タイトルは、12月23日のCHUNICHI Web掲載の記事です(詳細はこちら)。
う~ん、この発見で、平城京の京域に関して、新たな疑問が出てくることになりますね。
つまり、2005年に「京域は十条までか?」と話題となった、「下三橋遺跡」のことです。
「「朱雀大路」が、京の南部にある東西方向の大通り「九条大路」で終わり、平城京の範囲が九条までだった」というの可能性がひたすら高くなると、「下三橋遺跡」の存在は何を意味するのか?また、藤原京との関連も考慮する必要がありますから、それを含めて、どのように考えれば良いのか?
本当ならば、大々的に調査すればはっきりするのですが、あの辺りはすでに街なかですので、やたらと発掘するわけにもいかず、当然予算の問題もありますから、様々な可能性を考慮して調査を行うしかないわけです。
これでまた、今後しばらくは様々な説が出されることになるでしょう。まぁその分、学問としての歴史学の進歩につながることなので、良いことではありますが、この問題に関わる研究者は、ある意味また頭を悩ますことになるのでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿