に家族で外出する機会が増えるなど、ライフスタイルが変化し」たため、「グループインタビューや各種調査の結果から、土曜夕刊はその役割を終えたと判断」としています。
これは確かにそういう部分もあるような感覚はありますが、実際はどうなんでしょう。 きちんと、その根拠となった「グループインタビューや各種調査の結果」を示してくれないと、いまいち納得出来ません。まぁ、別に土曜日の夕刊が無くなっても、困ることもないのですが。実際は、私のようなこういう人間が増えたので、というのが理由なのではないのでしょうか?
小・中学生とその親に向けた新しい新聞については、「家族で楽しめる新聞」をテーマに、子どもにもわかりやすいニュース記事や語学関連の記事、学校生活に関連し た話題など、小・中学生が楽しみながら学校生活に活用できる内容で構成する予定です。4月から新学習指導要領が実施され、社会、国語といった科目で新聞が 活用されます。静岡新聞社は、これまで発行してきた「こどもかがく新聞」のノウハウを活かし、小・中学生が新聞に親しむことができ、大人が読んでも役に立 つ、家族の話題が豊かになる紙面づくりをめざします。」ということです。
これは期待できるかも知れません。つまりNIEで活用できる新聞をつくってくれるということのようですので、テーマや実際の紙面の様子によっては、高校でも使えるものがあるかもしれません。昨年のPISAでの、新聞を読む子の能力が高いというのを受けてのことだと思いますが、素早い対応で、静岡新聞もなかなかやるじゃんって感じですね。4月が楽しみです。
このローカルな話題を取り上げたのには理由があります。それは、この情報が、asahi.comにも出ていたからなんです(そのニュースはこちら)。つまり、『朝日新聞』にも取り上げられるような、注目されるニュースなのか?と思ったからです。
『朝日新聞』がどういう意図で、この静岡新聞の記事を取り上げたのかはよくわかりませんが、全国的に見て、土曜日の夕刊を廃止したってのが珍しいんですかね?
土曜日夕刊廃止の理由は、週休二日制により「土曜日に家族で外出する機会が増えるなど、ライフスタイルが変化し」たため、「グループインタビューや各種調査の結果から、土曜夕刊はその役割を終えたと判断」としています。
これは確かにそういう部分もあるような感覚はありますが、実際はどうなんでしょう。 きちんと、その根拠となった「グループインタビューや各種調査の結果」を示してくれないと、いまいち納得出来ません。まぁ、別に土曜日の夕刊が無くなっても、困ることもないのですが。実際は、私のようなこういう人間が増えたので、というのが理由なのではないのでしょうか?
小・中学生とその親に向けた新しい新聞については、「家族で楽しめる新聞」をテーマに、子どもにもわかりやすいニュース記事や語学関連の記事、学校生活に関連し た話題など、小・中学生が楽しみながら学校生活に活用できる内容で構成する予定です。4月から新学習指導要領が実施され、社会、国語といった科目で新聞が 活用されます。静岡新聞社は、これまで発行してきた「こどもかがく新聞」のノウハウを活かし、小・中学生が新聞に親しむことができ、大人が読んでも役に立 つ、家族の話題が豊かになる紙面づくりをめざします。」ということです。
これは期待できるかも知れません。つまりNIEで活用できる新聞をつくってくれるということのようですので、テーマや実際の紙面の様子によっては、高校でも使えるものがあるかもしれません。昨年のPISAでの、新聞を読む子の能力が高いというのを受けてのことだと思いますが、素早い対応で、静岡新聞もなかなかやるじゃんって感じですね。4月が楽しみです。
このローカルな話題を取り上げたのには理由があります。それは、この情報が、asahi.comにも出ていたからなんです(そのニュースはこちら)。つまり、『朝日新聞』にも取り上げられるような、注目されるニュースなのか?と思ったからです。
『朝日新聞』がどういう意図で、この静岡新聞の記事を取り上げたのかはよくわかりませんが、全国的に見て、土曜日の夕刊を廃止したってのが珍しいんですかね?
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